第四十六話「約束 2」


 覚悟など出来ているわけがない。

 それでも、『その瞬間』というものは、覚悟を待たずして訪れることもある。

 一種の諦念も抱きつつ目を閉じたククルーだったが、しかしいつまで経っても『その瞬間』が、来ない。

 五秒にも五分にも感じられる間の静寂。

 恐る恐る目を開くと、眼前に漆黒が広がっていた。

 ――漆黒のマント。



「あーあ、奪い損ねちゃった。ざーんねーん」



 全く残念そうではない声が耳に届く。

 そのマルスに厳しい視線を向けたまま、コルバートはククルーを自分の後ろへやった。



「お前の性癖に文句を言うつもりはないが、こいつは俺が戦いで奪ってきた戦利品だ。

たとえお前だろうと、俺のものを奪うことは許さんぞ、マルス」

「コルバートはけちだなー。大人気ないぞー」

「なんとでも言え」



 そう言うと、コルバートは負傷している盗賊二人に視線を向ける。



「お前ら、ご苦労だったな。念のため監視を頼んでおいたのは正解だったらしい」



 そこでようやくククルーは理解した。  この二人が監視していた理由は、ククルーが逃げるのを阻止するためではなく、

 マルスがククルーに対して何かすることを防ぐためだったのだ。

 だが、そうとわかったからこそ、ククルーの中には一つの疑問が生まれる。



「いやいや、結局俺達じゃボスを止められませんでしたし」

「バカかお前は。先生は最初から俺達には時間稼ぎ程度の期待しかしてない。そうですよね先生」

「相方と違って、お前の方は理解が早くて助かるな」

「ちょ! 先生〜そりゃないですよ〜」



 先ほどの戦闘が無ければ、微笑ましい会話と言えないこともない。

 マルスだって、傍から見る分には無邪気な美少年といった感じだ。

 それでも、彼らは盗賊。

 あらゆるものを奪うことを生業にしている人間だ。

 そう思うと、ククルーの心中は複雑だった。



「では、俺達は少し休ませてもらうぞ。マルス、休憩室の二番を使うから、緊急以外は誰も入るなと伝えろ」

「はいはい。追加のご注文は?」

「無断入室したら殺す」

「あは。そんなこと言って、ククルーにナニをするんだか。ストップストップ、そんな怖い顔しないでよ。

でも、そんなワイルドなコルバートだから、僕、愛しくてコルバートのことを思うといつも……」

「き、気色悪いことを言うんじゃない! もう行くぞ。ククルー、着いて来い」

「ごゆっくり〜」



 茶化す声に背中を押されるようにコルバートは部屋を出て行った。

 その後ろをククルーはとたとたと追いかける。

 なんともいえない感情が胸の内を巡っていた。

 この人が、本当にオーランドを、ユリウスを殺したのか?

 カテリナをあそこまで痛めつけ、イリスを倒し、自分をさらった張本人なのか?

 考えるまでもなく、その質問の答えはYes。

 それはわかっているのに、なぜかククルーはコルバートを恨む気にはなれなかった。

 仲間を失った悲しみはある。

 友達を傷つけられた怒りもある。

 それなのに、何故?

 「よくも仲間を殺したな」と責めないのか。

 「よくも友達を傷つけたな」と怒らないのか。



「ここだ。入れ」



 洞窟内の一室に案内され、ククルーは促されるまま中へ入る。

 大き目のベッドが部屋の隅に一つある。

 その脇に戸棚があり、中央にはテーブルに、長いソファが用意されていた。

 明らかに捕虜を連れてくる部屋ではない。



「適当にくつろいでろ。魔力もすっからかんで疲れてるだろ。なんなら仮眠をとってもいいぞ」



 わけがわからなかった。

 ククルーは座りもせず、コルバートをじっと見つめる。



「……どうして」



 しばらく考えて、ククルーはまず一番最初に浮かんだ疑問を口にした。



「どうしてさっき、私を助けるような真似をしたんですか? それに、監視……いえ、護衛をつけてくれたのも」



 マルスにキスをされそうになったところを助けてもらえたのは、素直に嬉しかった。

 盗賊の二人をつけてくれたのも、ククルーの身を案じてのことだとわかった。

 だが、なぜそんなことをしてくれたのか。

 そんなことをしても、コルバート自身に何かメリットがあるとは思えない。



「あー……お前は何が言いたいんだ?」



 頭をぐしゃぐしゃと掻いて、怪訝そうな目を向けてくる。

 顔立ちが似ているだけでなく、こういう仕草も先生そっくりだな、とククルーは不意に思った。



「私があの人に何かされたとしても、あなたには関係がない。私を助けても、何のメリットもないはずです」

「なんだ、そんなことか」



 コルバートは苦笑する。



「いいか? お前に言っただろ。命を賭けるってのは、自分の全精力を……つまり全部を賭けるってことだ。

俺はお前との命のやり取りに勝った。だからお前の全部は俺のものだ。俺以外がどうこうすることは許さない」



 だけどな、とコルバートは付け加える。



「イリスに『イリスが俺を殺すか、俺がイリスを殺すまではククルーは殺さない』と約束したことを覚えてるだろう?」



 頷く。



「ククルーを殺さないってことは、お前の命の保証をしないといけない。命ってのは、つまりお前の全てだ。

それはお前が生きてさえいればいいってことか? ……違うだろ。

お前の全ては俺のものだ。でも、それはつまりお前の全ての安全は俺が保証しなくちゃいけないことでもある」



 次の瞬間、……震えた。



「そう約束したからな」

「――!」



 その言葉は、胸の奥にすっと沁み込んできた。

 意思に反して、仲間が死んだときに込み上げてすらこなかった涙が流れそうになってしまう。

 それだけは、懸命に堪えた。

 それを悟らせてすらいけないようにククルーは感じていた。



「……あなたは約束を守る人なんですね」

「ああ、俺は捻くれ者だからな。簡単に約束を破るような真人間には、死んでもなれなさそうだ」



 どこか自嘲気味に笑ったのを、ククルーはどこか優しい目で見ていた。

 ああ、と思う。

 この人は外見だけじゃない、内面までどこかあの人に――先生に、似ている。



「……もう一つ質問があります」

「なんだ。言ってみろ」

「サーザイト・ルーヴェイン先生と、あなたはどういう関係ですか」



 シン、と静寂が訪れる。

 コルバートの笑顔が凍り、やがて憤慨と困惑を混ぜたような微妙な表情になった。



「あいつは俺で、俺の恋人を殺した人間だから、俺がちゃんと殺してやらなくちゃ……」

「え?」



 聞き間違いかと思って、ククルーは思わず一歩踏み出す。

 その発言は意に介したものでなかったのか、コルバートははっとなったように顔を上げて



「なんでもない。今のは忘れろ」

「……」



 無言で頷く。

 これ以上追求するのは、なんだか気が引けた。

 誰にだって、答えたくない質問くらいある。



「それじゃ……質問は終わりです。最後に一つだけ、お願いがあります」

「お願い?」

「はい、約束して欲しいことがあります」

「……内容次第だな」



 突っぱねられても仕方の無い状況だったが、なんとなくククルーは自分の申し出が無下にされないと確信していた。

 彼がサーザイトにあまりにも似すぎていたからかもしれない。



「それで、約束して欲しいことってのはなんだ?」

「あなたが私を殺すまでは、……イリスを殺さないでください」



 再び静寂が部屋を支配する。



「お前に限って、俺がイリスとした約束の内容を忘れたわけじゃないな?」

「……」



 沈黙は、ククルーの強い視線により、確かな肯定となる。

 それを冷ややかに見返しながら、コルバートは頭をかいて溜息。



「残念だがお断りだ。それこそ俺に何のメリットもない。第一、どうして俺が一方的にそんな」

「――守ります」

「は?」



 唐突なククルーの言葉に、今度はコルバートが呆けた声を上げた。

 強い意志を秘めた目がそこにあった。

 決して折れることのない決意があった。



「そう約束してくれるのなら、その代わりに私はあらゆるものからあなたを守ることを約束します」

「あらゆるもの? それは俺に害を為す全てと考えていいのか?」



 頷く。

 約束をしてもらうのだから、こちらも約束で返す。

 正直、受け入れてもらえるかは賭けだった。

 コルバートはひとしきり考え込んでから、不意に呆れたように笑んだ。



「思い出したよ。お前も捻くれた人間だったな……わかった、約束しよう」

「……ありがとう」

「礼なんて言うな。これは正当な取引だ。いいか。俺は『ククルーを殺すまではイリスを殺さない』」

「私は『約束が破られない限り、コルバートに害を為すあらゆるものから彼を守る』」

「契約成立」



 初めて、二人は互いに笑顔を交わした。

 それだけで、もうこれ以上言葉を交わす必要がないようにすら思えた。



「もう休め」

「……はい」



 ククルーは何の躊躇いも無く頷くと、ぼろぼろになったマントをソファの背もたれに掛け、

 靴を脱ぎ、眼鏡を棚の上にそっと置いてからベッドに潜り込んだ。











 五分も経つと、ベッドからは規則的な呼吸音が聞こえるようになった。

 どうやら寝付いてくれたらしい。

 命のやり取りをした後だ、恐らく精神的な疲れがあったのだろう。

 しかし……コルバートはつい苦笑してしまう。

 敵にさらわれてきたというのに、よくもこんな無防備な姿を晒せるものだ。

 寝ている間に何かされないとも限らないではないか。



(そこは、俺のことを信用しているということなんだろうな)



 嘆息する。

 舐められている――というわけではない。

 ククルーは、自分のことを信じているのだろう。

 この人は、寝ている自分に何もしないし、何かあれば必ず守ってくれると。

 約束を必ず守る人だと。

 そう思われるのは望むところであるはずなのに、なんとなくおもしろくなかった。

 それに、ククルーが自分を信じてくれるのは、少なからず『サーザイトに似ている』と感じているためだろう。

 どうも彼女は、自分とサーザイトの関係について感づき始めている節がある。



(この子は、あの四人の中で一番サーザイトのことを慕っていたから、無理もないか……)



 ふうと溜息をついて、ソファに寝転がる。

 体の力を抜くと同時、欠伸が出た。

 今日の獲物は活きがよく、流石に少し疲れた。

 休めるうちに休んでおこう、とコルバートも静かに目を閉じた。











 不穏な気配に戦慄を覚えた。

 意識が瞬時に引き戻される。

 コルバートが目を開くと、



「んー……」



 切なげな表情で、マルスが顔を近づけてきていた。



「ぶほっ!?」



 物凄い勢いで目が覚めた。

 眠気なんてどこかへ吹き飛んだ。

 呼吸も荒く、マルスを見ると、マルスはきょとんとした顔から一点、舌をぺろっと出して



「てへっ、ばれちゃった」

「そんなに死にたいなら殺してやる」



 寝起きということもあって、機嫌は最低だった。

 いくら可愛かろうと、目覚めのキッスの相手が男というのはごめんだ。



「抑えて抑えて。起きたばかりなのにいきなりそんな張り切られたら、さしもの僕だって困っちゃうよ。ハァハァ」



 もじもじと体をひねるのを見たら、全身から力が抜けた。

 付き合いはもう十年近くになるが、どうもマルスのことは苦手だった。

 掴みどころのない人間は扱いに困る。

 どう付き合っていけばいいか、測りづらいから。



「それで、何の用だ。緊急以外は入るなと言っておいたはずだが」

「禁断症状出ちゃってさー。これは今すぐコルバートをハグしないと僕死んじゃうぞって感じになっちゃって」

「そうか。それならとどめは俺が刺してやる」

「きゃーこわいこわい」



 きゃっきゃと笑う様は、ほとんど少女のようである。

 時折、本当にこいつが男なのかと疑問に思うが、以前一緒に風呂に入った……というか、

 コルバートが湯浴みをしている最中にマルスが乱入してきた時に見たときには、確かにアレがあったので、

 男であることは間違いない。

 正直、あまり思い出したくない記憶の一つだ。



「まあ、ついでに言いに来たんだー。あのね、今このアジト襲撃されてんの」



 そっちがついでか。



「襲撃? まだこんな明るい内から元気なことだな……敵の規模は?」

「うん、報告によるとね」



 僅かな間。



「二人」

「そうか」



 コルバートの顔に笑みが浮かぶ。



「そいつはお客様だな」

「そゆこと。行ってくれる?」

「行くなと言われても行く」

「ま、そうだよね」



 それだけの会話で、二人には十分だった。

 十年ほども付き合ってこれたのだから、なんだかんだでそれなりに波長は合っているのだ、多分。

 と、不意にベッドで眠っていたククルーが上体を起こしていた。



「私も……行きます」

「もちろんだ」

「それじゃ、僕もー」

「……勝手にしろ」



 わーい、と腕に絡んでこようとしたマルスの抱擁を回避。



「それで、相手はどんな奴らなんだ?」



 軍隊よりも、少数で攻めてきた相手の方が遥かに厄介だ。

 一人一人の実力が高いという証明であるし、動きも補足し辛い。

 コルバートの顔も、僅かに引き締まっているように見える。

 んーとね、とマルスは宙に視線を漂わせ、



「あ、思い出した。鈴くっつけた箒の人と、紫の縦ロールだって」