第五十三話「命の限り」
イリスの一撃は、例外なく必殺級の威力があった。
何気ない一発も、強化された身体は大木を薙ぎ倒す力を秘めている。
そのイリスに接近戦を挑むのは、死地に飛び込むことと何ら変わりない。
だからこそコルバートは接近戦を挑んでいた。
武器は既にイリスに握り潰されて手元にない。
しかし、今の彼にとっては元々剣は飾りのようなもの。
武器というのは、自分の使える能力のことだ。
そしてそれを扱う自分自身、命そのものこそが武器と言える。
どうやらそれは相手も同じ。
命と命の削り合い。
ずっと望んできた戦いがここにある。
コルバートの顔が狂喜に歪んだ。
もしかしたらこいつなら、死に損ないの自分を、ぶち殺してくれるかもしれない。
何十度目かのぶつかり合い。
既に利き手である左拳は砕かれている。
動くたびに右胸に激痛が走るのは、あばら骨でも折れているのか。
それでもまだ相手の大剣による一撃は食らっていない。
が、油断は出来ない。
イリスの攻撃には、牽制というものがない。
その全てが自分を殺そうとしてくる。
そうでなくては面白くない。
再び踏み出そうとした足を、ふと止める。
その進む先に、サーザイトが立っていた。
「なんだサーザイト。お前も参加希望か?」
「いや、俺はただ目の前で誰かが死んでいくのを見たくないだけだ。それが知っている奴なら尚更な」
スウっとコルバートの表情が消える。
それは、今のイリスによく似ていた。
怒りと殺意、それら二つが混ざり合い、他の感情を全て押しのけた人間の顔。
「十年経っても変わってねえ。相変わらずの糞野郎だな、お前は」
「奇遇だな。俺も少し前まではそう思ってた。でも、やっぱりお前は俺だよ。それは否定しようのない事実だ。
俺はお前を否定しない。だからそろそろ、お前も俺のことを少しは認めてもいいんじゃないのか?」
「もう、話すな」
言葉尻が、震えた。
「そのお前が、リーズを殺したんだろうが」
「……俺はお前に感謝してるよ。お前がそう思ってるってことは、俺はリーズのことを諦めてなかったんだと思える」
「ふざけたことを言いやがるな! もういい、ここで終わりにしようぜ」
「ああ。だけど、少しだけ違うな」
サーザイトは剣を引き抜き――投げ捨てる。
その場でコートも脱ぎ捨て、拳を数度握った。
自分という存在が、確かにここにある。
そんなことをふと思った。
しっかりと目を開き、前を向く。
「ここからまた始めるんだ」
旋風が身体を巻いている。
イリスはしばらくその流れに身を任せていたが、不意に片足を軽く持ち上げた。
そのまま力任せに地面を踏みつける。
衝撃で風が引き千切られた。
一歩踏み出そうと足を動かし、
「イリス・アースグランド、動くな」
途端に身体が自分のものではなくなったかのような感覚に捕らわれる。
どんなに力を込めても、ぴくりとも動かせない。
クス、と見慣れた笑みが目の前にあった。
「クス……『無駄ですの、イリス。私の言葉は物理的な力では決して破れませんの。諦めて楽にするのが賢明ですの』」
「邪魔しないで、ユユちゃん。あんまり余計なことをすると、いくらユユちゃんでも怒るよ」
殺気を孕んだ視線が向けられる。
が、闇のエレメントの影響で、常に死と隣り合わせのユユにとっては柳に風。
苛立った様子のイリスに、ククルーが静かに歩み寄る。
視線がぶつかり合う。
別れていたのは、ほんの僅かな時間。
それなのに、随分長い間会っていないような感じがした。
短い間に色んなことが起こりすぎて、互いに変わってしまった。
それでもククルーは信じていた。
二人が、大切な友達同士だということを。
「クーちゃん……無事で良かったよ」
「うん。イリスも。怪我、心配だった」
「知らない内に治っちゃった。だから心配いらない」
そうは言っても、心配は尽きない。
ククルーは唇をきゅっと噛み締める。
もう、逃げるのはやめにする。
そう誓ったのだ。
「イリス。もうやめて。誰かを殺すとか、そんなこと言わないで」
「どうして? あいつはカテリナさんも、ユリウスさんも、オーランドさんも殺したんだよ?
だから殺されて当然だよ。それにクーちゃんもひどい目にあわせた。絶対に私は、許さない」
イリスの言っていることは、基本的には正論だと思った。
因果応報。
殺したのだから、殺される、それが自然なこと。
でも、そうではない。
人の命というものは、そんな理屈で語れるほど単純なものじゃない。
「違う……違うよ、イリス。人の命をそんな風に考えちゃだめ」
「だって、あいつは殺したんだよっ!?」
怒号が空気を震わせた。
「私が許したら、誰があいつを裁いてくれるの? 殺された人たちの未来を奪ったあいつを、私は許せないよ!」
「だから殺すの?」
「そうだよ!」
「そんなの、間違ってる」
「だったら! 何が正解なの?」
「わからないよ、そんなの誰にもわからない。それに、答えは無理をして見つけなくていい」
すう、と大きく息を吸って、告げる。
「私にそう言ってくれたのは、あなただったはずだよ、イリス」
イリスが僅かに俯く。
小さくその口が動いた。
「……ごめんね、クーちゃん。それでも私は、大切な人を傷つけた人を許せるほど、強くはなれないよ」
ククルーの制止も聞き入れず、再びイリスはユユの拘束から逃れようともがき始める。
「イリス! イリスにならわかるはずだよ! こんなことしても何にもならないって!
一緒に強くなろうって約束したの、覚えてるでしょ? 自分の弱さに負けちゃ、だめ」
必死に声を張り上げる。
殺し、殺される負の連鎖。
そこにイリスがいるのが我慢ならなかった。
自分の大切な友達は、太陽のような笑顔をくれる女の子。
明るく元気だった頃に戻って欲しかった。
そんなククルーの願いとは裏腹に、イリスは哀しげな笑みを浮かべる。
「ごめんね、クーちゃん。もう、あの頃みたいには笑えないよ」
「そ、そんなこと……」
「お喋りはこれでおしまい。もう行かせてもらうね……!」
ぐぐぐ、とイリスの腕が僅かに動く。
ユユの目がスっと細められた。
「これ以上、邪魔するな――っ!」
ユユにだけ、拘束の解かれた音が聞こえた。
ツ……と口元に血がこぼれる。
炸裂音。
イリスが大地を蹴り、跳んだ。
が、その足に風が纏わりつく。
「邪魔しないでクーちゃん! クーちゃんとだけは戦いたくない!」
言葉と同時、剣を振るう。
風が生まれ、更にイリスは木の葉のように上空へ舞い上がった。
殺意にとり憑かれていても、イリスがククルーを思う気持ちには変わりがない。
それを感じ、僅かにククルーは安堵する。
それなら、まだ間に合う。
殺意の呪いから、イリスを救えるかもしれない。
いや、絶対に救う。
そのためには、一番大切な友達とも――戦う。
それがククルーの覚悟だった。
「くううっ」
自分に向かってくる風の渦を切り払いながら、イリスは苦々しいといった表情を浮かべる。
それでも、ククルーに攻撃をしようという素振りは一切見せない。
どんなに変わってしまっても、イリスはやはりイリスなのだ。
早く前のような笑顔を取り戻して欲しい。
その一心で、ククルーは残り少ない魔力を振り絞っていた。
だが、命を削って戦っているイリスに対し、既に消耗し切っていたククルーの魔力の底は、やはり早い。
小竜巻ともいえる威力の風は、次第に弱まっていき、イリスの動きを制限出来なくなっていく。
ククルーの呼吸は荒く、額には玉の汗がこぼれる。
「『クー、無理をしてはいけませんの』」
「……ありがとう、ユユさん。でも、いいんです」
つうと汗と一緒に、噛み千切った唇の血が流れる。
「今無理をしなかったら、どこで無理をすればいいのか、私にはわかりませんから」
「クス……『そうですの。それなら、何も言いませんの』」
ユユの声を耳にしながら、ククルーは足を前へと動かす。
遠距離攻撃を主とする魔法を連発するには、もう魔力が残っていない。
魔力のなくなった魔法使いは、足手まといでしかない、それはわかっている。
それでも、イリスを止める。
そのことに関しては、どんなことがあっても諦められない。
友達のためなら、この身体が動く限り、命の続く限り、やってみせる。
だから、その足で大地を掴み、蹴った。