第五十一話「接近」


 コルバートから目を離さないまま、サーザイトはククルーへと歩み寄る。

 半ば放心状態だが、どうやら怪我はなさそうだった。

 安堵は一瞬。

 サーザイトは振り返り、夕闇に紛れそうな漆黒の衣を呼びつける。



「ユユ。お前はククルーを連れて少し席を外しててくれ。……俺はこいつと話がある」

「クス……『わかりましたの』」



 ゆらりと陽炎のように現れたユユは、ククルーの手をそっと引いてその場を離れていった。

 二人の気配が遠ざかるのを確認してから、サーザイトは意識をコルバートに向け直す。



「初めましてと言うべきか、それとも久しぶりだなと言うべきかな」

「どっちでもいいだろ。どっちでも合ってるし、どっちでも俺達にはあまり意味がねぇ」



 フードを外し、コルバートが言った。

 同じ顔。

 年齢の違いは明らかだが、顔のつくりはほぼ同じと言っていい。

 自分と同じ顔を持つ男を、サーザイトはどこか感慨深い気持ちで見ていた。



「十年振りだな。こうして自分自身に会うのは」

「黙れよサーザイト。俺はコルバート・ブラッドリィだ。サーザイト・ルーヴェインなんかじゃない」



 その声には、激しい感情を押し隠した色がある。

 ともすれば爆発してしまいそうな、ほの暗い意識――憎しみ。

 それを抑えつけながら、コルバートは対峙していた。

 対して、サーザイトは落ち着いた素振りだった。



「ククルーに自分を殺させようとしていたな」

「お前が気に入ってただけあって、魅力的だったなあれは」

「死にたがりは、結局、お前がお前の中のサーザイト・ルーヴェインを壊したいから、そうだろう?」



 生ぬるい風が二人の間をすり抜けていった。

 逆に、身体の芯は冷え、思考は刹那にて冴え渡る。

 二人の距離が、ゼロになった。

 横薙ぎの一撃を、剣を盾代わりに受ける。

 十字の閃きが瞬きの間に散った。



「ちっ」



 がちがちと刃がこすれ合う。

 力は、ほぼ互角。

 が、コルバートは笑った。

 力が互角なら――俺が負けるはずがない。

 サーザイトが腕に力を込め、コルバートの剣を弾く。

 その瞬間、赤い弾丸が夜を駆けた。
 舞い踊る鮮血ダンシングブラッド

 放たれた血液が、雨のようにサーザイトに降り注ぐ。

 一つ一つが水滴ほどの大きさしかない弾丸を剣で叩き落すのは不可能。

 そう見るや、後方へ跳んでいたサーザイトは、着地と同時に右脚を踏みしめ、左側へ身を転がせる。

 先ほどまでサーザイトがいた場所、その後ろの木々に赤い傷跡が刻まれる。

 体勢を立て直すと、既にコルバートの二撃目が放たれていた。

 が、今度は避けない。

 左腕の力を抜いたまま、眼前の空間を切り裂いた。

 『空裂』。

 赤い線はことごとく散らされ、突き抜ける衝撃はコルバートを襲う。

 コルバートはそれを半身になるだけでかわした。

 背後で木の肌が炸裂する音だけを耳にする。

 一瞬の攻防。

 沈黙。



「十年も腐ってた割には、動けるらしいな」

「ブランクを取り戻すために色々とやってきたからな。それにあんまり手応えがないと『俊剣』に失礼だろう」

「俺をその名で呼ぶんじゃねぇ。俺は『血塗れコルバート』だ」



 苛立ったような声。

 しかしコルバートは、直後ニヤリと口の端を吊り上げる。



「かと言って、今のお前に『俊剣』を名乗る資格はない」

「……わかってるさ」

「なら、俺がお前であることを認めたくない理由もわかるだろ。糞サーザイト」



 コルバートの不敵な笑みが、激しい憎悪に塗り潰される。



「なあ、勇者殺しのサーザイト」

「……もちろん、それも、わかってる」



 そこではじめて、サーザイトに変化があった。

 垂れ下がった眉が、僅かに持ち上げる。

 その目に確かな光が灯った。



「あの日、俺は彼女からも、お前からも逃げ出した。ずっとずっと逃げ続けてきた。

それが何の解決にもならないことはわかっていたにも関わらず、今日という日まで目を逸らし続けてきた。

だが、それではだめだとようやく気付けたんだ。だからこそ、俺はお前に会いに来た」



 言いながら、サーザイトは自分の中で熱が生まれていくことに気付く。

 熱い。

 その熱さが心地よかった。

 目の前の相手は、一切の手加減をしてこない。

 同時に、自分は一切の手加減をするべきではない。

 いや、してはいけない。



「俺に勝てるつもりか?」

「勝たなくちゃいけない。ここで勝てないようなら、俺は十年前にくたばっているべきだった」



 くくっ、とコルバートがおかしそうに笑う。



「そこだけは肯定しておいてやる」



 再び二人の言葉が途切れる。

 風の音さえ今は止んでいた。

 かっと目を見開く。

 形見の剣、その柄を力強く握り締める。

 これから始まる果てない闘争。

 自分自身との、そして過去との決着を決める戦い。

 その引き金を引く一歩を、サーザイトは踏み出そうとし



 ――ぞく



 突如感じた悪寒に、思わず動きを止めた。

 全身から汗が噴出す。

 にも関わらず、底冷えを感じる。

 同じことをコルバートも感じたのか、驚きを露にした顔でその場に立ち尽くしていた。



「こ、こいつは……?」



 そこにいるだけでわかる。

 二人が今感じているもの。

 太陽の光を食らう夕闇のような、有無を言わさぬ強大な敵意。

 物理的な力さえあると錯覚させるほどの殺気が、近づいてきていた。



「悪いなサーザイト。せっかくだが一時休戦だ」



 コルバートは、汗に滲んだ額を拭う。

 その顔には、楽しそうな笑みがあった。



「気の早いお客様がいらっしゃいやがった」











 二人の声が聞こえなくなる距離まで歩いてから、二人はどちらからでもなく手を離した。



「クス……『久しぶりですの、クー』」

「……ん、……そう、ですね」



 親しげに話しかけてくるユユに、なんとなく目を合わせづらい。

 「どうしてイリスと一緒にいないのか」と聞かれるのが、怖かった。

 自分の信念にそって行動してきたとはいえ、その中にやましいことが一つもなかったとは言い切れない。

 己の過ちを全て抱え込めるほど自分は強くない。

 ククルーはそう思っていた。

 だからこそ、信念にすがるようにして、ここまでやってきたのだから。



「……」

「……」



 空気だけが二人の間をゆったりと流れている。

 その沈黙が痛かった。

 伏せていた視線を上げてみるが、ユユは何をするでもなく、いつもの薄笑いを浮かべているだけ。



「……何も聞かないんですか?」



 つい、そう聞いてしまっていた。

 ユユはふと視線を上げる。

 その笑みが、ほんの僅かに柔らかくなった。



「『クーが話してくれるのを待ってますの』」



 だから自分の方から何か言う必要はない、言外にそう言っていた。

 友人に対する絶大な信頼が感じられる。

 それがククルーの胸を強く締め付けた。



「私は、そんなに強くない……」



 再会が気を緩めていたのか、無意識に口が軽くなっている。

 そう自覚したのは、既に言葉を発した後だった。



「エンジェレットさんみたいに、強くはありません」



 口に出したのは、初めてだった。

 自分の親友、イリスがエンジェレットに対して憧憬を抱いているのは周知のこと。

 だが、ククルーの持っているのはそんな綺麗なものではなく、むしろ嫉妬に近い感情だった。

 ――かつて、エンジェレットの強さを認めながらも、それを素直に受け入れなかったことを思い出す。

 あれは、本心では彼女の強さを妬ましく思っていたからこそだったのかもしれない。

 エンジェレットのようになりたかった。

 でも、彼女のようにはなれないとわかっていた。

 彼女は、自ら孤高を選んでいた。

 自分は、状況に流され、結果孤独になっただけ。

 それにすら耐えられず、イリスの明るさに甘えていただけの、脆弱な子供に過ぎない。

 と、ユユはゆっくりと立ち上がり、ククルーの正面に立つ。

 そのまますっと右手を差し出してきた。

 思わずククルーはぎゅっと目を瞑る。

 ――ぺち



 ……何事かと思った。

 でこぴん。  でこぴんされた。

 そう認識するのに、ククルーはたっぷり十秒ほどかかってしまった。

 クス、と変わらない笑みをユユは浮かべる。



「え、な、……なんですか?」

「クスクス……『叱ってほしそうな顔をしてたから、そうしたまでですの』」



 ひとしきり笑ってから、その視線がククルーを射抜く。



「『エンジェのように強くないなんて、当たり前のことを言いますの。

エンジェの強さは、エンジェのもの。クーはクーらしく強くあればいいですの』」

「そんなこと言われても……」

「『でも、事実ですの。それにクーが弱いのと同じように、エンジェも弱いですの』」



 思わず息が詰まる。

 あのエンジェレット・エヴァーグリーンが弱い?

 素直に相槌を打つことのできない台詞だった。



「クス……『信じられないって顔をしますのね』」

「あ、当たり前です……」

「『いいですの、クー。人にはそれぞれ違う強さがありますの。それと同じで、それぞれ違う弱さも持っているものですの』」

「人それぞれの、弱さ……?」

「『ですの。あの人のようになりたい。そう思うのは勝手ですの。でも、どうやってもその人と同じにはなれませんの。

どこまでいっても、その人はその人で、あなたはあなたですの。強さも弱さも、あなただけのものですの』」



 言われてみて、ようやく思い至る。

 自分が強いと信じてやまなかった、エンジェレット・エヴァーグリーン。

 あの人にも、自分とはまた違った弱さがあるかもしれない。

 そんな当たり前のことが、頭からすっぽり抜け落ちていた。



「エンジェレットさんも、私みたいに悩んだりするんでしょうか」

「クス……『するかもしれませんの。だって、女の子ですの』」

「……ユユさんも?」



 ユユは、少しだけ間を空ける。



「『秘密ですの』」

「あ……ずるいです」



 唇を尖らせると、ユユはおかしそうに口の端を持ち上げた。

 つられてククルーも少しだけ笑顔になる。

 笑ったら、ほんの少しだけ元気も出てきた。



「……不思議です。あまり話さないはずなのに、ユユさんの言葉からはいつも勇気と元気をもらってる気がします」

「クス……『そう言ってもらえると嬉しいですの』」



 暗い森に、二人分の笑顔が咲く。



「いずれでいいですから、ユユさんのお話も聞かせてください」

「『機会があれば』」



 言葉が途切れたのは、気配のせいだった。

 ざざ、と森がざわつく。

 全身の産毛が逆立ったような感触に、ククルーは心臓が跳ね上がるのを感じた。



「……ユユさん」

「『クー、感じますの?』」



 小さく頷く。

 短い間だが休みを取れたので、僅かながら魔力が戻っていた。

 風の領域を広げる。

 空気の流れが、まるで自分の肌のように敏感に感じられる。

 ――一つの殺意がサーザイト達に向かっている。



「二人のところに戻りましょう、ユユさん」

「『了解ですの』」



 二人は地面を強く踏みしめて駆け出す。

 走りながら、ククルーはユユの言葉を反芻した。

 強さも弱さも自分だけのもの。

 確かにそうだ。

 エンジェレットの強さは自分にはない。

 それと同じように、自分の強さはエンジェレットにはない。

 この自分だけの弱さを受け入れるのも立ち向かうのも、自分にしか出来ないことだ。



(弱さに酔っちゃだめ。その弱さときちんと向かい合う。そのくらいには強くありたい)



 口には出さず、ククルーは強くそう心に思った。