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カチャ、カチャ……
金属と金属が触れ合う音と、何やら美味しそうなにおいとで、隆也の朝は始まった。
寝ぼけ眼をゆっくり開く。
光が貫いてくる窓の向こうで、少しだけ鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「ふわあ……」
欠伸を殺さずにぐぐっと伸びをしてから、掛け布団を押しのけるように上体をゆっくりと起こす。
枕元の目覚ましを手探りで探すが、普段は手の届く距離にあるはずの目覚ましが無い。
仕方なく視線を向けると、ほんの少し離れた場所に、目覚ましは静かに時を刻んでいた。
現在時刻、午前8時過ぎ。
大学の授業も、確か今日は休講だったと考えてから、もうしばらく眠っていようかと思う。
どうせ今日はクリスマスで、この特別な日に自分に付き合ってくれる人なんて、
「……っ!」
がばっ、と隆也は再び横たわりかけた身体を跳ねるように起こした。
昨夜、この腕に抱いていた少女――ラウラの姿が、無い。
まさか、夢なんてことはない、ハズ、だった。
彼女の感触は、確かにこの手に残っている。
あれが夢だったのなら、自分の頭は彼女が言っていたように『残念なつくり』をしていたことになる。
隆也は曲がりなりにも頭が良いとは言えない出来ではあったが、しかしあそこまで現実味のある幻覚を見るほど人類を跳躍してもいない。
第一、最近の幻覚は触感やらにおいまで完全再現ですか。
「ラウラ……」
「呼んだです?」
ひょこっ、と。
申し訳程度に部屋の隅の角、隆也の位置からは少し死角になっている台所から、ラウラが顔を出した。
どこから引っ張り出してきたのか、パッチワークのエプロンと、ご丁寧に頭には三角巾を被っている。
ああ、なんかこんな子がヒロインのゲームがあったな。毎日甲斐甲斐しく主人公の家にご飯を作りに来てくれるんだぜ? とか何とか思いながら、昨日我が家に訪れたサンタクロースが自分の妄想の産物では無かったことを確認した隆也は、二重の意味で安堵した。
一つは、彼女が昨日言ったように『ラウラがここにいる』ということ、もう一つは、そこまで残念なつくりでなかった自分の頭。
「タカヤ?」
「……ああ、いや、……おはよう、ラウラ」
何か気恥ずかしい思いになった隆也は、少し曖昧な笑顔を浮かべながら、軽く頭を下げた。
「はい、おはようです、タカヤ。もう少しで朝ご飯が出来ますから、着替えでもして待っていやがるといいですよ」
元気な笑顔と一緒に、そんな言葉が返ってくる。
先ほどから漂っていた美味しそうなにおいはそのせいか。
一人暮らしを始めて早3年目、自分以外の誰かが朝食を作ってくれているなどという状況は初めてだったため、妙に感動してしまうのを隆也は堪えられなかった。
とりあえず、言われるままに着替えることにする。
一瞬、今日はしっかり着飾ってみようかと考えて、やめた。
別に、普段と違う格好になるまでもない、素のままの自分で接すればいいじゃないかと思ったからだ。
「できたですよー」
しばらくして、着替え終わってから、壁に立てかけておいた小さな丸テーブルを置き直して待っていた俺の前に、ご機嫌そうなラウラがやってきた。
両手にはトレーが抱えられ、その上には美味しそうに湯気をあげる料理。
ただ、その材料に明らかな偏りが見られるのは、七瀬家の冷蔵庫の中身を使ったからだろう。
芋の煮っ転がしにしか見えない味噌汁には、これでもかというくらい大量のネギがカフェオレの泡のようにぷかぷかと泳いでいて、綺麗に焼かれた目玉焼きには申し訳程度に炒めたほうれん草とベーコンが添えられている。
微かな醤油の香りが漂ってきた。
「へえ、結構上手いんだな」
「伊達にサンタやってないですからね。このくらいは当然です」
この発言によると、最近のサンタには調理スキルが必要らしい。メモメモ。
「思ったよりは食材がありやがったので、不覚にも感心したですよ」
「んー、まあ、一応自炊してるし。インスタント系統は楽だけど、結局自分で作った方が経済的なんだよな。食っていいか?」
ラウラがうなずく。
用意してくれた茶碗を手に取り、箸という名の武器を持ち、戦闘準備完了。
箸というのは、かつて江戸時代では『刃死』と呼ばれ、農民は使用を堅く禁じられ、武士だけが使用を許可された特別な品だったのである、……なんてうんちくを大学の友人が言っていたのを唐突に思い出した。当然、大嘘だ。
食べ易く箸で分けてから、目玉焼きをつまみあげる。
「…………」
先ほどから自分の分には手をつけずに、じっと自分を見ているラウラの視線が、非常に気になった。
わけもなく緊張がはしる。
(もしかして、ここは俺の反応=選んだ選択肢によって、後の未来が変わるんじゃ?)
きっとそうなのだ。
だったら、覚悟を決めなくてはならない。
ごくんと息を呑んで、ゆっくりと箸を口へ持っていく。
これからの人生で、これほど真剣に目玉焼きを見つめる機会は、もう二度とないだろう。
ぱくん。もぐもぐ。ごくり。
「どうです?」
「…………美味い」
「ホント!?」
「…………フツーに美味い」
「その、『フツー』っていうのはなんですか」
むうと少し不服そうにしながらも、その表情からは明るい感情が見て取れたので、隆也は内心でほっとした。
ほうれん草とベーコンを一緒にして口の中に放り込む。
味の相性が良いのか、かなり食が進む。
目玉焼きは、黄身にはあまり火を通さず、少量の水で蒸らして短時間で焼き上げたものらしく、とろとろの半熟だった。
個人的にはもう少し固めの方が好きなんだけどと思いながら、黄身がこぼれないように一口でぱくり。
美味い。
「味わって食べやがれです。こんな機会は、お前にはもうありやがりませんよ」
「そう、だな。……本当は、もうしばらく一緒にいたいのに」
「えっ?」
きょとんとして目を丸くするラウラは、一瞬箸を止めた。
それから、隆也の言った意味に気付いて、ばつの悪そうな顔をする。
無理に笑おうとして、失敗。
「そっ、そういう意味で言ったんじゃないですよ! ただ、お前にみたいにうだつのあがりやがらない男に、……べ、別に、その、……ええい、元気を出しやがれです! 今日は聖夜です、クリスマスイヴです! 今日一日は、私がいてやるですよ。一人じゃないですよ? しょげる理由なんてどこにもありやがらないはずです!」
「それも、そうだな。はは、悪い、ラウラ。とっとと食っちまおうぜ。……」
無理矢理笑顔を取り繕おうとした隆也の試みは、いともたやすく、成功した。
半日前には全く出掛ける予定の無かった街に、隆也とラウラはやってきていた。
朝食を終えてから、「このきったねえ部屋をマシにしてやるです」とか言って部屋の掃除を始めたラウラを手伝ったり、一緒に他愛の無い世間話に花を咲かせたりしていた隆也だったが、2時を回った辺りで、ラウラが「外に出よう」と言い出したのだ。
公園に行くとかならばともかく、街へ。
隆也としては、街=散財といった感があるので初めは拒否したのだが、するとラウラは自分が持ってきていた白い袋に手を突っ込んだと思うと、「これくらいあれば足りるです?」とかわいらしく首をかしげながら、ゴムバンドで束ねられた札束を取り出した。
目を白黒させながら枚数を数えてみると、二百枚くらいあった。
隆也には、一日を普通に過ごして、それだけの金額を散々する手段が思いつかなかった。
先立つものが無ければ何をするにも不便であるという資本主義経済の極みともいえる日本の社会構築を考えて、国際サンタクロース連盟がこの日のために支給してくれたものらしい、ということをラウラが言っていたのも、右から左だ。
外出決定。
「タカヤタカヤ! 早くするです、今度は向こうのお店に突撃するですよ!」
ひらひらりとはためく赤と深緑のチェック柄に引かれるように、天下の往来を歩いている。
真っ白いカーディガンが、ノンアウトドア派の隆也の目には眩しすぎた。
それと対照的なブルーの髪が、彼女が振り返ると同時に花が咲くように開いて、一瞬見とれてしまい、
「タカヤ! 遅いです! 何をモタモタしてるですか!」
怒られた。
そんな顔も悪くないのだが、あまり機嫌を損ねるのもよろしくない。
「あいあい」と気の無い返事を返しながら、少しだけ歩幅を広げる。
ラウラはというと、先ほどからずっとショーウィンドウに貼りついては、目をピカピカと光らせて駆け回っていた。
ラウラが着ている服は、少し前に立ち寄った店で購入したものだ。
別に隆也は構わなかったのだが、「せっかくですから!」とラウラがおめかししたいと強く希望していたので、いの一番にファッションセンターに立ち寄ったのだ。
そこで、ラウラは2時間近く服を選んでいた。
正直なところを言うと、既にそれだけで隆也はくたくただった。
しかし、「似合う? 似合うです?」といちいち聞いてくるラウラが楽しそうだったので、まあいいかなんてことも思っていた。
そういうわけで、出かけたのは昼下がりだったにもかかわらず、既に空の青は夜に追いやられて始めていた。
今日に明日が迫ってきているようで、今の隆也には少々憂鬱に感じられた。
「タカヤ、今日の夜はどうするです?」
ふと、ラウラが見上げてきたので、はっとしてから考え込んだ。
元々外出する予定――サンタクロースが家に訪ねてくる予定はなかったので、何も考えていないというのが実際のところだ。
しかし、隆也も男として、微かなプライドも無いわけではない。
ここで「いや、何も考えてない」などと言うのは、何となく躊躇われた。
必死になって、普段は節約のためにしか働かせない頭をひねってみる。
彼女と二人で過ごす――ということを考えていたら、ふと、この街の駅前にある巨大ツリーの存在を思い出した。
この街のシンボル代わりにもなっている、20メートルはあろうかというモミの木だ。
隆也は基本的にクリスマスは出歩かないので話に聞いているだけだが、その木のイルミネーションだけは、毎年12月24日の夜にだけ点灯され、人々の目を楽しませているらしい。
駅構内には有名レストランなどがこぞって濫立しているし、落ち着いて過ごすにはうってつけのように思われた。
「駅……駅の方に行こう。そこなら飯も食えるしな。知ってるか? 駅にばかでかいツリーがあるんだぜ?」
「ここに来る前に少しだけ聞いてますよ。この街では一番目立つものですから。確か、点灯は今日の七時からだったと思ったです」
それじゃ、ひとまず駅の方でぶらぶらしようぜ、という話になって、二人は連れ添って歩き始めた。
しばらくしてから、隆也は自分がひどく場違いな場所にいるような気がしてきていた。
理由は簡単。
駅に近づくにつれて、妙に親密そうな男女の組が多く目につくようになってきたからだ。
右を見てもいちゃいちゃ、左を見てもいちゃいちゃ、そこら中いちゃいちゃだらけだ。
いちゃいちゃの大量発生、何故政府はこれを社会現象扱いしないのか、理解に苦しむ。
(カップル、男×女、不純異性交遊、愛の無い繋がり、あああああなおそろしやぁ……!!)
いや、正確に言えば別に恐ろしくはないのだが、しかし恋愛を一種神秘的なことだと認識している隆也にとって、現在のように恋愛がインスタントになった社会そのものは恐ろしいのだった。
しかも自分には、その即席簡単お手軽な恋愛のきっかけすら、無かった。
泣いてもいいですか? ナイテモイイデスカ?
心の中に極寒ブリザードが吹き荒れ始めた。
と、なぜか指先に微かな温もりを感じて、隆也はそちらに目を落とす。
少しだけ頬を染めて、心配そうに隆也を見上げるラウラの指先が、包むように触れていた。
「…………何?」
「その、タカヤが、寂しそうに見えたっていうかですね、……それが、何か、嫌だっただけ、ですよ」
多分そうです、と最後に小さく独り言のようにラウラが付け加えたのも、隆也は聞こえていた。
その一瞬だけ、隆也はラウラの本当の表情を見た気がしていたが、次の瞬間には、ラウラは今までのテンションを完全に取り戻して、
「私と一緒にいるのに、そんなしょぼくれた顔をしてんじゃねえですよ! 私がお前の隣を歩いてやってるんですから、ありがたいと思いやがれです!」
声を張り上げるラウラの手を、今度は自分から少し握ってみた。
自分より一回り小さくて、少し節くれだった自分の手に比べて、柔らかくて、あたたかい。
その小さな手の平から、ラウラの本心が流れ込んできてくれたらどんなにいいだろう、とか隆也は思った。
「……よし、行こうぜ」
普段の笑顔を取り戻した隆也は、にかっと歯を見せて、ラウラの手を引いて歩き出す。
うーっと不満そうにしながら、しかしラウラもそれに続いた。
二人の手は、しばらく繋ぎっぱなしで、駅に入る直前まで、二人は互いに離れようとしなかった。
それを、遠くの空で、昨日と同じ月が見守っていた。
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