20XX年12月23日午後23時50分……



都心部から僅かに離れた場所にある古びたアパートの一室で、七瀬隆也は布団にくるまって震えていた。

親の仕送りはほとんどアパートの家賃で消し飛んでしまうため、残りの生活費は全てバイト代でやりくりしているこの男の部屋に、暖房器具なるものは存在しない。

コタツやヒーターの類はおろか、ドライヤーすら、ない。

その分の電気代が払えないからだ。

正確に言えば、多少無理をすれば払えることには払えるのだが、その場合、毎日朝食は抜き、昼食は公園の水道水で腹を誤魔化し、夜は下の階に住んでいる新婚さんの夕食の残りに頼らざるを得なくなる。

さすがにそんなみっともないことになるのは、出来る限り避けたかった。

かといって、使った分の電気代は払わないわけにいかない。

電気が止められたら、隆也にとっては「息をするな」と言われているようなものだ。

真夜中に照明が使えないのも不便だが、何よりパソコンが使えなくなるのが致命的。

聖夜を共に過ごしてくれる人がいればまた話は違ったのだろうが、彼女いない歴=年齢の七瀬隆也(20)にその点を指摘してはならない。泣くぞこの野郎……!!

隆也は首を動かして、愛用している録音式目覚ましに目をやった。

日付が変わるまで、あとカップラーメンの完成を待つだけの時間しかない。

ありていに言ってしまえば、クリスマスイヴまで、あと三分。

ふと隆也は、どうして俺は電気もつけずに一人で震えてんだろう、と思った。



時は一週間ほど前にさかのぼる。

いつものように隆也がコンビニでバイトをしていると、客の一人がクリスマスケーキを注文しにやって来た。

隆也が働いているコンビニは、クリスマスケーキの予約・宅配を毎年やっていたのである。

そこでようやく隆也は、今年もついに来たか、と深い溜息をついた。

幸せに聖夜を過ごすであろうカップルに、人知れず呪詛を放っておく。エコエコアザラクエコエコアザラク。



(俺なんて、去年も一昨年も、24日はバイトに明け暮れていたっていうのにな!! ちくしょう!!)



注文を受け付け終わると、客は機嫌の良さそうな顔で会釈して、店を出て行った。

それを何の気無しに目で追ってみていたら、その客を待っていたらしいトレンチコートを羽織った女の子が、仲睦まじげに手を繋いで、……この時、隆也がとてつもなく寂しい気持ちになったのは、言うまでも無い。

「彼女ほしいな」とぽつりと呟いた瞬間、ぽんと肩を叩かれて、その拍子に心臓が破裂しそうになった。

振り返った先にいたのは、少し疲れた顔をしている店長(43・独身)だ。



「七瀬くん、今日も夜遅くまでご苦労様」

「っていっても、まだ9時ですけどね」



いやいや、と店長は愛想良く笑って、



「毎年この時期はバイトが少なくてね。この時間帯に入ってもらえるのは助かるんだ。あがりまで2時間くらいだね。そうしたら、少し話があるんだけど、いいかな?」

「はあ、別にいいですけど」



実に気の無い返事を隆也は返していた。

店長の口調から、面倒臭そうな話だろうとあたりがついていたからかもしれない。

それだけ言うと、店長は店の奥に入っていった。

カートを引いていったので、商品を補充しに行ったようだ。

コンビニでは店長とはいっても、仕事はアルバイトと大差ない面が大きい。

忙しい人だなと思っていると、ガーと自動扉が開き、隆也は反射的に50円ほどの笑顔になって、いらっしゃいませの言葉が口をついていた。





その後のバイト中も、何人かがクリスマスケーキを注文していったため、隆也はその度に不愉快な思いをさせられた。

ファミリーだったら、まだ微笑ましく見ていられる。

しかし、カップルだけは、どうしても受け付けない。

最早嫉妬というより、深層心理に由来するものではないかと疑ってしまいたくなるほどだ。

もしくは、やはり劣等感が、素直に彼らの幸せを祝福させてくれないのだ。

いわばカップル・コンプレックス……!!

俺って、心の寂しい人間だったんだなとか思いつつバイトを上がって、店長のところへ行ってみると、こうだ。



「うちがクリスマスケーキの注文を受け付けてるのは知ってるよね? 24日にそれぞれのお客さんにケーキを届けに行くんだけど、実は人手が足りてなくてね。まさか店を留守にするわけにもいかないし。七瀬くん、どうせ24日は暇でしょ? 悪いんだけど、その日来てくれないかな?」



そう言われて、隆也の中で何かが弾けたような気がした。

言うに事欠いてこのオヤジは、年頃の男つかまえて何をほざくのか。

24日暇なのはお前だろうが。どうせ、とか言うな、どうせ、とか。

感情を抑え切れず、次の瞬間隆也は、凛とした声で、こう言っていた。



「すんません店長。その日はどうしても外せない予定があるんで無理っす」



そして、意識は現在に戻ってくる。

隆也は目覚まし時計の秒針をぼんやりと見つめていた。

日付が変わるまで、あと一分。

その場の勢いでバイトを休んだものの、当然のように予定はすっからかんだ。

どこかへ遊びに行くほどの金も持ち合わせてはいない。

少し歩けば街には出られるが、今月いっぱいをあと千円で乗り切らねばならない隆也としては、無駄な出費は避けたいところなので、基本的に外出とはつまり散歩を意味する。

隆也が散歩をするのは大抵が深夜なので、徘徊とも呼ぶ。

外出を嫌う理由は、他にもある。

当たり前といえば当たり前なのだが、街はクリスマス一色に彩られているのだ。

聖夜に輝かんとばかりにイルミネーションがあふれ、幸せそうな笑顔が満ちている中を、平気な顔をして歩けるほど隆也は図太くはない。

そんなところに行ったら、自分自身の孤独とのあまりの落差に、路上で一人涙を流してしまいそうだった。

だから外には出たくないのだ。

いよいよ、クリスマスイヴまでのカウントダウンが始まる。

30……25……20……

隆也は、自分の心がどんどん冷めていくのを感じていた。

15……10……5……

今年も一人ぼっちのクリスマスか、と自嘲的な笑みがこぼれる。

そして、その年の聖夜が、何とも無しに静かに始まりを告げる。

その瞬間、フッと月明かりが部屋の窓から入り込んできたような気がして、



ピーンポーン



インターホンが鳴った。

予期せぬ何者かの到来に、思わずびくっと肩を震わせてしまう。

時計を見ると、既に24日になっていた。

この日のこんな時間に自分を訪ねてくる友人を隆也は知らない。

怪訝に思いながら、防寒用追加装甲(布団)を解除して立ち上がる。

まさか仮にも来客だというのに、芋虫状態で応対するのはあまりにも無粋だ。それ以前に、変人だ。

次の日には近所の子ども達に「アパートの2階には怪人芋虫男が住みついている」なんてウワサを流されないとも限らない。

ちなみに、変人なのは最初からだろ、という指摘については、ここではあえて言及しないことにする。



ピーンポーン  ピーンポーン



しばらく間を置いて、再びインターホンが鳴り響いた。

いたずらな風の仕業とか、誤作動とかいうわけでもないらしい。

ぼさぼさ頭をがりがりかじりながら「へいへい」とだるそうな声を扉に向けた。

これで扉の向こうにいるのがキリスト教の勧誘員だったりしたら、神の名の下に殉教してもらおうかとか冗談混じりに考えながら、



「はい、どちら様で……」



隆也は、そこに立っていた人物を見て、文字通り目が点になった。

ふわりとウェーブがかった透き通ったブルーの髪に、それと同じ色の瞳が隆也を見上げていた。

そこにいたのは、背丈が隆也の胸ほどまでしかない少女だった。

その容貌から、日本人ではないらしいことがわかる。

隆也から見て、……いや、世間一般的に見ても、十分に可愛らしいと言えるレベルに整った、少し幼い顔立ち。

その少女は、隆也も見覚えのある赤い服を着ていた。

24日の深夜未明、夜な夜な子ども達の部屋に忍び込んでは、ニーソックス……もとい靴下の中にプレゼントを押し込んでいくという伝説上の怪人……サンタクロース。

少女の着ているのは、まさしくサンタクロースの衣装だった。

しかも、ジャージにしか見えない無粋な長ズボンではなく、デフォルトでミニスカート。

状況が把握できない頭の片隅で、隆也は一言「グッジョブ!」と叫んでいた。

見れば見るほど、少女は魅力的な容姿をしている。

全くうだつの上がらない二流大学生の隆也とはえらい違いだ。

ことわっておくが、隆也は、決して不細工というわけではないのだ。

では二枚目かと言われると思わず口を閉ざしてしまうような、典型的な三枚目なのだった。

隆也は、別に女っ気が無かったから彼女がいないわけではないのだ。

ただ、ほんの少しだけ二次元に傾きかけていて、極貧生活を強いられている苦学生というだけだ。

特に、せっかく知り合いになった女の子と一緒に遊びに行く資金がひねり出せないので、自然と消滅していってしまう関係が多く、……結果的に、現在のような何の刺激も無い生活に落ち着いているというわけだった。

あまりに、哀しすぎる。

自慢ではないが、隆也はこれまで他人には思いやりをもって接してきた自信があった。

しかし、それでようやくわかりかけてきたのは、優しさで愛は変えないという一点のみ……。



(そんなことだから、世界は争いが絶えないんだ!)



そんな隆也の熱い思いは、真剣に書いてしまうと、ちょっとした論文になってしまうためここでは割愛する。

青い光を放つ目で隆也をまじまじと見つめていた少女は、目を細めて、にこっ、と隆也に微笑みかけた。

天使が笑ったように、隆也には思えた。

小さな桜色の唇が開いて、鈴が鳴るような声が、



「わざわざ来てやったんですから、せめて一回目のインターホンで出やがれです。このうすのろが、です」

「…………………………………、…………………………………は?」



あまりに予想の外過ぎたその言葉に、隆也は呆気に取られて、開いた口が塞がらなかった。

どうして、毒舌なのか。

しかも、一応ですます調になりかかって……いそうで、なっていない感じがする。

ものすごくおざなりな敬語。っていうか、全然敬ってねぇ。

隆也が現実に戻ってきたのは、少女が隆也の脇をすり抜けて一言、「きったねぇ部屋ですね」と言ったのと、ほぼ同時だった。

振り返って一瞥、隆也は反射的に、



「余計なお世話だ! じゃない、お前は一体何なんだ?」



少女は「はあ?」と呆れ返った顔で、



「見てわかりやがりませんか? サンタクロースです」

「……サンタクロースぅ〜?」

「フィンランド出身の純粋なサンタが来てやったですよ。ありがたく思いやがれです」



ふくらみきっていない胸を精一杯張って、そんなことを言われた。

来てやったとか何とか言われても、相変わらず隆也には状況が見えない。



「その純粋なサンタが、しがない一極貧大学生に何か用なのか?」

「用が無かったら来やしねえです。お前の進化の過程に取り残された脳にも分り易いように懇切丁寧に説明してやるですから、ひとまず座りやがれです」



まるで自分の家であるかのように横柄に振る舞う少女だったが、隆也は腹を立てることもなく、言われるままに少女の前にどっかと座り込んだ。

とりあえずは、少女から事情を聞くのが最優先だと思ったからだ。

隆也も、一応成人なので、その程度のことを考える頭はある。

明かりもついていない部屋で、自称サンタクロースの少女と向かい合っている自分を滑稽だなあと思っていると、「そうですね」と一拍置いてから、少女は思い出したようにぺこりと頭を下げた。



「まずは、はじめまして、です。フィンランド出身のサンタクロースのラウラ・アホというです。その処理機能の劣った脳のしわ一つ一つにしっかり刻み込んでおくといいです」

「あ、ああ。こちらこそ。七瀬隆也だ」



少女にならって、隆也もつい頭を下げてしまう。

その口調の悪さに反して、そのお辞儀があまりに綺麗だったので、少々面食らってしまった。

口調は、相変わらず毒づいていたにしても。



「ナナセ、タカヤ」



少女は、一つ一つの音をかみしめるようにぽつりと呟くと、口元でくすっと笑って、



「フッ、妙ちくりんな名前です。まあ、お前にはお似合いですよ」



小馬鹿にしたようなこの言葉には、さしもの隆也も少しだけカチンときた。

なんだよ、お前なんて、アホじゃないか。

人のことが言えんのかこのガキんちょは。

そうは思ったが、辛うじて喉でその言葉を押し留めることに成功した。七瀬隆也20歳は大人です。

それに気付かない様子で、少女は思い出しながらといった風な素振りをしながら、説明を始めた。



「ええとですね。今から一ヶ月くらい前に、フィンランドのヘルシンキ……フィンランドの首都ですよ……で、ユールにについての会議が行われたんです。あ、ユールっていうのは、日本でいうクリスマスのことですよ。その中で、世界的に見て、聖夜を一人きりで過ごすことを余儀なくされている人々が増えてきているという報告がされたんです。キリスト教の布教が届いている中では、特に日本がその傾向が強かったんですよ。これは2003年に日本に来ていたサンタクロースの調査報告によりますけどね」



そう言われて、隆也はなるほどなあと妙に納得してしまっていた。

隆也のように一人きりで過ごす学生もいれば、クリスマスと言えども仕事に追われて忙殺される勤め人も、日本には数多い。

クリスマスだからといって休暇が許されるのは、ほんの一部のキリスト教を国教とするような国だけだろう。

それでも、街はクリスマスの到来を謳い、聖夜を祝福するのだ。

挙句の果てには、そのギャップに絶望した人々が「クリスマス中止宣言」「クリスマスに反対!」「クリスマス撲滅にご協力を」なんて張り紙を刷り、水面下で懸命な活動を始める始末。

これを悲劇と呼ばずに、なんと呼べばいいのだろうか。



「それを深刻に見たサンタクロースの長老他、国際サンタクロース連盟の方々は、『全ての人々に聖夜を』をスローガンに掲げて、全世界的なユール普及計画の立案を発表。その先駆けとして、日本におけるサンタクロース派遣計画が試験的に実行に移されて、そうしてお前のところに派遣されたのが私というわけですよ。理解しやがりましたか?」

「……なんとか。信じ難いけど、ひとまず状況は飲み込めた、と思う」



前頭葉を押さえるように頭を抱えながら隆也が言うと、ラウラは薄く微笑んで、「頭のつくりが単純な野郎にしては上出来です」と言い放った。ひでえ。

しかし、まだ疑問も残っていた。



「それで、えっと、ラウラはどうして俺のところに?」

「わかりやがりませんか? 簡単なことですよ、こちら側の調査の結果、この辺り一帯で、一人で聖夜を過ごそうとしていた寂しい人間はお前だけだったんです。彼女どころか友達もいやがらねえなんて、きっとお前が人として残念な生き方しかしてこなかったからでしょうね。このオタク野郎、です。このニート野郎、です」

「俺はオタクだがニートじゃねえ! ……まあ、話はあらかた理解した。それで、ラウラは何をしてくれるんだ?」

「何もしねえです」

「は?」

「一人で聖夜を過ごそうとしてたお前と一緒に聖夜を過ごしてやるだけです。ありがたく思いやがれです」

「え、偉そうに……」

「タカヤは、私と一緒は嬉しくないですか?」



ずいっとラウラはが迫るように問い詰めてきて、うっと思わず隆也は息をのんだ。

口は悪いが、ラウラは見た目は可愛いし、クリスマスを一緒に過ごしてくれるなんて、たとえそれが彼女の仕事であろうとも、願ったり叶ったりだ。

しかし、その視線を直視するのは気恥ずかしくて、隆也は冷たいフローリングに目を落として、



「それは、まあ、う、嬉しいさ」

「素直で結構なことです。正直者は救われるですよ」



顔をほころばせたラウラを見て、やっぱりサンタじゃなくて天使なんじゃないかと思った。

同時に、これが本当に現実なのか怪しくなって、自分の頬を軽くつねってみた。

ぐい。痛かった。

もう一度。

ぐいい。やっぱり痛かった。



「何をしてやがるですか?」

「いや、実は夢なんじゃないかって思って」

「そんなことですか。……私が確認してやるです」



その一瞬、天使の微笑みが悪魔に変わった。

後ろ手に持っていた巨大な白い袋(どこから出したんだ?)をしっかりと両手で持つと、それを大きく振りかぶって、ラウラの青い目がキラーンと光を放った。



「ちょ、待」



ばすんっ☆



何かが爆ぜるような音と同時、巨大な袋にホームランされた隆也は、部屋の隅に高々と積み上げられていた年齢制限付きパソコンゲームの空箱、通称エロゲタワーに頭から突っ込んだ。

ガラガラと脆くも崩れていくタワー。

人があまりにも高く積み上げ過ぎた塔は、神の怒りを買い、天罰をもって崩されたという。

まるでそれはバベルの塔のようだった。

神じゃなくて、サンタだけど。



「どうです?」

「……どうやらこれは夢じゃないらしい」

「当然です。私はここにいるんです。勝手にお前の夢の世界の住人扱いするなよです」



ツンとして頬をふくらせるラウラを見上げて、あ、その表情グッド、とか思ってる自分は色々と末期なのかなあとか思いつつ、隆也はしこたま打ちつけた腰をさすりながら、よろよろと立ち上がった。

そして、隆也の一人じゃないクリスマスが始まった。



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