第四十九話「追走」


 盗賊のアジトにしては、やけに静かだった。

 リズはそのことを怪訝に思いながらも、埃臭い通路を歩いていた。

 腰元の剣(というか箒)の柄には手をかけている状態。

 これで何かあったときも、咄嗟に対応出来る。

 周囲の空気はひりついているが、リズ本人の身体にはむしろほどよい脱力が見られた。

 と、剣戟の響きを耳にし、意識が僅かにそちらを向く。

 エンジェレットが何者か――恐らくは敵――と遭遇したのだろう。

 こちらも気を引き締めなければ。

 そう思ったときだった。



「ご機嫌はいかが? 鈴の人」



 行く手から、声。

 いつの間に、と思う間も無かった。

 声を耳にした瞬間、反射的に一歩踏み込んでいた。

 考えての行動ではない。

 身体に染み込んだ動き。

 声をかけられてから始動まで、コンマ一秒の間もなかった。

 刃から鞘を取り去り、上半身の捻り、その勢いのまま声の主の喉元へ刃を突きつける。

 ――子供。

 子供ではないか。

 そう思うも束の間、リズの思考は刹那にて駆け巡る。

 こんな子供がなぜこんな場所にいるのか。

 そもそも、なぜ気配を感じなかったのか。

 リズの疑念を知ってか知らずか、目の前の少年は無垢な笑顔を浮かべる。



「皮一枚で止めるなんて、凄いね。達人の領域だ。でも、これ以上はやめた方がいいよ。

お姉さんかなり強いみたいだけど、僕には絶対勝てないから」

「忠告ありがとうございますですか。でもここで引くくらいなら、はじめからここまで来ないですか」



 柄を握る手に力を込める。

 切っ先が少年の首の皮を圧迫していく。

 あと数ミリ動かすだけで、その薄皮は裂け、動脈を傷つける。

 命そのものが流れ出てしまう。

 その存在が消えうせる。

 致命傷。

 他人に自分自身の運命を握られているはずの少年は、それでも無邪気に笑ってみせた。

 そして、こう言った。



「忠告じゃないよ。警告だよ」



 当たり前のような口ぶり。



「お姉さんがどんなに強くても、その攻撃は僕が"奪"う。だから絶対に、あなたは僕に勝てない」



 その言葉に、リズは確かに戦慄した。

 なにか、この子は危ない。

 ただ者じゃない。

 得体の知れない力を感じる。

 自分の刃が相手の命にあてがわれている。

 そんな状況にあって、全く自分が「有利だ」と思えなかった。

 こんな感覚は、『勇者』であるリズ自身、何度かしか感じたことは無い。

 しかし、なぜか不思議と懐かしさも感じていた。

 この少年の面影に覚えは無い。

 覚えがあるのは、その言葉。

 "奪"う。



(……あ、)



 まず脳裏に浮かんだのは、長髪の女性。

 いつも不敵に笑っている親友。

 ローレンシア・アルテラス。

 そして、ふと思い出した。

 そういえば、



(あのローラに)



 ただ一人歯向かい続けた、一匹の竜がいた。

 竜にしては翼も持たない、誰からも「出来損ない」と馬鹿にされていた子。

 それでも、あのローレンシア相手に、ついに一度も屈しなかった唯一の存在。



「あなたは……マルス、ですか?」



 少年の笑顔が、ぴたりと凍りついた。

 そのまますっと目を細めて、値踏みするようにリズを眺める。

 そして――より一層深い笑みになった。

 先ほどの笑顔よりもずっとにこやかで、優しげで、だからこそ、恐ろしい微笑みだった。



「どうしてお姉さんは僕の名前を知ってるのかな? 僕、名前を一度も言ってないよね?」



 沈黙。

 互いの視線と視線が絡み合う。

 静寂の中、リズは前触れも無く刃を引く。

 そこではじめて、その口元がほころんだ。



「『あなたは私からは何も"奪"えない。"奪"われる前に、私は与えるから』」

「……!」

「私達が初めて会った時に、私があなたに言った言葉ですか」



 リズの笑顔は、普段通りのもの。

 ローレンシアに対して見せるものと何ら変わりなかった。



「もしかして、リーズ?」



 リズ、とは言わなかった。



「久しぶりですか、マルス」



 ぱっとマルスの顔に笑顔が咲く。

 今までのものとは違う、小さな子供のような笑顔。



「うわ、うわーうわーほんとに? ひっさしぶり! 会えて嬉しいよ!」

「ですか」



 和やかな空気が二人を包み始める。

 かなり親しい関係であったことがうかがえた。

 が、リズはすぐに表情を引き締める。



「再会を喜ぶのは、私の任務が終わってからにしたいですか。

マルス、ナナイロを知っていますか? 私の任務はナナイロの奪還ですか」



 もう一つの任務――『可能なようなら"竜子"を潰せ』というのは、言わなかった。

 "竜子"は、自分達が奪われたものは必ず奪い返しにくる。

 だから潰せるなら潰せ、そう言ったのはローレンシアだ。

 だが、その"竜子"のリーダーがマルスなら、話は別だった。

 リズはマルスのことを『昔』からよく知っている。

 確かに彼の性格から言って、彼は自分が奪われたものは全力で"奪"い返しに来るだろう。

 それなら、どうしたらいいか?



「あ、うん。ずっと前に物置に放り込んどいたから、一緒に探しに行こうか」

「はいですか」



 簡単なことだ。

 奪うのではなく、もらえばいい。

 埃臭い洞窟の中、二人分の足音が響いていた。











「……何やってますの?」



 思わずエンジェレットはそう言っていた。

 鼻をつく臭いに、僅かに顔をしかめる。

 埃だけじゃない。

 かび臭い。

 その中に、二つの影がもぞもぞと動いていた。

 ちりん、と鈴の音がした。



「あ、エンジェちゃん。手伝ってほしいですか」



 埃で少し白くなった髪を揺らしながら振り返ったのは、リズだった。



「ナナイロがこの部屋のどこかにあるそうですか。封印が施されているとかで、魔力感知できないですか。

だから地道に探すしかないですか。だから一緒に探してほしいですか」

「その前に」



 エンジェレットは、視線を僅かに横に動かして、マルスを見る。

 どうしてこんなところに子供が?

 そう思ったが、それよりも先に伝えておきたいことがあった。



「私、先ほど例のコルバートとやらに遭遇しましたの」

「! 本当ですか? よく無事でしたか」

「えぇ。本人とは戦ってませんもの」



 一息おいて、



「リズさん、ローレンシア先生から私と同じクラスだった人たちの話は聞いてますわよね?」

「はいですか。イリスちゃんにククルーちゃんにユユちゃんですか」

「その内の一人、ククルーがコルバートと一緒にいましたわ」



 リズの呼吸が、ほんの一瞬だけ止まった。

 表情には出していない。

 現に、エンジェレットもその僅かな変化に気付かず、言葉を続ける。



「どうしてククルーがあんな男と一緒にいるのかわかりませんけれど、このまま黙って行かせるわけにはいかない。

敵の掃討もほぼ完了しましたし、私はククルー達を追おうと思いますわ。ナナイロ探しの方はお願いします」

「待つですか、エンジェレットちゃん」



 踵を返したエンジェレットをリズが引き止める。

 顔だけを半分戻し、エンジェレットは視線をリズに向けた。



「大丈夫。私も馬鹿じゃありませんわ。あの男と戦って勝てるなんて思っていない。

ただ、ククルーがどうしてあの男と連れ添っているのか、それを確かめに行くだけですわ」



 引き止めても無駄だ。

 その視線には、そう思わせる強さがあった。

 しかし、リズは首を横に振って



「違うですか。エンジェレットちゃん」

「え?」

「引き止めようってわけじゃないですか。私も一緒に行くですか」



 エンジェレットは少なからず驚いていた。

 事実上、任務とは直接関係のない行動をするのだ。  反対されたら、力づくでも行かせてもらう。

 そのくらいの覚悟をしていたのだが、杞憂だったらしい。

 だが、リズを律儀な性格だと思っていたエンジェレットには、疑問が残った。

 エンジェレットにはククルーを追う理由がある。

 リズにも何か、ククルーを、あるいはコルバートを追う理由があるのだろうか。

 あるとすれば、恐らくそれはコルバートの方だろう。

 少し考えてから、エンジェレットは思考をやめた。

 今いくら考えても無駄だと悟ったからだ。

 頭をどんなに動かしたところで、おかしな想像ばかり働いて、時間を浪費することしか出来やしない。



「わかりましたわ。でも、ナナイロはどうしますの?」

「それはもちろん」



 と、リズはマルスを見つめる。

 一点の曇りもない笑顔だった。



「見つけておいてくださいですか、マルス」

「はいはい。全くリーズってば、何度生き直しても人付き合いが荒いのは変わらないんだから」



 生き直す?

 エンジェレットはそれを聞いて首をかしげる。

 言葉の意味がよくわからなかった。



「エンジェちゃん行くですか。急がないと追いつけなくなるですか」

「え、ええ」



 リズに促され、エンジェレットは思考を中断する。

 二人はすぐさま部屋を駆け出した。

 ふとエンジェレットは思い出す。  ククルーが別れ際に言った言葉。

 「心配しないで」。



(無理なことを言うものじゃありませんわ)



 胸騒ぎがした。

 何かよくないことが起こりそうな、そんな予感。

 早まる鼓動がエンジェレットの焦燥感を煽る。

 とりあえず、ククルーの横っ面を平手打ちしたい気分だった。

 不安を誤魔化すように、ひたすら足を前へ前へと動かしていた。