第三十話「旅をする理由」
日が傾きかけた頃、イリスとククルーはエリスと共に村の入り口へやってきていた。
カテリナが出発するということで、見送りにきたのである。
「もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「悪いなエリス。夜までに隣町に着いときたいからな。それに、この村の雰囲気はどうもオレには合わねえや」
「あなたは昔からやんちゃでしたからね」
「悪かったな、お前みたいに落ち着きが無くてよ」
二人はそう言いながら笑った。
その軽口は、二人が名残を惜しんでいることの現れなのかもしれない。
少なくとも、ククルーはそう思った。
カテリナが傭兵の中でもかなりの実力の持ち主だということは出会ってからの短い間だけでわかったが、
それでも外の世界には魔物も入れば盗賊もいる、危険だらけで安全の保障のあるところなどほとんどない。
だから一分でも一秒でも、同じ時間をその人と過ごしたいと思うのは自然なことなのだろう。
「それじゃ、そろそろ行くぜ。じゃあなエリス。それと、イリスにククルー。
お前らとは、別の場所で会うかもしれねえな。その時はよろしく頼むぜ」
「はいっ。カテリナさんもお元気でっ」
「……お世話になりました」
二人が頭を下げたのを見て満足したのか、カテリナはフッと笑ってから三人に背を向けて歩き始めた。
振り返る素振りも無くその背中はどんどん小さくなる。
その背が豆粒ほどになり、やがて山の陰に消えるまで、三人はその背中を見送っていた。
「それじゃ、戻りましょうか」
エリスは気を取り直すように明るい声で言った。
強い人だな、とククルーは思う。
多分、今一番辛いのはこの人だから。
もう帰ってこないかもしれない友人を送り出して、じっとこの場所で待つしかできない。
故郷――帰るべき場所を守るということは、もしかしたら世界中を旅して回ることより凄いことなのかもしれない。
エリスのような人がいるから、カテリナはもちろん、イリスも安心して外の世界へ飛び出していけるのだ。
先に立って歩くエリスの背中は、細身なのに何だかとても大きく見えた。
完全に日が落ち、小さな粒が夜を彩っている。
森の動物達もなりを潜め、夜風がさやと森を静かに鳴らしているだけの時。
夕食も終わり、イリスの自室でイリスとククルーはお互いの存在だけを感じながら穏やかな時を過ごしていた。
しっとりと沈黙が部屋を包み始めて一時間ほどした頃。
「ねえ、クーちゃんっ。クーちゃんは、この旅に何か目的みたいなものはある?」
ふとイリスが呟くように言った。
読書に耽っていたククルーの意識は現実へと引き戻され、その視線が持ち上がってイリスへ向けられる。
「……目的?」
「うんっ、目的」
常日頃は活力の塊のようなイリスが、今は人が変わったように静かだった。
だが、それはあくまで表面的にそう見えるというだけだということはククルーにはすぐわかる。
イリスの目は、変わらず強い光を宿したまま真っ直ぐにククルーを見つめていた。
ククルーは不意に言葉に詰まって、開きかけた口をつぐむ。
目をそらしたのは、ほんの一瞬。
「……わからない。私も、明確に言葉に出来るほどの何かがあるわけじゃない」
イリスの目を正面から受け止めて、ククルーは小さいながらも凛とした声で言った。
淡々とした中に、一本芯の通った声。
イリスの言葉を確かに受け取り、真剣に考えて。
それでも答えが出せなくて、その上での、答え。
「そっか」
対して、イリスの呟きは空気に溶け入りそうなほどか細い。
呟いてからイリスは切なげに俯き、何事かを考えているようだった。
ククルーも何と声をかけていいかわからず、心配そうにイリスを見るばかりだ。
また静寂が戻ってくる……そんな頃、唐突にイリスが顔を上げて、
「あーっ、やっぱりわかんないやっ」
その勢いのまま、ベッドの上に仰向けに転がった。
声の調子はすっかり普段のものに戻っている。
そのことにいくらか安堵したククルーは、ふと思ったことを口にする。
「……わからないというよりは、決められないんじゃないかな」
「決められない?」
「……うん。少なくとも、私はそう」
イリスは上体を起こして、ククルーに向き直る。
先ほどとは立場が逆になった。
だが、イリスはククルーとは違った。
元の調子にさえ戻れば、イリスが大人しく人の話を聞いていられるはずがない。
ククルーが言葉を選んでいる間にベッドから飛び下りたかと思うと、
正面からククルーの華奢な身体を強く抱きしめる。
驚いて目をぱちぱちさせるククルーの耳元で、イリスは快活な声を発する。
「焦んない焦んないっ。無理して答え出さなくたっていいよ。旅する目的なんて、きっと旅してれば見つかるもんっ」
イリスが背中を叩くたびに、ククルーは安心できた。
じわりと暖かな気持ちで胸が一杯になって、溢れそうになる。
「……うん。そうだね。今すぐ答えを見つけなくてもいいよね」
もしかしたら、問題を先送りにしているだけなのかもしれない。
友達と、仲間と一緒に旅をするのが楽しいというだけでは、旅をする理由としては薄っぺらいかもしれない。
でも、二人にとっては、それはとても大切なことだった。
そして、ククルーはこんなことも思っていた。
自分なりの『旅をする理由』……その答えは、実は見つけるものではなく、作っていくものかもしれない、と。
旅をしていく中で様々な経験を通して、泣いたり、笑ったり、楽しんだり、傷ついたりしていって。
その中で、自分が「『これ』と決めた」ものこそ、旅をする理由なのではないか。
それは頭で考えて捻り出した答えではなく、言うなればこれまで生きてきた過程で作られていった答えだ。
イリスもククルーも、まだ年齢的には若い。
幼いとすら言える。
冒険者としては駆け出しで、まだ実績も何もない。
目的を考えるのは悪いことではないが、それを考えすぎる余り立ち止まってしまうのはいけないだろう。
だからひとまず、やれることをやってみよう――どうせ自分達に出来ることなんて、さほどない。
ククルーはイリスの肩を押して、はっきりと口にする。
「……イリス。私達は、沢山経験を積もう。焦らないで、一歩ずつ。それで、強くなろう。今より、ずっと」
「クーちゃん……うん、うんっ。そうだねっ」
イリスは何度も頷いてから、勢いよく立ち上がり、
「そうだっ! 思い出したっ! 私、クエスターズにいた頃からエンジェちゃんに憧れてたんだっ!
エンジェちゃんみたいに強くなりたい、格好良くなりたいってっ! うん、目標は、打倒エンジェちゃんっ!」
「……」
随分目標が遠くに設置されたな、とククルーは思う。
反面、目標というのは高ければ高いほどいいのかな、なんてことも思った。
ククルーは口元をほころばせる。
「頑張ろう、イリス」
「もっちろんっ!」
その返事に、ククルーはやる気と元気、両方をもらったような気持ちになった。
いつだってそうだったような気がする。
そして、多分これからも。