第三十五話「新任講師と教師長」


 クエスターズの校庭は広い。

 冒険者にとって必要な知識は、経験という形で覚えておくに越したことはないという理念に基づき、

 その中に様々な環境をすし詰めにしているためだ。

 校舎に面している地点では、単に土が広がっているだけだが、校舎から少し離れると地面は緑豊かな草原になり、

 更にそこから北に行くと砂地、東へ行くと森、西へ行くと岩場になる。

 クエスターズに通う生徒達は、特殊な場合――例えばイリス達のような――を除いて、このいずれかで実地訓練を行うのだ。

 今、ちょうど十名ほどの生徒達が訓練のため西の岩場までやってきていた。

 ある者は背中に、ある者は腰に、それぞれ形も大きさも違うが、全員剣を一振り持っている。

 彼らがいずれも剣士を志す者であることは容易に想像できた。



「早速ですけれど、この中で一番力の強い方、この岩を剣で割ってみてくださいませ」



 つい最近からクエスターズに勤め始めた講師の声が響いた。

 生徒達は少しだけ話し合い、ほどなくして一人が推薦されて皆の前に進み出た。

 肌の焼けた体つきのがっしりした少年である。

 彼の獲物は、刀身一メートル半はあろうかという大剣。

 割ってみろと言われた岩は、直径が三メートルほどのなかなか大きなものだったが、

 彼は臆した風もなく剣を両手に構えると、袈裟に斬った。

 めり込んだ刃は、岩の中心辺りまで埋まったところでその動きを止める。

 剣を引き抜くと、岩の右半分は音を立てて崩れ落ちた。

 素人目に見ても威力は申し分ない一撃。

 現に見ていた生徒達の中に感嘆の声を上げる者も少なくない。

 少年は微かに誇らしげな笑みを浮かべてから講師に向き直る。



「先生、どうですか?」



 少年は、なにか期待するような目をしていた。

 彼らはいずれも最近になってから――あの四人が卒業してから――クエスターズに入学した者達なのだった。

 こんなものかしらね、と思いつつ講師は口を開いて



「悪くはないですわね。けれど実戦では少々心もとありませんわ」



 そう言われ、少年はあからさまに不服そうな顔をした。

 先ほどの一撃は、彼にとっては最高のものだった。

 それを心もとないと言われて気を悪くするのはある程度仕方がないところではある。

 講師は少年がそう感じたのを見逃さなかったが、あえてそこには触れずに



「あなたの剣を貸していただけますこと?」

「あ、はい。どうぞ」



 少年から剣を渡してもらう。

 手に馴染ませるように二、三度軽く素振りをした。

 そういえば、こんな普通の剣を持ったのは何年振りだろうか。

 空を切る音に、生徒達は思わず目を見開く。

 細腕ながら大剣を軽々と、しかも右の腕だけで扱ってみせれば、並の者なら驚きを隠せはしない。

 講師はそのまま先ほどの岩の正面に立ってから再び口を開く。



「先ほどの一撃はそう悪くない威力でしたわ。多分、この中であれ以上の破壊力を出せる方はいないと思いますの。

それでも心もとないと言ったのは、世界にはこの岩よりずっと硬い体を持った魔物も数多く存在するからですわ。

剣士にとって、自分の剣が通用しない相手はまさに天敵と言っても過言ではありません。

剣以外の方法で対抗するでも構いませんけれど、自分には剣以外に道はない……そう考える方も少なくないと思います。

そうなると、剣の腕を上げるしかないわけで……まあ、それは当然ですわね」



 こほん、と一つ咳払い。



「かと言って、人間の力には限界がありますわ。修行を積めばこの岩くらいは素手でも割れるかもしれませんけど、

鉄やそれ以外の硬度のものはとても無理ですの。そこでどうするかということなのですけれど」



 岩の方に向き直り、剣を構える。



「魔法学の授業でやりましたわね? この世界のあらゆる物質は主に火、水、風、土のエレメントによって成り立っている。

更に別の区分として、生者には光、死者――つまりアンデッドには闇のエレメントが強いとされていますわ。

今回重要なのは、光のエレメント。光のエレメントは全ての生きている者が持っているもの。

一般には生きるエネルギーそのものとも言われているようですわね。そんな認識で大体いいですわ。

そして、その力は心を静めて集中することで」



 構えていた剣を無造作に振るう。

 銀の刃が岩をすいと通り抜け――岩の左端が文字通り斬れた。

 先ほどの少年のように砕き割ったのではなく斬り落としたのだということは、その鋭利な切り口を見れば誰の目にも明らかである。

 呆然とそれを眺めていた生徒達の一人がぽつりと「すげえ」と呟いた。



「このように、自らの力にすることも可能ですわ。巷ではこれを気功だとか練気だとか言うらしいですわね。

多少得て不得手はあると思いますけれど、光のエレメントは誰でも必ず持っていますから、訓練次第で誰でも扱えるようになりますわ。

肉体強化だけでなく、練った気をそのまま飛ばして攻撃したり、刃にしたり盾にしたりと応用もかなり利きますから、覚えておいて損はありませんの。

ただし、生きるエネルギーそのものを消費するわけですから当然使えば使うほど疲れますわ。

使いすぎるとひどく衰弱しますし、最悪の事態も考えられますの。

ですから使い時と加減をよく考えて使うことが大事ですわよ」



 講師は不満げな表情から一変して尊敬の眼差しで自分を見つめていた少年に借りていた剣を返してから



「それじゃまずは精神集中から始めて、素手でここの岩を少しでも砕けたら合格にしますわ。

剣を使っても構いませんけれど、自分の体以外のものに気を巡らせるのは難易度が高いですからおすすめしませんわよ」



 言い終わると、講師はその場を少し離れて生徒達の様子を眺め始める。

 授業とはいっても、基本的にはやるべきことを提示したら、あとは生徒達の好きにやらせているのだ。

 皆冒険者、それも剣士志望ではあるが、一人一人能力も何もかも違うため、全員に同じ指導を極力せず、

 自らの考えで学び、知り、覚え、身につけていくようにする。

 この講師は、そんなことに重きを置いていた。

 それから三十分ほど経って。



 飲み込みの早い生徒は、徐々に気功を扱えるようになっていた。

 元々生まれつき持っている力を練って出力するだけなので、コツさえ掴めば簡単に出来てしまうものなのだ。

 人によっては、何の鍛錬もなしに無意識に出来てしまうこともそう少ないものではない。

 なかなか力を引き出せず、未だにうんうん唸っている生徒ももちろん若干名いたが。



「先生」



 講師の元へ、一人の生徒が歩み寄ってきた。

 髪の短い凛々しい顔つきの少女である。

 かつてはそうではなかったが、世界で活躍する剣士の中に女性というのもあまり珍しくない。

 むしろ女性の方に華々しい活躍をしている者が多いため、剣士志望の女の子は年々増えているらしい、と講師は就任の際説明を受けていた。

 憧れだけでやっていけるものじゃありませんのに、と講師はその傾向をあまり快く思ってはいなかった。



「どうかしまして?」

「はい。少しお聞きしたいことがあるんですけど、気功って自分の持っているエレメントを放出するわけじゃないですか」

「そうですわね」

「ということは、人間には他のエレメントもあるから、それを練って使うことも可能ですよね」

「いいところに気づきましたわね。ただ、闇のエレメントだけはおすすめしませんわ」



 ほんの少しだけ難しい顔をして、生徒は首をかしげる。



「どうしてですか?」

「闇のエレメントは光のエレメントの対極の力。つまり死に向かう力ですの。

並の使い手なら、力の調節自体が極めて困難なはずですわ」

「つまり?」



 講師はさらりと



「十中八九死にますわね」



 少女は無言になる。



「仮に力の調節が上手くいったとしますわ。

それでも生きるエネルギーである光のエレメントとは真逆の力を使うわけですから、間違いなく身体に悪影響を及ぼしますわね。

闇の力を自在にコントロールするとなると、尋常ならざる才能と実力がないととても無理ですわ」

「先生でも無理なんですか?」



 それを聞き、講師は口の端を僅かに持ち上げて



「生きるために戦うのに、なぜ死にゆく力を使わなければいけませんの?」

「……それもそうですね。変なことを聞いてしまってすみませんでした。

それじゃ私、訓練に戻ります。何か掴みかけてきたような気がするんです!」



 少女はそう言って、また岩の方へ走っていった。

 少し意地悪な言い方だったかしらと思う。

 闇のエレメントを操る――はっきり言って、それは業火の中に身を投じるようなものだ。

 どんなに熟練した達人でもそれは変わらず、使い続ければ死に至ることは間違いない。

 それでももし自在に闇の力を操れるとしたら、それは果たして本当に人なのか……

 と、ぼんやりと眺めていた先で、先ほど質問してきた少女の拳が僅かに岩の表面を割ったのが見えた。

 驚き、直後、歓喜、そしてガッツポーズ。

 少女の表情に隠し切れない笑みが浮かんでいる。

 かつては自分も一つ技を覚えるたび、自らの成長を感じるたび、ああやって無邪気に喜んだものだと思う。

 そう思ったら、自然と微笑んでいた。

 ふうと息をついて、体の力を抜いて岩に寄りかかり、



「……で、何の用ですの? ローレンシア先生」

「なんじゃ、ばれとったのか」



 岩の陰から姿を見せたのは、クエスターズ代表にして教師長のローレンシア・アルテラスその人である。

 ローレンシアはいつもの含みのある笑顔を見せる。

 人を小ばかにしたような、それでいて不思議と嫌らしさを感じさせない表情だ。



「なに、こっちの仕事が一段落したのでな。新任講師の授業の様子を見にきたというだけだぞ」

「私がここに来てもう一月になりますのに、信用ありませんのね」

「いや、お前は他の先生方にも評判が良いぞ? 他の奴らの授業を見ていてもつまらんから、

こうしてお前に会いに来ているというだけのことじゃ。もうここでの勤務にも慣れたかの? エンジェレット先生」

「ええ、おかげ様で。ただ先生と呼ばれるのはいつまで経っても慣れませんけれど」



 嫌味ったらしく言ってはみたが、逆にそれがおかしかったらしく、ローレンシアは一層笑みを強くする。

 エンジェレットは憮然としてあごをなでた。

 新任講師の様子見というのも怪しいものだ。

 ローレンシアがそんな義務感に行動を委ねるような人でないことはわかっている。

 実際サーザイトが講師を勤めていた頃、彼女は一度たりとも授業を見物になど来なかった。

 早い話、この人は気まぐれで、それでいて自分勝手なのだ。

 そんな人とまともに取り合うのは馬鹿というものだ。

 ……まともに取り合っている自分は、大馬鹿だ。



「ところで先生、頼んでおいた例の件ですけれど」

「何の話かの?」

「とぼけないでくださいませ! 依頼の件ですわ。

クエスターズ経由で大口の依頼を紹介してもらう、その代わり私はクエスターズで臨時講師として勤務する、

そういう話だったはずですわ」



 エンジェレットは語気を強めて言った。

 トーワ王国を発ってから、エンジェレットはまずアストリア公国、ブレイヴァニスタへ戻った。

 より強くなるためには、戦うことで経験を積むのが最も有効である。

 その戦いが困難であればあるほど、得られるものは大きい。

 これはエンジェレットの経験則である。

 だがエンジェレットが満足できるような大口の依頼は、滅多に世間では見つからない。

 それよりも、既に勇名を轟かせている実力者に直接依頼を持ちかけた方が手間もかからず、確実性が高いためだ。

 そこでエンジェレットは、クエスターズに仲介の労をとってもらうことを考えた。

 クエスターズは他国にも名の響く冒険者育成専門の国家機関。

 今までに数多くの優秀な冒険者を輩出していて、しかもアストリア公国の国営機関でもある。

 ここならきっと一介の冒険者ではお目にかかれないような依頼が舞い込んでくるはずだ。

 そしてクエスターズへと赴き、ローレンシアに話を通してもらい、彼女の提示した条件を呑んでから、早一ヶ月。

 エンジェレットでなくとも、いい加減に依頼は来ないものかとやきもきし始める頃合である。

 その心中を見抜いていたのか、ローレンシアはにたりと笑って



「そういきり立つでない。今日はその話もするつもりで来たのじゃ」

「というと、依頼が来たと思っていいんですわね?」

「うむ。しかし、その話はここではなんじゃな。

今日の勤務が終わってからわしの家まで来てはくれんか。ついでに食事でも振舞おうぞ」

「わかりましたわ」



 頷きながら、エンジェレットは自分の中で闘志が湧き上がるのを感じていた。

 クエスターズに持ち込まれるほどの依頼となると、その熾烈さは今までこなしてきたそれとは比較にならないだろう。

 誇張ではなく、命を落とす危険すら考えられる。

 だが、それがいい。

 それでこそやる価値があるというものだ。

 強くなりたいという思いと、戦闘民族エヴァーの性、その二つが相まって、つい興奮してしまう。

 落ち着け、とエンジェレットは自分に言い聞かせた。

 炎のような闘志、氷のような冷静。

 そのどちらもが欠けても、強くてもいけない。

 特に今回のような絶対に負けられない戦いに臨む時は。



「おい、ローレンシア先生がいるぜ」



 生徒の一人が気づいて声を上げた。

 にわかに場が色めきたつ。



「やっほーセンセ! 今日もおさぼり?」

「失敬な。今日はちゃんと仕事を終わらせたぞ。半分な」

「半分かよ!」

「昨日は?」

「さぼった」

「だめじゃん」

「違うのだ。わしはただ自分の仕事以上に生徒との触れ合いを大事にしたいと……」

「色々と理由つけて、結局はさぼりたいだけですよね」

「うむ」

「否定しましょうよそこは!」

「こーの秘書泣かせ!」

「ローレンシア・ロクデナシに改名しろー!」



 生徒と軽口を叩き合っているローレンシアをエンジェレットはどこか眩しそうに見つめる。

 よく仕事をさぼって色々なところへ顔を出しているため、ローレンシアは教師長という立場にありながら生徒達の覚えがいい。

 他の教師達とは違い、精神的に似通っている部分があるのかもしれない。

 子供っぽいところとか、……子供っぽいところとか。



「ローレンシア先生もさー、さぼってばっかいないでためには俺達に手本見せてよ」

「いつも見せておるではないか」

「いや、反面教師って路線じゃなくってさー。今エンジェレット先生が気功について教えてくれたんだけど、

なかなか上手く出来ない奴もいるみたいだし、それに先生が本当に実力あるのかって疑ってる奴もいるからさ」



 ローレンシアは授業を受け持っていないので、その実力の程を知らない生徒がほとんどだ。

 そのため彼女のことをいまひとつ認め切れない者が少なくないことは事実である。

 ふむとローレンシアはしばし考える素振りを見せ、



「そうじゃな……折角じゃ、たまには授業に協力しようではないか」



 おおー! と生徒の側から歓声が起こった。

 エンジェレットは生徒達の反応を見て、年甲斐もなく若いっていいなと思いながら、

 静かに腕を組んでローレンシアの一挙一動に目を光らせる。

 基本的に自分のしたいことしかしようとしない怠惰なローレンシアの実力を目の当たりにする機会などそうそう訪れないのだ。

 ローレンシアは生徒達に「先生の勇姿をその目に焼き付けるとよい!」と叫びながら、やはり岩の前に立った。



「まずは心を静かに保ち、自分の中にある力の流れを掴むことが大切じゃ。

そしてイメージ。思いは具現し、力となる。言葉に出せばよりはっきりと。

魔法使いの詠唱などその典型よな。あれは詠唱自体がエレメントを操っているのではなく、

あくまで自身のイメージを補足するためのもので、例えば風の属性なら偏在する者とか、流れとかいう言葉を……

と、話がそれたのう。どこまで話したか。そうそう、イメージをしろというところじゃな。

使い手によっては練った気を様々な形にあてることも出来るが、今回は最も単純な肉体強化を行う。

わしの体は鉄じゃ、鋼じゃ、とか思えばいいわけじゃな」



 生徒達から失笑が漏れる。

 「本当なのじゃぞ」とあくまでローレンシアは飄々と言いながら



「こうして強くなった身体なら」



 大して力を入れた風もなく、腕を横に振るう。

 ただそれだけの動作で、巨大な岩は一瞬にして砂塵となった。

 生徒達は目の前で何が起こったのかよくわからないという顔で固まっていた。

 フと得意げな顔で、ローレンシアは生徒達に直る。



「とまあ、素手でもこの程度の芸当なら誰にでも出来る、というわけじゃ」



 すげー、先生素敵、はっはっはもっと褒めろ、と場の雰囲気は再び緩んでいく。

 しかしただ一人、エンジェレットだけは黙り込み、ジと強い視線をローレンシアに向けていた。



「エンジェレット、どうかしたかの?」



 白々しい。

 エンジェレットは微かな苛立ちと呆れを感じた。



「なにが『誰にでも出来る』なんですの? 今の一撃……いえ、五撃というべきかしら」

「見えていたか。流石じゃな」

「岩に触れた瞬間、自分の気を流し込んで炸裂させましたわね。あんな高等技術、なかなか身につくものじゃありませんわ」

「そこまでわかるとはな。まあ、今のがわからぬようなら、今回の依頼はなかったことにしようと思っていたのじゃが」



 エンジェレットは眉間にしわを寄せる。



「先生、私を行かせたくないんですの?」

「うむ」



 何の躊躇いもなく、ローレンシアは大様に頷いた。



「では、この話はまた後でのう。邪魔したなエンジェレット」



 エンジェレットが口を開く間を与えずに言うと、ローレンシアはあっという間にその場を離れていった。

 生徒達を残してローレンシアを追うわけにもいかず、エンジェレットは溜息をついて空を見上げる。

 雲ひとつない綺麗な青がずっと広がっている。

 ――自分は強い。

 もちろん自身ではまだまだ未熟と思っているが、客観的に見れば強いと言い切れる程度の実力はある。

 それはローレンシアもわかっているはずだ。

 それなのに、ローレンシアは今更自分の実力を試すような真似をした。



(今回舞い込んだ依頼というのは、一筋縄ではいかないということですわね)



 遠くの山々を見つめ、ふとクエスターズにいた頃親睦を深め合った友人達に思いを馳せる。

 イリス。

 ククルー。

 ユユ。



「皆、今頃何をしているのかしらね」