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大変だ。
というか、今更ながら気付いてしまった。
どうしてもっと早く気が付かなかったのか、いやいつ気付いたとしても手遅れだっただろう。
洗面所では、「ドライヤーも持っていやがらねえなんて、本当にお前は文明大国日本の住人かです」と言いながら、ラウラが長い髪をゴムで首の後ろにまとめていた。
服はチェック柄のパジャマの上から、最初に貸してやったグレーのトレーナーを被っている。
そのパジャマは、隆也が実家から持ってきていた荷物の中から発掘したもので、高校時代に隆也が来ていたものだ。
間に合わせのものにしては上等だと思う。
ラウラからも大した文句が出なかったので、それに関しては自意識過剰でもない。
やはり小柄なラウラにはかなりサイズは大きすぎの感は否めなかったが、少しだけまくりあげた袖の先から、ちょこんと指先が見えるのがベリーキュートなので、問題は無い。
今は、当面の問題をいかにして乗り切るか、打開策を練らなくてはならない。
「……タカヤ? どうかしたかです」
眉間にしわを寄せて、腕を組んだまま仁王立ちしていた隆也の後ろで、ラウラが怪訝そうな顔をした。
どうかしたかって、どうかしたから考えているのだ。
振り返って、隆也はこの世の終わりのような顔をして言った。
「布団が、一組しか、ない」
「……はい?」
そこに敷かれた布団を指差して、もう一度はっきりと言う。
「だから、布団が一組しかなかった」
「タカヤじゃあるまいし、同じことを二度も言われなくても理解するです。それで、それがどうしたって言いやがりますか?」
「布団が一組しかないから、一人は布団が使えないわけだ。でも布団を使うのはラウラだろ一般的に考えて。だから俺はどう防寒しようかと思ってさ」
「ああ、そんなことですか。それだったら、」
「布団が無いんじゃ、やっぱり厚着するしかないよな。でもトレーナーの2枚重ねは厳しいよなあ」
「タカヤ、だから、」
「あ、そういえばダンボールの中にコートが封印されてた気がしたな。よし、今日はそれで夜を乗り切って、」
「話を聞きやがれ、ですっ」
ラウラの顔も三度までといった風に、ラウラが語調を荒げたかと思うと、
ばすんっ
いつの間に用意したのか、巨大な白い袋に本日2度目のホームランされた隆也は、そのままの勢いで布団にずべしゃっとヘッドスライディングをした。
これがフローリングの床だったら、今頃顔面が汚いシャーベットになっているところだ。
激しい衝撃を受けたためぐらぐらと揺れる頭を抱えて起き上がろうとしたが、思いの他ダメージは深刻で、ばたりとその場に倒れこんでしまう。
素っ気無い布団の柔らかさが、今の隆也には心地良かった。
そして、もっと柔らかいものが腕に触れてくる。
ぼんやりとした意識の中、それが隣に寝そべってきたラウラだと気付くのに、数秒を要した。
それがほどよい気付けになった。
「なっっっっ」
ボンッと熱暴走を起こす20歳男。
彼女が今までいなかったため、こういう体験は初めてなのだから、仕方の無いことかもしれない。
ラウラはというと、至って変わらない口調で、
「二人で寄り添って寝れば、二人ともあったかくて、一石二鳥だとは思いやがりませんか?」
「そ、それも、そうかもな」
しどろもどろになっている隆也に、大人の余裕とか、そんなものは微塵も無かった。
「もう1時半です。まだ明日がありますから、今日は大人しく寝ましょう」
「明日……か。……そうだな」
それを聞くと、隆也は、胸の高鳴りを意識しつつも、自分の心にどこか冷めた部分が生まれたことに気付いた。
明日――――正確には、今日――――24日。
それが終わるまでが、聖夜クリスマスイヴ。
それの終わりまでが、ラウラと一緒にいられるタイムリミット。
ラウラと一緒に過ごす明日は、ものすごく楽しみだった。
それと同じくらい、ラウラと分かれることになる明日が哀しかった。
別れるくらいなら、永遠に今日一日が続いてくれればいい。
そんなことは不可能だと、隆也はもちろんわかっていた。
だから、眠りにつくまでの一分一秒も大切にしたいと思った。
「ラウラ、寝るまで少し話さないか?」
「別にいいですけど、何の話をしやがるです?」
「色々。俺のこととか、ラウラのこととか。よく考えてみたら、俺たちって互いのことを何にも知らないんだもんな」
そう言ってやると、「ん……」とラウラは気恥ずかしそうに目の下ギリギリまでを布団で覆ってから、静かにうなずいた。
愛い奴め。
そんなラウラの、おでこの上をさらりと流れる前髪を指先でそっとかきわけてみた。
何か文句を言われるだろうと身構えていたのだが、ラウラは僅かに目を細めただけで、何も言ってはこなかった。
顔が布団でほとんど隠れてしまっているため、何を考えているのかはわからないが、少なくとも嫌がられてはいないらしかった。
それから二人は、互いの思い思いの話をし始めた。
互いの生い立ちのこと、家族のこと、現在の趣味、…………。
「サンタクロースというのは、元々は聖ニコラスという実在の人物が祖なんです。私たちの一族では、偉大なるご先祖様として祀られているですよ」
隆也がサンタについて尋ねてみると、ラウラは少し考えてから、そう説明を始めた。
「……ということですから、クリスマスイヴに子ども達にプレゼントを贈る老人というイメージが定着したのは、比較的最近のことなんです」
「はあ、政治やら何やらが絡んで、サンタクロースの在り方も変容していったってことか。でも、今のサンタクロースって、宗教的にとはいえ純粋に平和のためにプレゼントを贈ってるわけだろ? それって結構すごいと思うぜ」
「平和というか、世界人類の幸福です。……私達に出来る範囲なんて、世界から見れば、取るに足らないようなものですけどね」
「そんなことねえって。現に俺は……」
「タカヤは?」
「……なんでもない」
「言いかけたくせに言わないなんて、男らしくねえです。言わないと許さんですよ」
「あー、だから、なんでもないって。言葉のあやだ。気にすんな」
ラウラは、不満そうに唇をとがらせたらしかった。
最初は生意気なガキだとも思っていたが、こうして話してみると、表情をころころと変える年齢相応の無邪気さは、隆也の神経を逆撫でするようなものではなくなっていた。
まだ出会ってから数時間だというのに、何十年も昔から知っていたような心持ちすらした。
こんな風に誰かと話すのが、久し振りだったからなのだろうか。
隆也は、ラウラが笑ったり、拗ねたり、驚いたり、……一緒にいてくれるだけで、胸の中にじわりとあたたかいものがにじんでくるような気がしていた。
それは変な感じではあったが、決して悪い気分ではなかった。
「タカヤは、普段は何をしてやがりますか?」
「昼間は大学に行って、夜はバイトってサイクルで大抵過ごしてる。そういや、大学の単位ギリギリなんだよな。無事に進級出来るのかな俺……」
「タカヤの頭は残念なつくりですからね。きっと円周率を最後まで言い切るのと同じくらい難しいですよ」
「……お前、遠回しに無理って言いたいだけだろ?」
「それがわかるなら、まだ救い様はありやがるようですね。良かったですね、タカヤ」
「ああ! 全然嬉しくないな!」
そんな何でも無い、どうでもいいような会話もあった。
それでも隆也は、そんな時間が大切に思えていたのであるし、きっと幸せというのは、そんな他愛無い中にあるものだと実感してもいた。
夜はゆっくりと、しかし確かに休むことなく静かに更けていく。
「ラウラ。……ラウラ?」
「……すう」
二人はしばらくは話に夢中になっていたが、やがてラウラの方が寝息を立て始めていた。
無理に付き合わせてしまったかな、と隆也は少しだけ申し訳無く思ってしまう。
その寝顔はとても安らかなもので、やっぱりラウラはサンタってよりも天使って方がしっくりくるな、とか思った。
目覚まし時計を見てみると、もう午前3時を回っている。
隆也は上体を起こして、ぼんやりと窓の外に見えた月を見上げた。
淡い光を夜ににじませるその天体は、なんとなく、自分達の行く末を傍観しているような感じがした。
再び布団に潜ると、すっかり眠ってしまったラウラの肩をそっと抱き寄せてみる。
ふわりと、シャンプーの良い香りが鼻腔をくすぐった。
自分も同じものを使っているはずなのにおかしな話だ、と隆也は一人で苦笑してから、自然とこぼれた笑みを隠そうともせずに、優しくささやく。
「おやすみ、ラウラ。また明日な」
また明日。
その明日には、もう、「また明日」とは言えなくなっているのだろう。
そう考えると、きゅうっと胸が締め付けられる感じがして、それを誤魔化すように、隆也はラウラの細い身体を自分の身体に押し付けるように抱きしめた。
それは、決して離れえぬようにと祈るような。
それでいて、その目的は決して果たされないとわかっているがための、切ない行為だった。
嬉しさと切なさ、楽しみと哀しみ、それぞれを同じだけ抱えながら、隆也は意識の海へゆっくりと沈んでいった。
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