第四十五話「盗賊少年」


 ククルーは無言で虚空を見つめていた。

 コルバートに連れ去られ、連れて来られたのは、襲われた場所からそう離れていない国境線沿いの山の中にある洞窟だった。

 どうやら彼は最初に襲ってきた盗賊達と協力体制にあるらしく、監視役の盗賊が二人ついている。

 着替えてくる、と言って彼がいなくなって、そろそろ一時間ほどが経つ。

 血に塗れているのを気にするようには見えなかったので、もしかしたら自分に気を遣ったのかもしれない。

 そんなことを考える余裕のある自分をククルーはひどく恨めしく思った。



(イリス……)



 彼女は大丈夫だろうか。

 頑丈さで彼女に勝る者を見たことはないが、それでもやはり心配になってしまう。

 ククルーは後悔していた。

 コルバートをはじめて見たとき、ククルーは薄々勝てないだろうことに気付いていたのだ。

 だから、本当ならカテリナが食い止めてくれている間にその場から離脱するべきだった。

 その判断ミスの結果がこれだ。

 自分が連れ去られたことはどうでもよく、カテリナがやられてしまったのは……仕方の無いことではある。

 しかし、イリスにあんなどす黒い叫びを上げさせるような事態は避けられたはず。

 ククルーは、イリスの真っ直ぐさをよく知っている。

 その彼女が心から誰かを憎んだときどうなるのか――想像したくなかった。



「……なー、お嬢ちゃん。そんな暗い顔するなよ」



 と、監視役の盗賊の一人がククルーにそう声をかけてきた。

 無言で俯いていたククルーが不憫に思えたのだろうか。

 もう一人の盗賊がそれを制するように



「おい、変にちょっかい出すのやめとけって」

「だってこんな可愛い子が沈んでるの見たら慰めたくなるだろ、男として。ちなみに、可愛い、ここ重要な」

「そんなことはわかってる。だけど、それで殺されたらただのバカだぞ」



 コルバートはククルーから離れる直前、この二人にククルーの監視を命じた。

 語尾に「傷物になってたら命無いと思えよ」と付けて。



「俺だって命は惜しい。でも、女の子が落ち込んでたら励ますってのはもう俺の中では反射なんだよ!

脳から発された命令じゃないのつまり意思によって抑えられないってこと、オーケイ?」

「オーケイじゃねーよバカ。……まあ、気持ちはわからんでもないが」



 こうして話しているのを見ていると、目の前の二人が盗賊であるということを忘れそうになる。

 二人は、今までククルーが接してきた人たちと何ら変わらないただの人間だった。



「しかし先生が出動したってことは、仲間の何人かが殺られちまったんだろ? 落ち込むのも無理ないよな」



 先生というのはコルバートのことだろう、と文脈的にククルーは判断する。



「……冒険をしているのだから、そういうことがあるのは仕方の無いこと」



 ぽつりと切なげな響きを、続ける。



「そうわかっていても、悲しんでしまうのは理屈じゃないのだと思う」

「へぇ、その若さで悟ってんな。先生がお持ち帰りしたのもなんとなくわかるかも」

「お嬢ちゃん。俺らもお嬢ちゃんの同業に何人も仲間殺られてるから同情はしないけど、

辛かったら泣いてもいいんだぜ。俺なんて顔見知りが死ぬたびに泣いちまってる」

「お前は毎度毎度泣きすぎだろう。少しは慣れろ」

「はぁ!? 仲間が死ぬことに慣れるわけねーだろバカ!」

「こんな稼業に携わってるくせに、いつまでもそんな甘いことを言ってるお前の方がバカだ!」

「うるせえ! やんのか?」

「喧嘩を売るなら相手を見てやった方がいい」

「『こんな稼業』とやらに携わらせてもらってますので重々承知しておりますことよクソ野郎」

「そろそろ黙らないと海のように広い心の俺も我慢がならないな」

「水溜りの間違いじゃねーの?」



 あっはっはっは、と高笑いが二人分。



「調子こいてんじゃねえぶっ殺すぞ冷血野郎!」

「人の忠告を素直に聞きやがれ能天気野郎!」



 弾けるように飛び去り、同時にナイフを引き抜く。

 距離を取りながら、相手の出方をじっくり観察。

 張り詰めた空気が場を満たし始



「あ、あの……喧嘩はやめてください」



 ピタ、と二人の動きが止まった。



「おい、喧嘩はやめてって言われちまったよ」

「ああ、喧嘩はやめてって言われてしまったな」

「危なかったな。うっかり殺しあうところだったな」

「お互いよく今まで生きてるものだ」



 二人は顔を見合わせてくすくすと笑い始める。

 この人達、絶対変だ。

 自分のことをすっかり棚に上げて、ククルーはそう思った。



「……ところで、少し尋ねたいことがあるのですけど」

「ん? なになになんだ? あ、俺は君みたいな可愛くて大人しい理知的な子が大好き」

「お前は少し黙っていろ」



 ふうと息をついた方が、ククルーに目で続けろと言った。



「……私を監視するなら、どうして私を拘束しないんですか?」

「拘束!? してもいいの!? むっはーえろい! えろすぎる!」

「黙っていろ!!」



 話が一向に進みやしない。



「まあ、君が疑問に思ったのも無理はないだろうな。拘束して転がしといた方が遥かに逃げられる確率は低い」

「はい。少なくとも牢屋に監禁されるくらいのことは覚悟してましたから」



 ククルーが今いる場所は、洞窟内の少し開けた空間だった。

 照明の代わりに淡い光を放つ魔法鉱石がいくつも散りばめられており、床には絨毯が敷いてある。

 テーブルや椅子が何組も置いてあり、テーブルの上には保存食と果物、それに酒類がどっさり。

 ちょっとした酒場のようで、待遇はむしろ良いくらいだ。



「んー……先生の性格を考えると、君が絶対に逃げないって自信でもあるんじゃない?」



 それはその通りだった。

 どうせ魔力の尽きているククルーが何をしたとしてもコルバートから逃げ切れるとは思えない。

 それに、彼には聞きたいことが山ほどあった。



「えーとな、先生が俺達に監視を命じたのは、君が逃げるのを防止するためじゃないと思うんだ」

「珍しい。俺も同じことを思っていた」

「……?」



 ならば、なぜククルーを監視する必要があるのだろう。

 その理由が全く思い当たらず、ククルーは首をかしげた。



「先生は、君の安全を確保するために俺達を寄こしたんだろうなー」

「……どういうことですか?」

「俺達"竜子"のボスが変わり者でな。俺達は保険なんだろう。全く、中途半端に能力があると貧乏くじばかり引かされる」

「全くだぜ」



 話がよく見えてこない。

 どういうことなのかとククルーが再び口を開こうとしたとき、人影が見えた。

 気配に気付いて、盗賊二人もそちらに目を向ける。



「へー、その子がコルバートの持ち帰った戦利品? 結構可愛いじゃない」



 高い響きだった。

 廊下の影から姿を見せたのは、少年。

 シャツの上にベストを羽織っているのを見ると、ともすれば少女のようにも見える可愛らしい顔立ちだが、

 少年らしくズボンは脚の付け根近くでざっくりと切った短パン。

 腰にはホルダーが巻かれ、ナイフが幾本も刺さっている。

 年齢は十三、四ほどだろうか。

 身長はククルーより少し高い程度で、盗賊二人と比べると頭一つ分は小さい。

 少年を認めると、盗賊二人はしまい込んだナイフをするりと引き抜いてから



「おはようございます、ボス」

「ちっす。よく休めましたー?」

「おかげ様でね。ところで、僕の顔を見るなりその反応はひどくないかな?」



 拗ねた表情をしてみせる少年だが、二人は緊張を解こうとしない。

 少年の一挙一動に目を光らせたままだ。



「いやー、先生にこの子の監視を頼まれちゃってて。この子が傷物になったら俺達命無いんですよ」

「へー、そうなんだ。それは大変だねー」

「全くですね。特別に何か報酬があるわけでもなし。とんだ貧乏くじです」



 大の男二人が、たった一人の少年と軽口を叩きながらも臨戦態勢。

 傍から見ているククルーの目には、それはどこか滑稽にすら映っていた。

 この少年が盗賊団のボスだということも信じられない。

 三人して自分を騙そうとしているのではないか、そんなことすら思えてくる。



「それにしても、本当に可愛いね。コルバートも良い趣味してるなー。

僕がいくら誘っても乗ってこなかったから無能なのかと思ってたけど、健全な男だったんじゃん」

「いや、いくら"竜子"に女っ気がないからって男に欲情するような男を健全とは言わないんじゃないですかねー?」

「性別の差なんて大した問題じゃないよ。肝腎なのは、見た目っ」



 ぷうっとむくれた少年は、またすぐに表情を戻すと、不意にククルーに視線を向ける。



「ねえ、名前はなんていうの?」

「……ククルー・シルファニー」

「いい名前だね。僕はマルス・サラマンド。ククルー。くくるー。可愛い響き」



 くすくすと屈託の無い無邪気な笑顔を見せる。

 その表情は、イリスと同じように眩しい。

 だが、なぜかククルーはその笑顔に違和感を覚えていた。

 その笑顔を見ていても、少しも心が安らがない。

 むしろ不安な気持ちを喚起させられる。



「いい表情をするね。不安そうなのに、それを呑み込んで進んでいける強さがある。真っ直ぐで綺麗な目だ」



 マルスの目の色が、ほんの僅か変わった。



「"奪"っちゃいたいな」



 ――ぞっ

 ククルーは明らかな恐怖に身を震わせる。

 魔物が本能的に発する狂気や、コルバートの相手を貫くような殺気から感じるものとはまるで違う。

 笑顔、それこそが怖い。

 貼り付いたような、何を考えているのかわからないのが、怖い。

 わからないということほど恐ろしいものはない。

 どうしたらいいのか、それすらわからないから。

 目の前の少年に比べたら、まだコルバートの方が人間味があった。

 生まれて初めて感じる種類の恐怖に、ククルーは目を背けることすら出来ずにいた。

 その身を守るように、盗賊二人が前へ出る。



「ストップだぜ、ボス」

「どいてくれないかな」

「そいつは出来ない相談だ」

「お願いだよー。僕、奪うのは大好きだけど奪われるのは大嫌いだって知ってるでしょ?」

「もちろん。それほど短い付き合いでもないですからね。俺達は」

「だったら頼むよー」



 その口調は、やはり軽いまま。



「僕の楽しみを奪う人は、君達二人でも"奪"っちゃうよ?」

「ボス。自分達は先生に、この少女の監視を命じられました。『傷物になっていたら命は無い』とも言われました」

「相変わらずコルバートは激しいなー」

「先生のその命令を、俺達は『わかった』って言っちまったんですよねー。

つまり先生の命令は、俺達が受け入れた時点で命令であると同時に俺達の果たすべき任務にもなったわけで」

「へー」

「だから、たとえボスの"お願い"でも、この少女には指一本触れさせるわけにはいきません」

「そーなんだー」

「ええ、ですから」



 次の言葉を、ククルーは一瞬聞き間違えかと思った。



「しばらくの間死んでてください」



 言うが早いか、二人は動いていた。

 速い。

 洗練されたというより、慣れ切っている動き方。

 人が言葉を話す、歩くといった動作を自然に行えるのと同じように、

 二人は瞬時にマルスの死角に回り込み、ナイフの切っ先を向けていた。

 その動きだけで、相当の実力があることがわかる。

 エンジェレットに勝るとも劣らないのではと思わせるほどの俊敏さ。

 完璧。

 間違いなくその切っ先は命に届く。

 そうククルーは一瞬の内に確信し



「あーあ」



 ――すぐ目の前に突然マルスが現れ、思考が停止した。

 はっとしてマルスの背後を見ると、盗賊二人が血を流しながらその場に膝をついている。

 出血は多いが、命に別状は無さそうだ。

 そのことに僅かに安堵してから、ククルーは疑問を抱く。

 今のタイミングで、なぜマルスの方は無傷で、盗賊二人が攻撃を受けたのか。

 しかも、盗賊二人の体に刺さっているナイフは、二人が所持していたものだった。

 わけがわからない。

 目の前で確かに起こったはずの事態に頭が追いついてこない。

 マルスは盗賊二人を一瞥して、悪戯っぽい笑顔を浮かべる。



「"奪"っちゃった」



 てへ、とマルスは自分の頭を軽く小突く。

 なんとも可愛らしい、あまりに子供っぽい仕草。

 その自然さが逆に不自然に思えるほどに、違和感を感じさせない。

 それがククルーの感じている違和感と、言葉にし難い妙な不安を煽る。



「そんなに怖がらないでほしいな。僕は君と仲良くなりたいんだ」

「仲……良く?」

「うん、そう。仲の良い子から"奪"っちゃうときの感じってさ、この世で一番気持ちいいと思うんだよね」



 そっとマルスが腕を伸ばす。

 白く細い指がククルーのうなじを撫で、顎を通り、そっと唇をなぞる。



「ねえ、ククルーはキスってしたことある?」

「……」

「ある?」

「……ない」

「そっか。嬉しいな」



 ぱあっとマルスの顔が輝いた。



「それじゃ、ククルーのはじめて、僕が"奪"っちゃっていいかな? ダメって言ってももらっちゃうけど」



 完璧すぎる笑顔が眼前に迫ってくる。

 体の中で動かせる箇所は、瞼と喉くらいしか無い。

 ――もう逃げられない。

 ククルーに出来た唯一のことは、ただ現実を直視しないよう、強く目を瞑ることだけだった。