第三十一話「墓地での攻防 1」


 消えないにおい。

 指先に感じるあたたかな感触。

 またどこかで誰かの叫び声が聞こえる。

 辺りは漆黒に包まれ、何も見えない。

 いや、時たま赤いものが見える。

 ぱっと一瞬弾けては消え、弾けては消える花のようなもの。

 それを目印に、足を前へ動かす。

 なぜか一歩踏み出すだけでひどく辛い。

 足が地面にへばりついているような気さえする。



『よぉ。いい加減に目は覚めたか』



 またお前か。

 お前の顔を見るのも、もう慣れた。

 不意に暗闇から姿を見せた男に、俺は冷たい視線を投げかける。



「……ああ、おかげ様でな」

『そいつぁいい。いつまでも平和ボケされてちゃクソ面白くもねぇからな』



 腕を滴る赤を、小さく舌を出して舐める。

 おぞましい光景なはずだが、俺は静かな心でそれを眺めていた。

 重たい足を持ち上げようとしてみるが、そろそろそれも敵わなくなってくる。



『見えるか』

「……」



 無言で頷く。

 少しずつ目が慣れてきて、陰っていた足元が見えるようになっていた。

 自分の足は、見えない。

 見えるのは、無数の手。

 あるものは指先を全てひしがれ、あるものは折れ曲がり、あるものは枯れ切って乾いている。

 それが螺旋を描くように何重にも重なって、俺の足を掴んでいる。

 とても嫌な気分になった。

 同時に、悲しくなった。

 そんな気分に水を差すように、目の前の奴は不敵な笑みをもらして、



『歩き辛いよな。そういうのはこうしてやればいいんだよ』



 見れば、そいつの足にも腕が絡みついていた。

 俺と同じくらいか、それよりも多く、数は一目では把握し切れない。

 奴はコートの裏側から剣を取り出し、その腕を無造作に薙ぎ払った。

 ぱぁと枯れ切ったはずの赤が跳ねる。



『お前はやらないのか?』

「俺は……もう、やらない」

『無理するなよ。お前も俺と同じで、本当は殺したいはずだ。血を浴びたいはずだ』

「この人達は、俺が殺したんだろう。なら、これ以上傷つけたくは無い」

『瞬剣とまで呼ばれた男がなんて様だ。腰の剣が錆び付いちまうぜ』

「錆びつきやしない。俺の腕がいくら錆びつこうと、彼女から受け取ったこの剣だけは。

それに、彼女ならきっと、この人達を背負っていこうとしたはず。それはお前だってわかっているだろう?」

『……黙れよ、サーザイト。くだらねぇ、安っぽい正義感。虫唾が走る』



 と、奴の顔から一切の笑みが消えていたことに気付いた。



『そんなゴミみたいなもんが、あいつを殺した。俺はそんなもん認めない。俺は、お前を認めない……』



 砂がかかったように、奴の身体が闇に消えていく。

 もうそろそろ目が覚める時間らしい。

 景色が高速で流れていく中、俺は全ての光が失せる前に呟いた。



「そのゴミみたいなものが、お前にもあるんだぞ」











「おーいダンナ。また魔物が出たから蹴散らしてくんな」



 馬車の中で船を漕いでいた俺は、その声に意識を引き戻される。

 微かに眠気が残っているが、そんなことは言っていられない。

 外に出ると、行く手を阻むように人型の魔物が見える。

 豚と人を合わせたようなその姿はひどく醜く、だらりと口元から涎が垂れていた。

 複数で行動するため、戦う術を持たない者はとにかく逃げるのが賢明だが、



「面倒だな……」



 やる気の無い声が漏れる。

 馬車から降り立った俺を見て、奴らは嬉しそうな声を上げながら突っ込んできた。

 目の前の相手の実力を計る頭も無いというのは、なんとも空しい。

 本能につき従って動くだけの相手になんて負けたりはしない。

 まして、奴らと俺とでは力量差がありすぎる。

 腰に掛けた剣を引き抜き、地面を強く蹴る。

 身体は羽のように軽く、動きは風のように速く、そして緩やかに奴らの間を通り抜ける。

 すれ違い様に一太刀ずつ、浴びせてやった。

 振り返ると、もう血溜まりだった。

 腰を両断された奴が一匹、辛うじて息を残していた。

 寄って行って、即座に頭を潰しておく。

 奴らは低脳だが、生命力だけは人間以上。

 まさか俺が後れを取るとは思えないが、用心に越したことは無い。



「流石ですなダンナ。しっかし何度も出てもらって本当に申し訳ない」

「俺のためだけに馬車を出してもらってるんだ、このくらいは当然だ」



 俺が馬車に戻ると、すぐ馬車は動き始めた。

 進行方向を見たまま、御者は唯一の話し相手である俺に向かって言う。



「ダンナ。この先の村に行くってことは、例の墓場へ行くんでしょう?」

「そういう依頼だからな」

「気を付けてくださいよ。俺もこの一週間で二十近い腕自慢を運んできやしたが、例外無く逃げ帰ってきてまさ。

あいつらも道中の魔物は軽くあしらってやしたが。それほどやばい何かがあるんですかねえ」



 ふむ、と俺は腕を組んで考え込む。

 クエスターズを辞め、ブレイヴァニスタを発って十数日。

 しばらくは各地を渡り歩いて、現在の武器や技術の情報を集めていた俺が、

 冒険者としての復帰後最初に選んだ任務は、墓場に大量発生したというアンデッド退治だ。

 墓場にアンデッドが出ること自体は別段珍しいことではないのだが、その数が異常なのだという。

 その原因を突き止め、アンデッドを一掃するのが今回の目的。

 既に多くの冒険者がこの任務に失敗しているということで、腕が鳴る。

 『俊剣』の名を胸を張って名乗るには、せめてこのくらいは成し遂げねばという思いがサーザイトにはあった。



「ダンナ、もう少しで着きやすぜ」

「それまで少し眠る。また魔物が出たりしたら起こしてくれ」



 そう言って、サーザイトは目を閉じる。

 御者はサーザイトの声に返事をしてから、ふと思い出したように言った。



「そういえば、一週間くらい前に女の子を一人乗せたんですがね。あの時はなぜか一回も魔物に遭いませんでしたなぁ……」











 村に着くと、サーザイトはすぐさま村長の家に行くことにした。

 そこは村というよりも集落で、墓場のアンデッド退治にやってきたと村人に言うと、

 すぐに村長の家へ案内してもらえた。

 アンデッドが大量発生しているという話は、村全体に行き渡っているらしい。

 そのアンデットが村を襲わない保証はないのだから、当然といえば当然だ。



「今日来てくださったというのはあなたか」



 家に入ってすぐ、村長はサーザイトを迎えた。

 サーザイトをじっと見て、疑わしそうな声を漏らす。



「失礼かもしれないが、腕は確かなのかな?」

「随分猜疑な方だ」



 サーザイトがそう言うと、村長は苦笑して、



「申し訳ない。なにしろ今までに屈強な方が何人もあそこからはほうほうの体で逃げ帰ってきているものでして」

「気にはしていない。では、早速案内していただけるか」

「今すぐと申されるか? 今日はおやすみになって、明日にしなさったらどうか。

それに今からでは墓場に着く頃には日が落ちて、奴らの活動が活発になります」

「心配は無用だ。闇に紛れて動けばいい。それに馬車で十分休息は取ってきている」

「左様ですか。わかりました」



 村長は壁に掛けてあった防寒用のマントを羽織った。



「ご案内します。着いてきてください」



 頷き、村長の後を追い家を出る。

 既に日は完全に傾き、赤が世界を染めていた。

 一瞬、空から何か滴ってくるような気がして、サーザイトは首を振る。

 あの赤は、あんなに深い色をしていない。

 ズキリと頭に痛みを感じた。

 拒否反応だろうか。

 サーザイトは腰の剣に手を掛けて、深く息を吸い込む。

 暴れだしそうな感情を自分の中に押し込めるように。



「ここです」



 村を出て三十分ほどのところに墓場はあった。

 入り口には鉄製の大きな門があり、内部で発生したアンデッドが外に漏れ出さないように光属性の封印が施されている。

 単純に言えば、アンデッドは出ることも出来ず、生きている者なら誰でも自由に出入り出来る結界だ。



「では、私はこれで」



 村長は一礼してから、来た道を戻っていった。

 彼には案内だけしてもらえば十分なので、サーザイトも何も言わず、じっと門越しに墓場を見る。

 夜の闇が広がる中に、生暖かい風が吹いていた。

 サーザイトは門を押し、僅かに出来た隙間に体を滑り込ませる。

 背後でガシャンと門が閉じたと同時に、肌の上をそっとなでていくような嫌な気配を感じた。



 ――お客さんだ

 ――うん お客さんだ

 ――お引取り願おう

 ――うん 願おう



 まだ目では確認できないが、わかる。



(見られている……)



 やはり外からの来訪者には敏感らしい、とサーザイトは冷静なまま思った。

 いつでも戦えるように、腰の剣を抜いておく。

 引き抜いた瞬間、辺りの空気が蠢いた。

 サーザイトの持っている剣は、聖なる加護を受けた聖剣。

 その放つ光を浴びただけで、不死者は現世では形を保てなくなるという代物だ。

 本能的にそれに勘付いたのだろう、辺りから次第に気配が消え失せていく。

 触らぬなんとかに祟りなし、というやつだろう。

 この場合は祟りではなく天罰だが、とサーザイトは歩みを進めた。



 ――あれは ぼくたちじゃ無理だ

 ――無理なら仕方ない

 ――友達には悪いけど あとはあの強い子に任せよう

 ――うん 任せよう



 墓場は、どうということはない至って平凡なものだった。

 確かに朽ち果ててはいたが、荒らされているわけではない。

 辺りを徘徊するアンデッド達にも強い力は感じられなかった。

 大量発生した理由はまだわからないが、それなりの力がある冒険者なら、力負けすることはないだろう。

 しかし、これまでにこの任務に失敗してきた者達は、腕の立つ者ですら逃げ帰ってきたという。

 一体何故……と考えていた時だった。

 突如として、辺りの闇が濃くなり、自分の姿すらもほとんど見えなくなる。

 咄嗟に身構えて辺りを見回すが、特に何の気配も感じられない。

 何も見えず、聞こえず、自分が立っているのかどうかすらわからなくなる。



(なんだ、この空間は。まるで今日見た夢の……)



 そう考えたとき、足がズン、と重たくなった。

 サーザイトの表情が凍りつく。

 そっと目を落とす。

 暗闇から這い出るように伸びた腕が、足を掴んでいた。

 思わず剣を振り上げ、ふと視界に人影が映る。

 顔を上げると、そこには――奴が不敵な笑みを浮かべていた。

 ガチガチ、と奥歯が鳴る。

 恐怖で叫びだしそうになるのを必死にこらえた。

 そして、喉から絞り出すように、言った。



「お前は……奴、じゃない。だから、消えろ」



 一歩を踏み出す。

 足に絡み付いていた腕は、いつの間にか消えていた。

 目の前を立ち塞がるように立っていた影は、霞のように消える。

 その向こう側に、



『驚いたナ。心ノ闇を看破するなんてネ』



 おかしな格好をした少年が立っていた。

 少年、と言っていいものかどうか。

 彼は顔の右半分が髑髏だった。

 服装は、何の変哲もない長袖シャツに長ズボン。

 袖から見えている体も、左手は生身のようだが右手は骨だ。



『恐怖がないわけじゃないよネ。どうしてわかったノ? それとも勇気? 虚勢かナ?』

「恐怖がない、というのだけは正解だ。俺には勇気なんてものは無い。虚勢を張る余裕もなかった」



 はあ、と息をつき、サーザイトは言う。



「奴と俺は、『同じ』なんだ。目の前にいれば、それが感じられるはずなのに、さっきは感じなかった。

奴の姿を見て、恐怖しないわけじゃなかった……だが、やはり偽者は偽者だ」

『偽者って言ってモ、本人の記憶から直接作り出しタ、限りなく本物に近い幻だったんだけどナ』

「そういう術だったか。俺は魔法関係には多少疎くてな。説明感謝する」

『どういたしましテ。どういたしましてついでニ、出来ればお引取り願いたいんだけどナ』

「悪いが、それは出来ん相談だな。このアンデッド大量発生の原因を調べるのが仕事なんだ。

そうだ、お前はどうしてアンデッドが大量発生しているか知っているか?」

『もちろん知ってるヨ。僕の友達が呼び寄せたのサ。しばらく誰も寄せ付けないようにってネ。

僕はその呼び寄せた子達が悪さをしないように見張る番人ってところかナ』

「そいつはご苦労なことだ。だが、見過ごすわけにはいかないんだ。そこを通してもらえないか?」

『ごめんネ。それはできなイ』

「力ずくでも通してもらう」



 剣を正眼に構え直す。

 聖なる光が少年の身体を照らすが、



『無駄だヨ。僕にその光は通じなイ。確かに僕は生きてはいないけド、でもアンデッドとしてもなりそこないだかラ』



 サーザイトは言葉の終わりを待たず、瞬時に距離を詰めて剣を真横に薙ぐ。

 その切っ先は、少年の左手から伸びた剣に防がれていた。



『僕の友達ハ、僕がある人の動きをトレースできるようにしてくれタ。僕の友達が知っている中デ、最強の剣士の動きをネ。

たとえ相手があなたでも、そう簡単には負けないヨ。サーザイト・ルーヴェインさん』

「! お前……俺を知っているのか」

『うン。何度も会ってるヨ。あなたと直接話すのハ、もしかしたらこれが初めてと言えるかもしれないけどネ』



 ギリギリ、と刃と刃が擦れ合い、直後、弾ける。

 上に弾かれた勢いはあえて殺さない。

 そのまま円を描くように斬りつける。

 少年は、それを右腕で受けた。

 服の繊維を切り裂いたところで、サーザイトの剣は止められる。



(自分の腕を盾に……!)



 驚いている余裕もなく、死角から放たれる一太刀。

 辛うじて上体をそらしていなす。

 前髪が数本切り飛ばされ、宙に舞った。

 相手の振り終わりを待たず、サーザイトは強く後方へ飛び去り、真一文字に剣を振るう。

 切り裂く速度は、そのまま空を裂く刃になって少年を襲う。

 回避は間に合わない。

 少年は、後ろへ飛ぶと同時に振り上げていた腕を勢いよく下ろした。

 剣先から巻き起こった風が空を裂く。

 サーザイトと同じ技、『空裂』。

 両者の間で、見えない刃が幾重にも交差した。

 サーザイトは応戦しながらも、驚きを隠せない。

 『空裂』を扱えること自体は驚嘆に値しない。

 しかし、少年の、まるで舞うような動き。

 そして今の、同じ技で相殺した時の動きも。



(この動き……)



 互いに間合いを測りながら、じりじりと距離を詰める。

 サーザイトの額から、冷たい汗が一滴こぼれ、乾いた土に染み込んでいった。

 よもやと思ったが、恐らくその予想は当たっている。

 もしかしたら、限りなく最悪に近い相手かもしれない。

 少年がトレースしているという剣士、



(間違いない、こいつは……!)



 それは紛れも無く、サーザイトの教え子。

 エンジェレット・エヴァーグリーンだった。