あとがき の前に、ちょっとブレイク?



もしも本編を見る前にこちらを見ている、という方がいらっしゃったら、本編を先に読むことをオススメします。

ネタバレを隠す気が無いので、本編の内容が何となく把握出来てしまったりします。

あとがきから先に見ている不届き者、戻れ、戻れえい!

普段から文庫本を買う前にはあとがきを先に読んでいるんだろう? 最低だな! あ、僕のことです(逝け











もう本編は読んだよって方は、どうぞ思う存分スクロールしてくださいm(_ _)m















































それではあらためまして、あとがきです。

「メリークリスマス☆グラデーション」、読んでくださってありがとうございます。

いかがでしたでしょうか? 多少なりともあなたにとって楽しめる作品であったなら幸いです。

元々は、「サンタクロースが空から降ってきて」みたいなノリのボーイミーツ物の形をとった単なるラブストになる予定だったのですが、

作者の精神状況等々の問題で、1と6〜7辺りのノリが少し違いますね、少しだけ申し訳なかったです。

今回の話では、文章中で、現在の日本のクリスマスについても僅かながら語らせていただきました。

先立つものが無ければ何をするにも不都合って部分は、本編で隆也が何度か思っているように、Janもそう思わずにはいられません。

日本の資本主義経済の下で、それは仕方の無いことなのですが。

そう考えると、本編に関わってくる「ヘルシンキ会議」のサンタクロース派遣計画も、何か社会というものの黒い陰謀を感じますね(?)



それでは、キャラクター……とは言ってもほぼ二人しかいないようなものですが、それについて言及します。



まず、本編の主人公である七瀬隆也。

基本的には、典型的な三枚目キャラを目指して書いていきました。

大学へは何となく惰性で通っていて、無気力というわけではないけど現状には満足していない……そんな感じを出したかったです。

オタク趣味の大学生って、こういう生活をしてるんじゃないかというJanの想像の一つの具現化でもあります(笑)

大人にならなければという部分と、まだ子どもの部分が激突し合っているといった面を誇張しようとしたキャラでもありますね。

物語の後半、彼はラウラを慕うあまり彼女を突き放しますが、決して彼はラウラを突き放したかったわけではないのです。

本編でも書いていますが、一緒にいたいと願うあまりに突き放さざるを得ない、そんな矛盾をも人は孕むことがある、そう言ったことをここでは書きたかったのです。

しかし突き放したことを、後々になってから後悔し始める。

隆也にはそんな人間の愚かさ、大好きな誰かを傷つけずにはいられない切なさを表したかった、展開の中でJanが思ったのはそういうことでした。



逆に、ラウラはそうではありません。

年齢の若さから(という解釈をJanはしていますが)ラウラは好きなものは好き、一緒にいたいから一緒にいる、ということを率直に出来る人間です。

年齢相応に、彼女は彼女なりに素直であろうとした。

彼女の羞恥心がそれを妨げるのですが、やはり最後には心からの願いがその羞恥をも乗り越えるわけです。

だからこそ、彼女は最後の最後に隆也のところへ戻ってきた、ということになります。

これが、ラウラが隆也のように別れの悲しさを忘れるために出会いの喜びをないがしろにしようとする人間だったら、この物語の結末は大きく変わっていたことでしょう。



しかし、彼らは再会した。

そのことが、作者として、とても嬉しく思います。

自分は、Janは、彼らを別れさせざるを得なかった、だがそれでも、彼らを再会させたい、幸せになって欲しいと思わずにはいられなかった!



物語はここでひとまず腰を下ろすことになりますが、彼らの物語がこれで終わったわけではありません。

これは、彼らの恋路(と便宜的に呼ばせてもらう)の始まりが当面の結末を迎えた、ということに過ぎない。

自分としては、この物語を、出来ることなら読むだけに留まらず、少なくとも「もし自分だったら」と思いを馳せて欲しいと願う。

そうであってこそ、本を読むということの価値は、少なくとも時間を浪費すること以上には上がるように思われるから。



ここまで読んでくださった方々、願わくば、思考を止めないでください。

ただひたすら考えること、考えざるを得ないというのが自分達の現状なのです。

幸か不幸か、隆也はそのことを無意識的に自覚していました。

だから何も考えず、ラウラが来てくれたことに対する幸せを素直に喜び、受け入れる勇気を持つことが、出来なかった。

しかし人間は考える葦ですが、考えなければ葦以下です、考えない人間の価値など、いかほどのものでしょうか。

Janは最後に、皆さんにそのことを投げかけたい。

そして、煩わしい人間関係を嘆くと共に、それでも人肌を求めざるを得ない矛盾と理不尽は誰でも持ち得ることを知ってほしい。

自分達は誰でも隆也のようになり得るし、誰でもラウラのようになることも出来るのですから。







2006年12月23日 冬の大三角、オリオン座の綺麗な深夜未明

ASIAN KUNG-FU GENERATION「君の街まで」を聴きながら。   Jan



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