第五十六話「人間らしく」


 サーザイトとコルバートが刃を交えてから二日が経っていた。

 ぽかぽかと暖かい午後の昼下がり、ブレイヴァニスタの商店街は活気に溢れている。

 そこを行き交う人の波に、サーザイトはいた。

 人々の喧騒がどこか遠くの世界から響いているように感じられる。



「『先生、また浮かない顔をしてますの』」



 脇を歩いていたユユの声がすっと耳に入ってくる。

 視線を向け、返事をしようとしてサーザイトは口を開く。

 が、開いた口から言葉が出てこない。

 思考が一つに偏りすぎていて、会話すらままならなかった。



「ああ……」



 結局サーザイトの口から漏れたのは、そんな溜息にも似たものだった。

 見上げるユユの目が僅かに細まる。

 どうやら不機嫌になったらしい。

 そうわかる程度には、サーザイトはユユを知っていた。



「『クーのことを考えてましたのね』」

「まあな」



 今度はすぐに返事をする。

 二日前に馬車を借り、ブレイヴァニスタに着いたのが昨日の昼過ぎ。

 ククルーの意識は未だに戻らなかった。



「クス……『先生、私達が焦っても仕方ありませんの』」

「それはそうかもしれないがな」



 そうわかっていても、サーザイトの胸にはある感情が渦巻いていた。

 今回の事態は、自分の片割れであるコルバートが原因。

 つまり、自分の問題に皆を巻き込んでしまった。その結果がこれだ。

 罪悪感がサーザイトを沈ませていた。



「『先生、どこかお店に入りませんの?』」

「ん? ああ……」



 いつものサーザイトなら、絶望的に体力の無いユユを気遣って、いの一番に提案していたはずだった。

 二人は並んでいた店の中から一番近いカフェテラスの席に座る。



「『ブラックティーを二つお願いしますの』」



 注文を取りに来たウェイトレスに、ユユはメニューも見ずにそう言った。

 かしこまりました、とウェイトレスは店の奥に姿を消す。



「クス……『そういえば、二人でこうして出かけるのはこれで二度目ですの』」

「……そうだな」



 ククルーはブレイヴァニスタに着いてからすぐに負傷者を治療するための施設、通称ターミナルに送られていた。

 ターミナルには回復魔法専門のヒーラーが何人も常駐しており、多くの冒険者達が利用している。

 しかし、いくら彼らが回復魔法を専門にしているからといっても、一日に何百人という数の利用者達全てを看ることなど出来ない。

 ククルーがすぐに治療を受けることが出来たのは、その傷が深かったこともあったが、ローレンシアが直々に手配してくれたからでもあった。



「『デートをするのは、殿方では先生が一人目の人ですの。全体では二人目ですの。もちろん初めてはエンジェですの』」



 サーザイトの言葉が少ないという部分を差し引いても、今日のユユはやけに饒舌だった。

 その明るい口調は、あまりユユに似つかわしくない。

 なぜユユはこんなに明るくしていられるのだろう。

 サーザイトがそう思っていると、先ほどのウェイトレスがやってきて、カップを二つ置いた。

 ほろ苦い香りが鼻腔をくすぐる。



「『先生、ミルクと砂糖はいれますの?』」

「いや……」

「クス……『そうですの。でも、ローレンシア先生は砂糖をたくさん入れるのが好きみたいですの』」



 カップに口をつける。

 病的なまでに白い喉がこくりと動く。



『あら……思ったよりおいしいですの。やっぱり純粋に味と香りを楽しむならストレートが一番ですの』



 そう言って頬を綻ばせるユユを、サーザイトは怪訝そうに見つめていた。



「『先生、早くいただかないとせっかくのお茶が冷めてしまいますの』」



 サーザイトは返事をしなかった。

 無言のままカップを手に取り、香りを楽しもうともせず茶を喉に流し込む。

 少し苦い。感想はそれだけだった。



「はー……『このお店は悪くないですの。こんなときでなければエンジェやイリスも連れてきましたのに、残念ですの』」



 その言い方に、サーザイトは苛立ちを覚えた。

 ユユの言う通り、今は「こんなとき」なのだ。

 二人でこうしてお茶などを楽しんでいる場合ではないのではないか。



「……お前は、ククルーのことが心配じゃないのか?」



 言ってしまってから、サーザイトは自分の発言を後悔した。

 飛び出した言葉はもう戻らない。

 だが、それはユユの表情を僅かでも揺らがせることはなかった。

 ゆったりとした動作でカップを置いてサーザイトに視線を向けたユユの顔は穏やかだった。



「クス……『結論から言えば、心配じゃありませんの』」



 サーザイトの予想とは外れた返答だった。



「どうしてだ? ククルーはお前にとって……」

「『仲間であり、大切な友人。そう思ってますの』」



 口にしようとした発言を先回りされ、サーザイトは開きかけた口を閉じる。



「クス……『大丈夫ですの。クーは必ず助かりますの。少なくとも死ぬことはありませんの。だから心配しませんの』」



 きっぱりと断言する。

 明らかに確信を持っている、そんな響きがあった。

 どうしてそんなことを言い切れるのか――そう尋ねようとして、やめる。

 もしかしたら、ユユは自分のことを元気付けようとしてくれているのかもしれない。

 今日、部屋でぼんやりと過ごしていた自分を外に連れ出してくれたのも、今にして思えば彼女なりの気遣いだったのだ。

 考えてみれば、彼女は基本的にはインドア派だったことをサーザイトは思い出した。



「あのな、ユユ」



 カップを傾けかけたままの状態で、ユユはサーザイトの言葉を待つ。

 だが、サーザイトが言葉を続けるまでには、数十秒ほどの時間を要した。

 人々の喧騒の中で、二人の回りだけに静寂が訪れる。



「ありがとうな」



 結局サーザイトが口にしたのは、そんなありきたりな言葉だった。

 自分自身の口下手さ加減に嫌気が差したサーザイトだったが、それだけでユユには十分だったらしい。



「クス……『どういたしましてですの』」



 いつもの怪しげな笑顔で言うユユを見て、サーザイトは今日初めて笑った。



「お前はおかしな奴だな。最初に会ったときから、何を考えているのかよくわからないところがあったが、

これまでの付き合いを通して、少しはお前という人間を理解したつもりでいた。だが、またよくわからなくなった」

「クスクスクス……『ミステリアスは私の魅力の一つですの』クスクスクス……」

「それを自分で言うのはどうかと思うが」

「『あら、先生。今のは笑うところですの』」



 言外に「冗談のわからない男だ」と言われた気がした。

 サーザイトは誤魔化すようにカップの中を全て空にする。

 もう冷めかけていたが、喉を流れていく液体からは、先ほどよりもずっと良い香りがした。



「この店は悪くないな」

「クス……『それ、さっき私が言いましたの』」

「そうだったか?」



 自分がつい先ほどまでいかに余裕がなかったか、ようやく自覚する。

 心配したからといって、ククルーが助かるわけでもない。

 頭ではわかっていても、そういった感情を制御するのがサーザイトは苦手だった。

 それを「人間らしい」やら「素直で好感が持てる」と評する者が彼の友人の中には多かったが、

 その性格をサーザイト自身は、精神的に未熟であると感じている節があった。

 激情のままに行動をして、良い結果に転がることなどないことを彼は今までの経験から学んでいた。



「『彼……コルバートは、先生にそっくりですのね』」



 ユユの発言は唐突だった。

 その話題を振られるとは思っていなかったサーザイトは、一瞬間を空けてしまう。



「そうでもないんじゃないか」



 下手くそな嘘だな、とサーザイトは口には出さず思う。

 しかし、コルバートのことをユユに話すつもりはなかった。

 これは自分たちの問題であり、その関係や事情を話すのは、彼女達を巻き込むことに繋がりかねない。

 今の発言は嘘だと気付かれているだろうが、それでもコルバートと自分の関係について話す気にはまるでなれなかった。

 今回のような事態になってまでそう思うのは自分勝手だとわかってはいたが。

 ユユが口を開く前に、サーザイトは話題を切り替える。



「良い気晴らしになった。礼を言うぞ、ユユ。まさかお前から茶に誘われるとは思ってなかったが。随分と人間らしくなったんだな」



 ほんの少しだけ間があった。



「『先生? それ、全然褒めてませんの』」

「あー……それもそうだな。まあ、なんだ、すまん」

「『別に……気にしてませんの』」



 そう言ってから、緩慢な動作で立ち上がる。

 その一瞬の間だけ、ユユの表情には少女らしい笑顔が浮かんでいたが、

 フードの陰に隠れたそれにサーザイトが気付くことはなかった。

 サーザイトも、二人分の代金をカップの下に挟んでから席を立つ。



「ユユ。この二つ先の通りに美味いレストランがあるんだ。茶と順序が逆な気もするが、もし良ければ一緒にどうだ?」

「クス……『先生も少しは女性のエスコートというものがわかってきたようですの』」



 そう言って笑うユユに対して、サーザイトは素直に尊敬の意を持った。

 友人であるククルーの身を案じるのは当然のことだが、その上で周囲にも気を配るのはとても難しいことだ。

 現に、サーザイトは感情の制御が出来ず、あろうことかユユに八つ当たりめいた言葉すら発してしまった。

 心配ばかりしていても仕方が無い、それなら今自分に出来ることをしよう。



(とりあえずククルーが目覚めたら、笑って「おはよう」と言ってあげようか)



 そうなると、今の内に笑顔の練習でもしておくべきだろうか。

 そんなことを思いながら、サーザイトはゆっくりと歩き始めた。











 サーザイトに数歩遅れて歩くユユは、自分の口元が奇妙なほど緩んでいるのを感じていた。

 その理由は明白だった。



(人間らしい……そう言ってもらえましたの)



 否定はしたものの、ユユにとってそれは最大限の褒め言葉だった。

 それは、ユユがユユであったときから、漠然と、しかし確かに持っていた欲求を満たしてくれる言葉だったからだ。

 こんなことではいけない、そう思ったユユは指で自分の口元を無理矢理引き締めようと試みる。

 自然と笑顔になってしまう今の気持ちは決して不快ではなく、むしろ心地よいとさえ思えるものだったが、

 無防備な笑顔している今、サーザイトが振り返ったりしたら自分は困ってしまう。

 その理由はわからなかったが、なんとなくユユにはそう思えてならなかった。

 その感情を「羞恥心」であるとユユが気付くには、まだ時間が必要だった。



(本当はあのコルバートという方のことを聞こうと思いましたけれど、今は許してあげますの)



 本当なら、友人を傷つけた人物とサーザイトの関係を知りたかった。

 いざとなれば、無理矢理聞き出してもいいとさえ思っていた。

 そうしなかったのは、ユユがサーザイトに対して敬意を持っていたからだ。

 その力を使うのはとても『人間らしく』ない。

 思考を巡らせているうちに、ユユは元々サーザイトに伝えるつもりだったことを失念していた。



 もしもコルバートが再び仲間を傷つけたら、それがどんな理由であれ、自分は彼を殺すだろう。



 ただそれだけのことをユユがサーザイトに伝えることは、ついになかった。