閑話休題「勇者」
サーザイトが辞め、イリス立ち四人が卒業してから二十日ほどが経ったある日のクエスターズ。
ローレンシアは相変わらず暇そうにしながら、紅茶を入れていた。
傍らに置いた大きな瓶から砂糖をすくい、カップに入れ、かき回し、またすくい、入れ、かき回す。
暇そうにしているのも無理はなく、実際ローレンシアは暇である。
クエスターズの教師長とはいえ、生徒達の授業を受け持っているわけではないからだ。
強いて言うと、彼女はここ数年では一度だけ『特別授業』と称して授業を行ったことがある。
その時は参加した生徒五十名の内四十八名が授業中に力尽きるという、生徒側にとっては散々な結果に終わり、
それ以来ローレンシアは授業をやっていない。
授業を受け持っていないとなると、ローレンシアは立場上クエスターズから気軽に離れるわけにもいかないので、
こうして暇な時間を一人で過ごすしかなくなるのだった。
ここに来た時点で光り輝いているものなど稀、原石すら滅多に見当たらない。
そういう意味では、イリス達はローレンシアが見てきた中でぴか一だったのだが、
「暇だのう」
卒業してしまった今となっては、どうでもいいことである。
こんなことなら、色々と難癖をつけて卒業を少しくらい遅らせても良かったか、などと考えてしまう。
彼女達はまだ若いのだからそれくらい――と思うに至り、ローレンシアははっとなってその考えを振り払う。
自分だってまだまだ……いや、断言できる、若い、若い、若いぞ!
うんうん、と満足げに頷いてカップを傾ける。
砂糖の量が足りていないのか、僅かに濁ったような苦味を感じた。
かと言ってこれ以上砂糖を入れても溶け切らないな。
そう思ったローレンシアはカップを口元まで寄せてから、フッと一息呼気を吹きかける。
コポリ、と泡が水面に湧いた――かと思うと、紅茶は唐突にぐつぐつと煮立ち始める。
ローレンシアは、次の瞬間には鼻歌を歌い出しそうなくらいの笑顔になって、再び砂糖を投入し始め、
「そんなに入れていいんですか?」
その声に首だけを動かす。
いつの間にやら部屋の扉が開き、そこにもたれるようにその人は立っていた。
チリン、と小さく鈴の音が鳴った。
ローレンシアはフッと微笑する。
「わしは紅茶が好きじゃ。だがこの苦味だけはどうしても好きになれん。このくらい砂糖を入れんとな」
「そうは言っても、わざわざブレスで紅茶を沸騰させなくてもいいじゃないですか」
呆れたように溜息をついて、後ろ手に扉を閉める。
そのままローレンシアの正面に腰掛けた。
ローレンシアは何も言わず立ち上がり、新しく紅茶を入れ始める。
湯の温度は少々ぬるめ、砂糖はスプーンに軽く一杯。
「ありがとうですか、ローラ」
「気にするな。……その口調、どうにかならんのか?」
「気にするな。……ですか」
自分の口調を真似てくすくすと笑う相手を、ローレンシアは複雑そうな顔で見る。
「この口調で話し始めて、もう十年になりますか。すっかり定着しちゃいましたですか」
ごめんなさい、と小さく舌を出して頭を下げてくる。
とりあえず反省はまるでしていないようだった。
ふうと一息ついて、ローレンシアは語調を変える。
「それでおぬし、いつまでここにいてくれる?」
「もう少しだけ。そうしたら、最後にやり残した仕事を終わらせにいくですか」
そう言うと、すぐさま立ち上がる。
部屋を出る直前、振り返らないまま、
「それが終わったら、今度はリズ・アルベールとしてお友達になってくれませんか? ローレンシア・アルテラス」
「……無論じゃ」
フ、とどことなく柔らかい雰囲気がしたのと、扉が閉められたのは同時。
再びローレンシアは一人で紅茶を飲み始める。
ほどなくして、部屋の扉がドンドンと強く二回叩かれ、一人の男性が入ってきた。
クエスターズの紋章が首元に光っている。
「ローレンシア先生。楽しい楽しいデスクワークのお時間です」
「デス・苦・ワークとは良いネーミングセンスじゃて」
ふう、と溜息。
しかし今となっては、それがほぼ唯一と言っていいローレンシアの仕事である。
書類に目を通して判を押すだけの仕事だが、クエスターズの教師長である彼女にしか出来ない仕事だ。
仕事机の方に座り直し、目の前にどさっと詰まれた書類を一枚ずつ手に取っていく。
と、書類を持ってきた男性がふと思い出したように、
「ローレンシア先生。先ほどあの、鈴を付けた方にあったのですが、彼女は何者なのですか?」
「リーズのことかの」
「最近随分と懇意にしているようですから」
ふむ、とローレンシアは一瞬手を止めて、
「おぬし、勇者とはどういうものか知っておるか」
「は? ゆ、勇者、ですか? あの伝説上の?」
「そうではなく、実際に勇者と呼ばれる者のことじゃ。人に仇名すあらゆる悪を滅するという戦士をそう呼ぶらしいが」
再び作業に戻る。
「あやつは、その勇者なのじゃよ」
「はぁ。ですが以前ご本人に聞いてみたところ、元アパート管理人の無職と聞きましたが」
「そうとも言うのう」
からからとこぼれる笑みを抑えようともしない。
しかし、ローレンシアの顔から不意に笑顔が消えて、
「……そうとしか言えなくなるといいのう」
え? と男性が聞き返す頃には、もうローレンシアはいつものように微笑を称えていた。