プロローグ「アパートの住人」
大陸のほぼ中央に位置する都、ブレイヴァニスタ。
多くの冒険者で賑わうこの都には、他の都市に比べて大きな居住地がある。
その中にある、一定の家賃を月単位で払うことで入居できる仮住まい――アパートがなかなか冒険者には好評だった。
宿とは違い、自分の生活リズムでやっていける点が、人気の秘密なのだろう。
そのアパートの中でも、最も家賃の低い一室に、サーザイト・ルーヴェインは住んでいた。
必要最低限の生活道具しかなく、かなり片付いているためか、部屋にはあまり生活感がない。
唯一特徴的なのは、壁に掛けられた一振りの剣で、それが窓から差し込む光を反射して、鈍く光っている。
サーザイトの手には、何の飾り気も無い真っ白な便箋が握られていた。
今朝一番に彼の元に届いたものだ。
差出人は、山向こうの故郷で道具屋を営んでいる彼の両親。
内容自体は単純明快。
経営が多少苦しくなってきたので、生活支援がしばらく出来ないということだった。
「……流石に、ある程度稼がないとまずいんだろうな」
サーザイトは適当に便箋を放る。
この男も、十年ほど前までは、人が聞けば思わず唸ってしまう冒険者だったのである。
何を思ったか、ある日冒険をやめ、持ちかけられる依頼も断り続け、ふと気付けばサーザイトは三十六歳になっていた。
彼に憧れる娘も少なくなかったというのに、今では女っ気の欠片もない。
彼自身はそんなことを気にしている風ではなかったが、親からの生活支援が無くなるというのは流石に困るのだった。
家賃の払いなどは、そのほとんどを親からの支援に頼りきりだったのだ。
黙っていても金は入って来ない。
働くしかなかった。
それも、ある程度の期間務められる仕事が好ましい。
アパートの外へ出ると、天高く浮かぶ太陽の光で満ち満ちていた。
ここ数日は、文句のつけようのない快晴が続いている。
滅多に外に出ないサーザイトにとっては、微かな鬱陶しさを感じるだけだ。
気だるそうに空の青を見上げ、深々と溜息をつき、サーザイトはアパートの階段を下っていく。
と、降りた先で鈴の音が耳に届き、彼は足を止めた。
アパートの先の道を、箒でさかさかと掃いている少女が目に入る。
ここのアパートの管理人、リズ・アルベールである。
髪飾りの鈴が特徴的で、明るく社交的な性格から多くの人に親しまれている。
どうやらリズもサーザイトに気付いたらしい、箒を両手に持ったまま走り寄り、にっこりと微笑んで、
「ルーヴェインさん、お久し振りですか。おでかけですか?」
「ええ。そろそろ働き口を探そうかと思いまして」
おおっ、とリズはぽんと手を叩いて、
「それはいいことですか。いい仕事が見つかるといいですか!」
「……そうですね。それじゃ、急ぎますから」
リズの笑顔に見送られながら、サーザイトは重たい足を引きずるように歩いていった。
サーザイトが足を向けたのは、コミュニティと呼ばれている巨大施設だった。
そこでは古今東西の冒険者が集まり、大陸の様々な情報や依頼が集まる、冒険者御用達の場所である。
多くの冒険者で賑わうブレイヴァニスタが、冒険者達を少しでも支援するためにと作られた施設だ。
常に多くの冒険者が集まるここに、サーザイトもかつては度々足を運んでいた。
コミュニティに足を踏み入れるのは、やはり十年振りである。
中は、冒険する者の熱気で、どこか活発な空気が流れていた。
ここは十年経っても、全く変わっていないなと思いながら、サーザイトは窓口へと向かう。
「すみません。長期の依頼情報を頂きたいのですが」
窓口で依頼の情報が掲載された冊子をもらい、そのまま入り口前のホールの椅子に腰掛け、ぱらぱらとページをめくる。
長期の依頼で、しかも自分にも出来る仕事となると、それなりに限られてくる。
専門的な仕事は、どう頑張っても出来ない。
サーザイトにあるのは、自身が経験してきた冒険で身についた知識くらいのものなのだ。
しばらくして、一つの募集が、サーザイトの目に留まった。
『募集:臨時講師一名 任地:クエスターズ(ブレイヴァニスタ) 条件:冒険の知識ある方』
クエスターズというのは、ブレイヴァニスタにある冒険者育成専門学校のことだ。
幼い頃から戦闘技術や知識を身に付けることで、能力のある冒険者を輩出するために国家が設けた施設である。
国家が管理する機関なので、当然生半可な能力の者は採用されないだろう。
それ以前に、国家機関であるのなら、人材は国家が直接決めることが多いのではないか。
にも関わらず、コミュニティに募集があるというのは……
サーザイトは、しばらくその簡素な広告を見つめていたが、やがてそこへ申し込むことを決意した。
一番の理由は、
『給与:月給三万イール(別途手当て有り)』
給与が高いことである。
武器・防具屋の仕入れ等の仕事を一月やっても、せいぜい二万イールといったところなのだ。
流石国家機関。
しかし理由はそれだけではない。
講師という職に、多少の興味があったということもある。
そんな程度だ。
一つ付け加えるとすれば、サーザイトもやはり冒険を捨て切れないでいたと、それだけのことだった。
「クエスターズですか。ここ辞める人が多いからか、最近申し込みが少なくて困ってたんですよねー」
申し込みを頼んだとき、窓口の女性がふとそんなことを言ったのを聞いて余計に不審に思ったサーザイトだった。
そして、その翌日。
サーザイトは、クエスターズを訪れていた。
コミュニティを通して申し込みをしたところ、すぐさま面接を執り行うと先方から連絡があったのだ。
妙に急いでいるなと思った。
この時も、何かおかしいとサーザイトは思っていた。
仮にも、かつては冒険者をやっていたのだ、こういう時の自分の勘が正しいことを彼は知っていた。
何かこの話には裏がある。
その裏が何なのかまではわからないが、今更後には引けない。
クエスターズに着くと、すぐ奥の応接間へ通された。
目の前に出された茶をすすりながら、待つこと十数分。
「待たせたの」
応接間の扉を開けたのは、まだ年端もいかない少女だった。
紅茶色の髪を揺らしながら、サーザイトの正面に腰掛け、微かに笑う。
その笑い方は、屈託無い少女の笑みではなかった。
愛想笑いとでも言うのだろう、その目は笑っていない。
サーザイトも、馬鹿ではない。
目の前の人物が何者かというくらいは知っている。
ここクエスターズの教師長であり、長寿の一族と噂されている人物、ローレンシア・アルテラスだ。
「驚いた……まさか直接あなたが来てくださるとは思っていませんでしたよ。ミス・ローレンシア」
「臨時とはいえ、ここで働いてもらう講師の面接じゃ、当然であろ。まぁ、今回は別に理由もあるんじゃが……」
笑みを崩し、疲れたように溜息をついたローレンシアは、抱えてきた書類を机に並べ始める。
「早速じゃが、サーザイト。おぬしにやってもらいたい仕事は、卒業間近の生徒四人を卒業させることじゃ」
「卒業……ですか?」
クエスターズでは、明確な卒業する時期は存在しない。
必須となる戦闘技術と知識を覚え、それぞれの教師の出す卒業課題をクリアした者から順々に卒業していくシステムだ。
入学時期も特に決まっていないため、同じクラスにいる生徒の年齢が違うということもかなり多い。
ローレンシアは机の上の資料から、四枚を選別してサーザイトの前に置いた。
顔写真の貼られた、ここの生徒の学生証である。
「おぬしに受け持ってもらうのは、この四名じゃ。優秀な生徒なんじゃが、色々と問題があってのう……」
再び溜息。
「知識を詰め込んだだけの教師では、この四人は荷が重いらしくての。一週間もしない内にわしに泣きついてくるんじゃ。
『お願いだからあの四人の担当から外してくれ』とな。それで外部から臨時講師という名目で募集をかけていたんじゃよ」
「なるほど」
「まあ、その点おぬしなら安心じゃな。サーザイト・ルーヴェイン。おぬしほどの冒険者はそうはおらんじゃろ」
「……どうでしょう。やってみなければわかりませんね」
「ほう、ではやってくれるのか」
「やれるだけのことはやらせていただきますよ」
「なら、決まりじゃな」
にっこりとローレンシアは微笑んだ。
今度は愛想ではなく、心からの笑みであるようにサーザイトには見えた。
あと十も若ければ、彼も胸を高鳴らせていたかもしれない。
「資料を渡しておくから、読んでおいてくれ。三日後から働いてもらうでの。また三日したら来てくれ」
サーザイトは頷いて、ローレンシアから資料を受け取ってから、クエスターズを後にした。