第四十七話「捻くれ者と頑固者」


 殺気を感じたその方向に風を舞い上がらせる。

 視界に入っていようがいまいが、そんなものは一切関係がない。

 空気の流れと気配、視線、それらが敵の存在を教えてくれる。



「流石ですか、エンジェレットちゃん。お強いですか」

「リズさんこそ。まさかその箒が仕込みだなんて誰も思いませんわね」

「二重の意味で、お掃除しちゃいますか?」



 戦闘中だというのに、笑顔を見せる余裕すらあった。

 ローレンシアからは、元アパートの管理人だと聞いていたが



(なんなんですのこの人……へらへらしてて隙だらけに見えるのに、隙がない……?)



 一緒に戦っているエンジェレットも、困惑していた。

 リズは、一言で言えば強かった。

 しかし、その雰囲気が異質だった。

 戦場にいながらにして、彼女はピクニックにでも来たかのような穏やかな空気をまとっているのだ。

 一見、三百六十度、隙だらけ。

 エンジェレットから見てもそうなのだから、盗賊から見ればやりやすい獲物に見えただろう。

 そして、好機とばかりに飛び込んできた盗賊が間合いに入った瞬間



「せやっ」



 仕込んであった刀で、一閃。

 エンジェレットは、故郷にいたときに文献でそれについて読んだことがあった。

 遥か昔、果ての東国で生まれたという、鞘に収まった剣を引き抜くと同時に斬りつける技術。

 リズの攻撃法は、それに酷似していた。

 もし敵に回ったら、なかなか厄介な人ですわね、とエンジェレットは思う。

 戦士の間合いというのは扱う武器によって変わる。

 だが、大抵は己の前面から側面までを覆うドームのようなイメージをしてもらえれば、間違っていない。

 それに対し、リズはあらゆる方向からの攻撃に対処出来る。

 死角無し。

 それが近接攻撃を主体とする戦士にとってどれだけのアドバンテージになるか、エンジェレットはよく理解していた。



「さて、あらかたお掃除は終わったみたいですか」



 当初突入した際には湧き水のように後から後から出てきた盗賊達の姿がぱったり見えなくなっていた。

 とても敵わないと見て、撤退を始めたのだろう。

 懸命な判断だとエンジェレットは思う。

 ただ、それはあくまでも末端の話。

 恐らく、アジトであるここには奪われた物資が運び込まれている。

 先ほどまで戦ってきた雑魚とは別次元に強力な相手がいる可能性は否定出来ない。

 気をぐっと引き締める。

 自分は自分に出来ることを精一杯やるだけだ、そう思った。



「んー、結構中は広そうですか」

「二手に別れますこと?」

「そうしますか。でも、勝てないと思った相手に会ったらすぐ逃げるですか」

「わかってますわ」



 その辺りの判断が出来ないほと落ちぶれてはいない。

 リズは入り口を直進し、エンジェレットは左の廊下を進んでいくことにした。

 魔法鉱石がぼんやりと通路を照らしている。

 ほぼ一本道で、思ったよりずっと見通しがいい。

 洞窟の中であるためか、埃っぽさは否定できないが、居心地が悪いとも言いがたかった。



(盗賊とはいっても、やっぱりそれなりに住む場所には気を遣うものなのかしら)



 とはいえ、ありがたい。

 これなら早い段階で敵を捕捉することが出来る。

 それなりに自分自身の力には自信を持っているが、それでもやはり上には上がいる。

 そのことを、故郷では実の兄から、クエスターズではそこの教師長などに教わった。

 無理をしないとは言い切れない、が、無謀な行動は取らない。

 慎重且つ大胆に。

 言うは易し、行うは難し。



(鬼が出るか蛇がでるか)



 とはいえ、盗賊退治は慣れている。

 エンジェレットは、これまで二十に届くかという数の盗賊団をたった一人で潰したことがある。

 社会に吐き出された者達が、己の暴力によってしか生きられないと判断し、

 その意識による曖昧な仲間意識によって形成されるのが、盗賊団というもの。

 彼らは、決して組織などではない。

 一言、烏合の衆。

 組織的な怖さは彼らにはない。

 恐れるものがあるとすれば、その中に常軌を逸した力を持つ者がいるかいないか、ただその一点。

 そして、今回は少なくともその可能性が一つはある。

 ――"血塗れコルバート"

 話を聞いても、恐怖は全く無かった。

 アークウィルやローレンシアなど、呆れるような強さを持っている人間には慣れている。

 感じたのは、嫌悪だ。

 エンジェレットとて、結果として人を殺めたことがないわけではない。

 だが、その過程や結果を楽しんだことは一度たりとてなかった。



(もし出会ったら、見極めてみせますわ)



 そう思ったと同時、通路の先に気配を感じた。

 上手く気配を消したつもりだろうが、これだけ静かな場所で密閉された空間なら、

 いくら息を殺しても完全に存在を隠蔽することなど出来ない。

 数は、恐らく二。

 自分のことはとうの昔に補足されていると思っていいだろう。

 ならば、先手必勝だ。

 ゆっくり近づいていって、出会い頭に一人に攻撃を加え、無力化する。

 その一人を盾にして予想される二人目からの反撃を防ぎ、その一瞬を利用して二人目を撃退。

 大丈夫、容易に出来る。

 口の中に溜まった唾を飲み込んで、鉄扇を持ち直す。

 一歩ずつ確実に距離を詰めていく。

 決して焦らない、そして淀まない。

 緊張に強張る頬を、緩やかな風が静かに撫でていく。

 ――風?



「っ!」



 息が詰まった。

 気流に気付き、体を振って飛び退いた瞬間、一秒前までエンジェレットの身体があった空間を

 風の刃が右方と左方から、交差するように裂いていった。

 ぎりぎりだった。

 洞窟の中なのに風の通り道がある、その不自然さに気付かなかったらと思うとぞっとする。



(今のは風系統魔法!? 盗賊の中にも魔法の嗜みがあるのがいますのね)



 だが、その初撃を避けられたのは僥倖だ。

 どんなに熟練の魔法使いでも、続けて魔法を放つ際には若干のタイムラグが発生する。

 そしてその僅かな間は、相手との距離を詰めるに十分過ぎる時間である。

 少なくとも、エンジェレットにとっては。

 避けた方の壁を蹴り、更に逆側の壁を蹴って跳び、狭い空間をいっぱいに使って通路を駆ける。

 通路を抜け、曲がり角を曲がった瞬間に鉄線を振り下ろした。

 が、その切っ先はぐにゃりとした感触に押し戻される。

 圧縮した空気の塊が、エンジェレットの攻撃を防いでいた。

 今の一撃を防ぐとは、魔法の威力、早さ共にかなりの使い手――と思った辺りで、エンジェレットは気付く。

 相手もどうやら気が付いたらしく、互いに視線を交わし合い、首をかしげた。

 押し戻される力を利用して、エンジェレットは弾かれるようにして距離を取る。



「く……ククルー?」

「エンジェレットさん……」

「ど、どうしてこんなところにいますの?」



 エンジェレットはそう言いながら、ククルーの少し後ろにいる人物に目を向ける。

 漆黒の衣に身を包んだ男。

 フードを被っているため顔は見えないが、その目を見るだけでわかる。

 こいつは危険な人間だ、と戦闘民族エヴァーの遺伝子が、エンジェレットに告げている。

 全身が粟立つのがわかる。

 戦おうなどとはまるで思えなかった。

 条件反射的に逃げそうになるのを、エンジェレットは意志の力で捻じ伏せる。



「ククルー、その後ろの方はどなたですの?」



 努めて平静な声を絞り出した。



「この人は……」

「俺はコルバート・ブラッドリィだ。お初にお目にかかる、エンジェレット」



 予想はしていたが、この人物がコルバートだと知り、エンジェレットは背筋に悪寒を感じる。

 だが、まだ逃げるわけにはいかない。

 毅然とした態度を崩さないようにしながら、ククルーに視線を戻す。



「どうしてそんな人と行動を共にしていますの?」

「エンジェさん。私からも質問がある」

「……どうぞ」

「エンジェレットさんは、ここの盗賊を退治に来たんですよね」

「ええ、そうですわ」

「そう」



 ククルーは、どこか冷めた目をしていた。

 その纏う空気が揺らいだのを感じ、エンジェレットは一歩分だけ後ずさりする。



「……エンジェレットさん。あなたは、敵。それだけわかればもう十分」

「……唐突ですわね。説明してはもらえないかしら?」



 僅かに逡巡してから、ククルーは口を開く。

 それまでの経緯を、簡潔に並び立てていった。

 イリスと冒険をしていたこと。

 カテリナを中心としたパーティと一時的に協力体制を取ったこと。

 コルバートと戦い、敗れたこと。

 約束のこと。



「……なるほどね」



 ひとしきり聞き終わり、エンジェレットは思わず溜息をついた。

 ククルーらしい、とは思いつつも呆れを隠すことが出来なかった。

 なんて不器用な、そしてなんと捻くれた思考をしているのだろう。

 自らのことを棚に上げ、エンジェレットは強くそう思った。



「わかってもらえたなら、嬉しい」

「少なくとも理解はしましたわ」

「それなら、そこをどいて欲しい。自ら進んであなたと戦いたいわけじゃない」



 その言葉に、エンジェレットは微動だにしない。

 代わりに視線を動かし、コルバートに鋭い視線を投げかけた。



「コルバート、と言いましたわね。あなた約束を守る人なんですって? それなら、一つ私と約束を致しませんこと?」

「内容次第だ」

「私がククルーを倒したら、ククルーを返してくださいませ」



 はっと息を呑んだのは、ククルー。

 その目の色が、驚きと不安で揺らいだ。

 視線が疑問を訴えるが、エンジェレットには何の効果もない。



「仮にお前が勝ったとして、ククルーを返してから俺が二人ともまとめて殺す可能性を考えなくていいのか?」

「あら、そんな当たり前に外道なことをする真っ当な人間だという話は、先ほどのククルーの話にはありませんでしたわ」



 クスと笑んだエンジェレットに、コルバートは目を細める。

 これは、一種の賭けだった。

 これでコルバートの機嫌を損ね、約束を取り付けてもらえなくなったらどうしようもない。

 それどころか、コルバート自身が自分を殺しにかかってきたら、逃げる間があるかどうかも危うい。

 全身が震えそうになるのを必死に抑える。

 顔だけは不敵な笑みを崩さぬよう、歪めた口の中を歯で噛み切る。

 血の苦味と傷の痛みが、緊張と恐怖をいくらかでも緩和してくれる。

 不意に、コルバートが失笑した。



「いいだろう。約束する。『お前がククルーに勝ったらククルーを返す。俺は無事に二人を帰してやる』」

「契約成立ですわね」



 そうとは気付かれない程度に、エンジェレットは安堵した。

 もう後には引けない。

 あとは全力で、ただ全力で、



「ククルー」



 目の前の捻くれ者をぶちのめすだけだ。



「……あなたの性格、忘れてました」



 ククルーはほんの微かに、切なげにまつげを伏せた。

 困ったような、今にも泣きそうな、複雑な表情。

 が、視線を上げたときには、その顔から既に曇りは消えていた。



「私が捻くれ者だとしたら、あなたは頑固者です」

「言うじゃありませんの」



 互いの顔に陰りはない。

 友人同士だろうと、それがたとえ親子であろうと兄弟だろうと、そんなものは戦いには関係がない。

 いや、そういう関係であれば尚更、その戦いには真剣であるべきだ。

 目を逸らさず、真正面からその戦いに向かっていくべきだ。



「いきますわよ」

「……負けない」



 同門の対決が、始まる。