駅構内に入ってすぐ、二人はまずケーキ屋に入った。

ショッピングモールのようにきらびやかな場所まで進んできて、まず最初に目に入ったのがそこだったから、というのもある。

一番の理由は、やはり日本でのクリスマスといえば、クリスマスケーキは買っておくです、とラウラが提案していたので、それに従ったのだった。

入った瞬間、きらびやかなシャンデリヤの吊り下がったフロアと、独特の甘い香りに包まれ、隆也は警戒態勢を取る。



(ヤバい、ここからは、ブルジョワ臭がする……っ)



背筋を這い上がってくる悪寒を感じながら、「タカヤ?」と怪訝そうに振り向いてくるラウラにも気付かずに、隆也は機械人形のような足取りでレジ前へ歩みだす。

どうやら、その店はオーダーメイドを受け付けていて、注文から1時間ほどでオリジナルのクリスマスケーキを作ってくれるということだった。

楽しそうな顔をしたラウラが、営業用スマイルで応対する店員に注文をしているのを、隆也は夢見心地で眺めていた。

現実だとわかっていても、相変わらず現実は夢のようにしか感じられない。

ただ、自分がここにいて、彼女がここにいて、……そんなようなことだけは、確かなものだとは思いたかったのだが、



「タカヤ、注文は終わりましたから、少し早いですけど、夕食にするです?」

「ん、そうだな、そうするか。昼間は話に夢中で、飯食ってなかったし。そういえば、ケーキはいくらくらいだった?」

「たったの8000円でしたよ」



やっぱり、ほんの少しだけ、夢だと思いたかった。

それだけあれば、自分だったら20日は暮らしていける。

何かやりきれないものを感じながら、隆也はいつのまにかラウラを腕にぶら下げながら、レストラン街を目指した。



思った以上にレストラン街はごった返していた。まさにごった煮状態。ごった煮定食だ。

やはりクリスマスということで、しかも駅なので立ち寄り易く、値段も比較的手頃な店が多いので、この時間からでも人で溢れ返るのは、自明の理というものだった。

この駅は、あの巨大なクリスマスツリーを囲うように建てられていて、レストランはその五階にある。

場所にもよるが、ライトアップになれば、目にも鮮やかなイルミネーションで目を楽しませながら食事も楽しめるというわけで、クリスマスツリーの見える側の店は、いずれも長蛇の列であった。

隆也は、迷うことなく、クリスマスツリーの見えない側の店に入った。

空いているとまでは言わないものの、その人の密度の高さは、見える側の店に遠く及ばない。

窓側の席にしてほしい旨を店員に伝えると、その申し出はあっさりと受け入れられた。

レディーファーストでラウラを座らせて、早速メニューのラインナップを確認する。



「ここからだとツリーは見えやがりませんけど、良かったのかです?」



メニューを開いたまま、ラウラがそんなことを言ったが、隆也はしばらく返事が出来なかった。

この店のメニューに、1000円以下の料理がほとんど載っていないという事実に打ちのめされていたためだ。

お金って、あるところには捨てるほどあるよね。

自分なら、一品分で三日生きていけるだけのメニューを目の当たりにしながら、辛うじて声に反応して、



「ツリーが点灯するまで、まだ1時間半はあるし、イルミネーションなら、別にここじゃなくたってどこでも見えるだろ? だからいいんだよ」



視線を窓の外に向けて、



「ここなら少しは落ち着いて話せるし、ほら、イルミネーションは見えない代わりに、星はよく見えるぞ」

「あ、本当です。……むぅ、きっとあの一番強く光ってるのが一番星ですね」

「バカ言っちゃいけねえよラウラ。冬に一番強く光る星っていえば、オリオン座の三ツ星だろ。だから一番星は……あれだろ、あれ」

「た、タカヤのくせに、私に意見しやがりますか!? しかも、バカっていいやがりましたね! う〜っう〜っ。いいです、腹いせに今日使った分の請求書を国際サンタクロース連盟名義で隆也に送りつけてやるです。国家権力と金の恐ろしさをたっぷりと味わうがいいです」

「ちょっ――――!? それだけはやめてくれ、この歳で自己破産する羽目になっちまう! っていうかその前に、今お前の着てる服が既に10万以上してるじゃねえか!」



オーダーを取ってもらうまでに、二人はそんなやり取りを延々と半時近く繰り広げた。

知らずの内にヒートアップしてしまい、その度に隆也が口の前で人差し指を立てて、「しーっ」と言って、互いに苦笑した。

自分達の頬に、店員さんが冷たい視線を突き刺していたのは、きっと気のせいではない。

結局、隆也はクリスマス特製ディナーセットとかいうものを頼んでみた。

2980円だった。

ぼったくりだ。

ラウラはというと、気取った素振りでメニューを差し出しながら、「彼と同じものを」とか何とか、格好つけて言っていた。

明らかに隆也に比べて、場慣れしているようだった。

思わず隆也が目をぱちくりさせる。



「ラウラ、もしかしてこういう場所、慣れてる?」

「こういう場所?」

「その、高級そうっていうか、極貧大学生が普段絶対入れないような、」



ああ、とラウラは澄ました表情になって、



「パパが長老様だからですよ。小さい頃から、よく社交の場に引っ張り出されていたです。そのせいですよ」

「ふ、ふーん」



隆也は、「今も小さいだろ、特に首から下と腹から上の辺り」という、考え得る限りでは最大級に余計な一言を、口の中で何とか押し留め、



「……ぶち殺しますよ?」



押し留め――――切れていなかった。

冷淡に薄く笑うラウラの目に、光が宿っていないのを見るやいなや、隆也はさあっと青ざめて、「な、なんのことかな?」と下手な誤魔化しを敢行する。

一目で、ラウラの戦闘力が跳ね上がったのがわかった。逆効果だったらしい。



「わ、悪かったって。そんなに怒るなよ」



「本当のことだろ?」の一言を、今度こそ完全に呑み込んで、



「怒った顔も、そりゃ、お前は可愛いけどさ。今日くらいは、笑った顔を見ていたいんだ」



そんな歯の浮くようなセリフが、自分でも不思議なくらいあっさりと出てきた。

じっと、ラウラの瞳に映っている自分自身を見つめ、その中の自分の瞳に映るラウラまで見えるくらいに見つめる。

いざ口に出してみると、さほど恥ずかしくはなかった。

なぜなら――――隆也の代わりに、ラウラがかあっと真っ赤になって、激しく狼狽してくれたからだろう。

懲役三年もののリアクションだと隆也は思った。

犯罪的にかわいらしいと言いたいのである。



「よ、よく、もま、あ、そんっ、な恥ずかしっ、こと言っ、えるです、ね、っ、ぇ、」



いつもの毒舌もキレが悪く、何とか照れ隠しとしての役割を果たすのみだ。

水の入ったグラスに手を伸ばすが、指先までは神経が行き届いていないように見える。

数秒前までの堂々たる態度とは一転したその仕草の一つ一つに、隆也はつい苦笑した。



(まったく……なんなんだろうな、このラブコメ展開は……)



しかし、嫌な気分では、決してなかった。

いつまでも続いてほしいとさえ、隆也は感じるようになり始めていた。

今日が終われば、ラウラとは別れなければならないというのに。

ラウラが楽しそうに笑ってくれるほど、そして自分がそれを嬉しく思えば思うほど、心の隅に生まれた別れの苦しみは、確かな鼓動を始めていた。



クリスマス特製ディナーセットとやらは、とにかく豪華の一言に尽きた。

肉は普段隆也の食べているものの三倍近い厚さが有り、しかもフォークを横に入れるだけでも繊維がほどけていくような柔らかさ。

一緒についてきたスープは、真っ白い見たこともないものが運ばれてきた。

それは少々しょっぱかったが、冷たくて美味かったのをよく覚えている。

ラウラに聞いてみたら、それはヴィシソワーズというらしいことがわかった。じゃがいものスープらしい。

デザートともなると、テレビで何回か見たことがあるという程度の、ブルーベリーソースで細かに彩られた4センチ四方の小さなケーキが出てきた。

一流の職人の作っている店だと、これだけで1000円はするとラウラが言って、まだまだ世界は広いと思って隆也はガクガクと身震いした。

それでも、金に心配しなくていいということで、やはりそれなりには楽しめた。

そんなことを言ったら、「それなりにとはなんです」と、やはりラウラを怒らせてしまうだろうとは思ったが、少しずつ背後に忍び寄ってくる別れがあることを思うと、どこか心から楽しめないでいるのを、隆也は感じていた。

いつかは終わる、だからこそこの瞬間がかけがえのないものになる、そんなことを言ったのは誰だろう。

そんなものは詭弁だと思う。

ようは、それに気付いてしまうか、気付かないかの問題だ。

そして、それをどうしたいと望み、望まないかの問題なのだ。

そんなことを、隆也だけでなく、ラウラも考えていたのだろうか、ふと気付くと、食事が進むに連れて、二人の口数は少しずつ少なくなり、店を出る頃には、その口は堅く閉ざされてしまっていた。

来た時のように手を繋ぐこともせず、帰りがけにケーキ屋に立ち寄って、注文してあったケーキをラウラが受け取った。

大きな紙のケースをぶら下げて、込み上げる嬉しさを抑え切れない様子のラウラは、やはり愛しかった。

だが出会いがあるからこそ必然的に別れはいつか訪れる。

出会いとはつまり、別れの始まりを意味するのだから。

それがあまりに速かったこともあり、隆也は哀しかった。

頭では、それが当然だと理解していても、自分を納得させることができなかった。

隆也の中のよくわからない曖昧な部分、陳腐な言葉でいうなら、心が、無情な現実に抵抗していたのだった。



「タカヤ、タカヤ、もうすぐライトアップですよ」



駅構内を出ると、ツリーの周りには駅の中にも負けないほどの人の波だった。

空があまりにも遠すぎるためか、息が詰まるといった感じはない。

点灯までは、もう何分も無かった。

集まっている人々の喧騒も、僅かずつ収まってきている。

青い髪をたなびかせて、数歩先を歩いていたラウラが振り返った。



「楽しみですね、タカヤ」



まったくもって、その通りだった。

だからこそ、別れが辛いのだ。

今年のクリスマスは、昨年とは比べ物にならないほど楽しいものだった。

全ては、何の因果かラウラが自分の下を訪ねてきてくれたからだ。

他の誰が来てくれていたとしても、これほど一日に充実を覚えることはなかっただろう。

そう思えるくらいには、隆也は、ラウラのことを好きになっていた。

今日一日で別れるだなんて、嫌だった。

ずっと一緒にいたいと、わけもなく思うようになっていた。

だから、もう、限界だった。

タカヤは、優しく微笑んでくれていたラウラに、ついに目覚めの一言を投げかけた。



「ラウラ……今日が終わったら、本当にさよならなのか?」

「え、」



文字通り、ラウラの笑顔は凍りつき、かと思うと、見る見るうちに曇ってしまった。

気の強い彼女が、隆也からあからさまに目をそらす。

そして、呟くように、



「そうです。国際サンタクロース連盟の会議では、そのように規定されました」

「俺は、……俺は、嫌だ。それでお別れで、これっきりなんて、納得いかねえよ」

「、タカヤ、……」



ちょうどその時、ラウラの後ろでクリスマスツリーがぱあっとあでやかに灯った。

周囲から寒気の声と溜息が満ちる。

しかし、二人の周りだけは、冬の冷たい空気が滞在したままだった。

その耳に、周囲の声は入っていかない。

隆也には、目の前のラウラも、周りの鮮やかなイルミネーションも、全てが夢のようだった。

幻、と言い換えてもいい。

ふとした拍子に消えてしまうのではないかと思わせるような儚さを感じたのだ。



「ラウラは、どう思ってる? ラウラの、ラウラの気持ちを、知りたい」

「私、私……私、は、私だって、同じです。一日でお別れは、やっぱり、淋しいです……」

「だったら、」

「でも、かといって、今更どうにもなるもんじゃねえんです」



声は、微かに震えていた。

それは、寒さのせいではない。

仮に寒いとすれば、そう感じているのは、心、と呼ばれている部分だと思う。

どうにもならない――――その事実をはっきりと告げられて、隆也に生まれたのは、切なさでも哀しさでもなく、激しい憤りだった。



「なんだよ、それ。決められてるからって、これっきりで、もう会えないのかよ。別れるのが、こんなに嫌なのに。ずっと、一緒にいたいのに」



肩を落としてうなだれる隆也が、おもむろに空を見上げたのは、なぜだろう。

日々眺めていた空と星を見て、少しでも自分を慰めたかったのかもしれない。

その姿は、ひどく弱々しげに見えた。



「タカヤ……」



まるで腫れ物に触るような手つきで、ラウラは心配そうに隆也に手を伸ばしてみた。

それくらい、今の隆也は不安定に見えた。

が、隆也はキッと鋭い視線を向けたかと思うと、近づいてきた小さな身体を、力の限り振り払った。

小さく声を上げ、もつれて転んでしまうラウラ。

手に持っていたケーキは、その拍子にころりと転がり、通行人に蹴飛ばされて、少し角が潰されてしまった。

驚き半分悲しさ半分といった顔をしているラウラを、隆也は厳しい目で見て、



「どうして、俺のところへ来た。たった一日だけ幸せな夢を見せてくれるくらいなら、こんな幸せ、いらなかった! 出会わなければ、良かった!」



激しくんたうつ感情に任せるまま、喉を張り上げる。

無理もないのかもしれない。

どんなにその一瞬が幸せでも、その幸せは、もう一日の四分の一しか続かないとわかっているのだ。

その思い出さえあれば――――

そんな綺麗な考えを貫けるほど、隆也は強くもなければ、物分かりが良くもなかった。

もちろん、幸せに過ごした時間は、忘れない限り一生消え去りはしない。

同じように、これから訪れる別れもまた、消え去ってはくれないだろう。

逃れ様のないこととはわかっていても、それを全身で否定するしか、隆也には出来なかった。



「どうせ今日だけで会えなくなるなら、今すぐに俺の前から消えろ! どこにでも行っちまえ!」



その一瞬、ラウラの顔が哀しそうにかげったことに、隆也は気付かなかった。



「……それは、『命令』ですか?」

「そんなもん関係ねえよ。いいから、とっとと失せちまえよ……このバカ野郎……!」



その言葉の言い終わりに、辛うじて繋がっていた糸が、プツンと音を立てて千切れ落ちた。



「その言葉、『命令』として受理させていただきます」



機械音声のように、その声には極力感情が除かれていた。

だが、その肩は小刻みに震えている。

そこでようやく、隆也は気が付いた。

ラウラの青い瞳をゆらめかせながら、彼女の瞼に光るものが溜まっていることに。



「たった一日だけでしたけど、楽しかった、で……」



ぐすん、と赤くなっていた鼻をすすり上げ、何度か息を吸い直す。

ひっ、と喉が鳴り、何度かしゃくりあげながら、それでも必死に言葉を紡いでいるようだった。



「一緒にいた、いって、言ってくれて、ありがとう、でした。そっ、……なこと、言われたの初めてでしたから、っ……う、嬉しかった、でっ、っす、よ、っ。それだけ、私を、好きになってくれ、たって、ことですっ、よね」



私も、とラウラは何かを言いかけて、しかしそこで言葉を途切れさせた。

何かをこらえるように息を詰まらせるすがたが、隆也にはひどく苦しいものだった。

頭が痛い、胸が苦しくて吐き気がする、妙に身体が気だるい、そして目の辺りがどうもぼやけている。

離れたくないと互いに思っているのに、こうして一緒にいることすら、今は辛くなってしまっていた。

ラウラも、恐らくそれをわかっていたのだろう。



「それじゃ、……これで、さよならです」



ありがとう、と最後に付け足して、ラウラは背を向けてその場から駆け出し、一度も振り返ることは無かった。

去り際に彼女の見せた笑顔は、皮肉にも、今日見せた中で、一番いい笑顔だった。



(…………最低だ)



隆也は、現実も、自分自身も、何もかもに対して、そう感じざるを得なかった。

寂しさと哀しさとやりきれなさ、そしてラウラに対する申し訳なさと後悔、やり場の無い怒りが、自分の中に渦巻いているのを感じていた。

自分達とは関係無しに幸せそうに笑うカップル達が、全員ひどく憎らしく思えて、全てぶち壊してやりたいような気持ちになったが、そんなことをしたら、余計に自分を嫌いになりそうなので、考えないようにした。

見上げると、大きなクリスマスツリーが、勝手に飾り付けられたモミの木が、静かに明滅していた。

その虚飾に満ちた町のシンボルは、ただただ、空しかった。



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