第二十七話「帰郷」


 ククルーは、目の前の惨状に言葉を失っていた。

 飛び交う声、駆け巡る影、怒号、悲鳴、雄叫び、拳骨、泣き声。



「それ俺の! 俺の分!」

「違うやい僕んだい!」

「僕の分取られたよぅ。えぐっひっく」

「こらっ! 自分の分だけ食べなさいっ」

「うわあああん! ちいねえがぶった! ぶったあー!」



 巨大な木製テーブルの上にずらりと並べられた料理を、我先にと食い散らかす少年達。

 大きな皿にどどんと盛られた肉と野菜の山を互いに取り合いながら食べている子もいれば、

 こんがりと焼けた肉を手に持ったまま席を立って走り出す子までいる。

 横から今まさに食べていた料理をかすめ取られて泣き出す子もいて、

 その子の分を取った子をイリスが軽く拳骨をして叱っていたが、

 イリスの力でそんなことをしたものだからそれなりに痛かったのか、

 その子も泣き出してしまいって収拾が余計につかなくなり、イリスは困った顔をしていた。

 ククルーは目をぱちぱちさせながら、辛うじて確保している皿からちまちまと料理を口にするが、

 まるで全身を震わせてくるかのようなこの場の雰囲気に呑まれてしまって、ほとんど味などわかっていない。

 彼女は普段大人数で何かをするということがなく、一人静かに読書などを嗜むのが常であったため、

 こういった喧騒にはまるで免疫が無く、呆気に取られるしかないのだった。



「ごめんなさいククルーちゃん。うるさくて困っちゃいますよね」



 そんなククルーの様子に気付いたのか、少し離れて座っていた女性が声をかけに来てくれた。

 イリスと同じ濃い茶色の長い髪をした優しそうな目をした女性。

 彼女の名前はエリス・アースグランド。

 イリスの姉である。

 先ほどから落ち着かない様子で料理を食い散らかしている少年達は、全員がこのエリスとイリスの弟だという。

 それを聞いたとき、ククルーの眼鏡は思い切りずれた。

 上二人が女で、下の……一、二、三……七人が、全員男。

 なかなか素敵な産み分けだと思う。

 それ以前に人数の多さにククルーは呆れたが、どうもここではそう珍しいことではないらしいのだった。

 田舎村の家族事情はどこもそんな感じなのよ、とエリスは苦笑交じりにククルーに言う。

 エリスは弟達の普段と変わらない様子を見て、呆れたように溜息をついた。



「もう、今日の主役はイリスとククルーちゃんなのに」

「……いいです。十分です」

「本当?」

「はい……楽しい、です」



 ククルーは俯きながら、呟くように言った。

 ほとんど初対面に近いエリス相手に、そこまで言えるようになっただけでも、彼女にしてみれば大きな成長である。

 ククルーは人付き合いが苦手ではあるが、クエスターズでの生活を経て多少は意思疎通を容易なものとしていた。

 もちろん、エリスが自分の親友であるイリスの実の姉であり、優しい性格であることも大いに関係してはいる。

 イリスの姉とはいっても、エリスはイリスとは雰囲気がまるで違っていた。

 元気いっぱいで表情のころころ変わるイリスに比べて、エリスは穏やかな顔立ちをしていて、あまり物事に動じない風であった。

 イリスがもっと大人になって、それに落ち着きをプラスさせたらこうなるだろう。

 落ち着くというのは、イリスとは最も縁の無いことの一つではあるが……。

 下の弟達を叱り付けている親友を眺めながらククルーがそんなことを思っていると、不意にエリスが笑みをこぼした。

 何事かと思いエリスを見ると、彼女は嬉しそうにククルーに微笑んで、



「ごめんなさい。ククルーちゃんのイリスを見る目に親しみがあって、何だか嬉しくって」

「……そう」

「姉としてとても嬉しいわ。あの子ったら、一年前にここを出て行ってから全然連絡を寄越さなかったの。

危険な目にあっていないだろうか、上手くやっているだろうかって、ずっと心配で夜も眠れなかった。

だからちゃんと帰ってきてくれて安心したわ。しかも、ククルーちゃんみたいな可愛いお友達も連れてね」

「……」



 なんとなく気恥ずかしくなって、ククルーは返事もせず食事に夢中な振りをした。

 知ってか知らずか、エリスは楽しそうに顔を崩す。

 この喧騒が、団欒というものだろうか。

 ククルーはそのパワーに圧倒されつつも、どこか心地好さを感じていた。

 もう自分がずっと感じていなかった、家族の温もり。

 その席に自分も加えてもらい、ククルーは何だか懐かしい思いに捕われていた。

 もう顔も覚えていない父の腕に抱かれて、無邪気に笑っていた頃の自分。

 父のことは少しずつ忘れていくのに、自分の故郷を焼いたあの赤い十字を背負った奴等のことは、なかなか忘れることが出来ずにいる。

 過去よりも今が大事だと頭ではわかっているが、そう簡単に過去を忘れることが出来ないのも事実だ。

 それを以前よりも考えなくて済むようになったのは、やはりイリスのおかげによるところが大きい。

 イリスの底無しの元気と笑顔は、いつもククルーの心に光をくれた。

 せめて自分が彼女にしてもらっている分、彼女に何かしてあげたい。

 ククルーは常々そう考えていた。



「ところでククルーちゃん?」



 思案に耽っていると、エリスが顔を覗き込んできた。

 ふわりと彼女の髪の香りが鼻腔をくすぐる。

 土の香りに混じって、柑橘系を思わせる爽やかな匂いがした。



「これからどうするの? 今日は泊まるんでしょうけど、またしばらくしたら旅に出るんでしょう?」

「……はい」



 ククルーは顔をあげた。

 どうするの? ……そう聞かれても、ククルーは自分の中に答えを持っていなかった。

 ここ――イリスの故郷に来たのも、イリスが言い出したことである。

 特に何もないなら、一度故郷に戻りたい、自分を家族に紹介したい、そう言ってイリスはククルーをここへ連れてきた。

 冒険者というのは、基本的に自由を約束されている。

 しかし、自由というのは、何も無い空間に放り出されるに等しいものだ。

 何か目指すべきもの、目的が無ければ、自由の尊大さは人を殺しにかかってくる。

 ククルーには、それが無かった。

 だから彼女にとって、今こうして手元にある自由は、目的そのものを探すためのものだった。

 幸いなことに時間はたっぷりとあり、同じ旅路を歩いてくれる友もいる。

 そう考えれば、この旅もそう悪いものにはならないと思えて、ククルーは自分でも知らずの内に微笑んでいた。











 夕食が終わると、食事と変わらないテンションのままイリスの弟達は自分達の部屋へと戻っていった。

 片付けを手伝おうとしたら、エリスに「お客様に手伝わせるわけにいかないから」と言われてしまったククルーは、

 手持ち無沙汰のまま、ひとまずイリスの部屋にでもお邪魔しようかと思っていたら、そのイリスがやってきた。

 なんだかんだで久し振りに姉弟に会えたからか、随分とご機嫌そうな顔だった。



「クーちゃんっ、一緒にお風呂いこっ」

「……」



 頷くと、イリスは嬉しそうに笑ってククルーの手を取った。

 イリスの手は、少しだけ硬いけど、それ以上に温かい。

 ククルーを外からも内からも温めてくれる。



「イリス、待ちなさい」



 ククルーを引いて部屋を出ようとしたイリスを引き止める声があった。

 二人が振り向くと、そこにはがっしりとした体つきの男性。

 背丈はククルーより頭二つ分も大きく、二の腕はククルーの太ももほどもある。

 精悍な顔つきをしており、見るからに力強そうな彼は、イリスの父親であった。



「風呂に行くのは構わないが、その前にお父さんは話すことがある」

「それはいいけど、それじゃクーちゃんを待たせちゃうから後に……」

「それなら大丈夫」



 イリスの父親の背中から、片付けをしていたエリスがひょこっと顔を出した。



「私がククルーちゃんを案内するから、安心しなさい」

「エリスお姉ちゃん? だ、だって片付けは?」

「お父さんが頼んだんだ」



 と、イリスの父親が言った。

 エリスは、その大人びた雰囲気には多少似合わない感じでて可愛らしくぺろっと舌を出して、



「だから、ククルーちゃんのことなら安心してお姉ちゃんに任せて?」

「……あー……うー」



 イリスは思い切り不満そうな顔をした。

 つまり、もう白旗というわけだ。

 観念したのか、イリスは唇を噛んでぶすっと黙ってしまった。

 エリスはくすくすと笑って、



「ふふ、話が終わったら早く来なさい。それまではお姉ちゃんがククルーちゃんをもらっちゃうからっ」



 エリスはククルーを抱きしめると、そのままククルーを担ぎ回しながら部屋を出た。

 先ほどまでの落ち着きはどこへいったやら、きゃっきゃとはしゃいでククルーの身体をぐるぐる回しながら廊下を歩いていく。

 大人びていると思ったが、やはりイリスの姉だなとククルーは思う。

 機嫌が良くなってくると、そこかしこに見える無邪気な行動や屈託の無い笑顔は、イリスにそっくりだ。

 エリスの方が年上なのだから、イリスの方がエリスに似ている、というのが合っているかもしれない。

 エリスはまずククルーを自分の部屋へと招き入れた。

 着替えを用意するためである。



「うーん、やっぱりイリスが昔着てた服がぴったりだわ」



 エリスはククルーに服を当てながら、うんうんと満足そうに何度も頷いた。

 ククルーは、クエスターズにいた頃の着替えを持ってきていたので遠慮したのだが、

 エリスがどうしてもというので、ククルーはエリスに渡されたイリスのお下がりを持たせてもらった。



「もしかして、嫌だった?」



 妙に気後れしているククルーに気を遣ったのかエリスがそう聞いてきた。

 ククルーは、少し大きく首を横に振る。

 こんなに優遇してもらって、何だか悪い気がしているだけである。

 自分が今持っている服を、昔イリスも着ていたのだと思うと、わけもなく嬉しい気分になってくる。

 着替えを手にしてから、二人は外へ出て山道を歩いていった。



「少し離れた岩場にね、温泉が湧き出てるところがあるの。この村にいる人達は昔からその温泉に通ってるのよ。

ちょっと行き来が面倒だけど、すごく気持ちがいいの。疲れもよくとれるし、身体の調子もぐっと良くなるのよ」

「……」



 黙り込んでいるククルーに、エリスがにこにこしながら話し掛ける。

 ククルーはほとんど頷いたり、時たま相槌を打つだけだったが、その心中は穏やかだった。

 隣を歩いているのが、イリスのお姉さんだからかもしれない。

 一緒にいるだけで、何となく安心する。

 辺りは夜がしんしんと鳴っていて、サク、サクと土を踏んでいく音が心地好かった。

 森の合間を縫うように山道をしばらく上ると、白い煙が上がっているのが見えてきた。

 近くに小屋の屋根も見える、どうやらそこが温泉のようだった。

 小屋の窓からは明かりが漏れている。

 中はカーテンで区切られた小部屋が沢山並んでいた。

 脱衣所ということらしい。



「あん? おう、エリスか。お前も入りに来たのか」



 二人が中に入ると、ちょうど脱衣所には一人の女性がいた。

 黒いショートカットのすらっとした身体の女性である。

 エリスは少し驚いた顔をしてから破顔して、



「カテリナ! 帰ってきてたのね!」

「ついさっきな。先に挨拶しに行こうかとも思ったんだが、長旅で疲れてるもんで、先にこっちに来てたんだ。

ところでそれはそうと、そっちのおちびさんは見ない顔だな?」

「あ、この子はククルー・シルファニーちゃん。イリスのお友達なの。ちょうどあの子も今日帰ってきたのよ」

「……初め、まして」



 たどたどしくククルーは軽くお辞儀をした。

 人付き合いに慣れてきたとはいえ、それでも初対面は緊張してしまう。



「ふーん……イリスの、ねぇ?」



 カテリナと呼ばれた女性は、身体を隠そうともせずククルーの傍に近寄ってくると、

 興味深げにまじまじとその顔を覗き込んできた。

 思わずククルーはマントを寄せて顔を隠してしまう。

 と、突然カテリナはにかっと笑ったかと思うと、ククルーの頭をがしがしと乱暴に撫で回し始めた。



「はははは! なんだなんだ、随分と可愛い子じゃねぇかこの子。イリスとはえらい違いだ」

「そんなこと言って、イリスのことも可愛いんでしょうあなたは」

「当然だろ。あいつはオレの弟子だぞ弟子。弟子が可愛くない師匠なんていねぇ!」



 カテリナは爽やかなくらいにきっぱりと言い切った。

 その笑顔と口調から、イリスに対する優しさと親しみが垣間見える。

 だがカテリナに撫でられているククルーは、それどころではない。

 カテリナはかなり力が強く、撫でられるたびにククルーはぐるんぐるんと頭を回されて、目を回していた。



「それじゃ、オレは先に入ってるからな。お前らも早く来いよ」



 そこで、ようやくククルーは解放された。

 タオルを肩にかけて、カテリナはがははと大きく口を開いて笑いながら、

 ククルー達が入ってきた方とは逆の戸から外に出て行った。

 どうやらこの脱衣所は、温泉へと続く通り道にもなっているらしい。

 それにしても豪快な人だなあと思いながら、ククルーはくらくらする頭を抱えた。



「ククルーちゃん、大丈夫? もうカテリナったら、乱暴なんだから……」



 エリスはそう言いながら、ふらつくククルーの身体を支えてくれた。



「あの人は……?」

「カテリナ・ランスターっていうの。私のお友達。ちょっと荒っぽいけど、優しくて強いのよ。

普段は傭兵をやってて、何ヶ月かに一回しか帰って来ないの。ちょうど良かったわ」

「……イリスの、お師匠さん」

「そうね。イリスがまだ小さい頃から、よく一緒になって山を駆け回っていたわ。

久し振りに会えば、きっとイリスも喜ぶわね」



 エリスは少しだけ遠い目になった。

 昔を思い出しているのだろう。

 懐かしめるような過去を持たないククルーには、少し羨ましく思えた。



「それじゃ、早く入りましょうか。中に籠が置いてあるから、脱いだ服はそこに入れておいてね」



 別々の小部屋に入り、カーテンをしてからククルーはいそいそと服を脱ぎにかかった。

 マントを外して、簡単に畳んでから籠の中に入れて、次に靴下、スカート、シャツ、スパッツの順に脱いでいく。

 最後に下着も脱いでしまうと、ククルーは生まれたままの姿になった。

 タオルを握り締めて身体を隠しながら外に出ると、ちょうどエリスも準備が出来たようで小部屋から姿を見せる。



「行きましょう」



 エリスに促されて、ククルーはその後を追って外に出た。

 夜のひやりとした空気は冷たいが、温泉の湯煙が立ち込めており、さほど寒くはない。



「おーい、こっちこっち」



 先に温泉に浸かっていたカテリナが手を振っているのが見えた。

 二人はその近くへ行って、湯に身体を沈める。

 冷えた身体には少し熱かったが、湯の温度はちょうどいいくらいだった。



「何でも、温泉に山の湧き水が流れ込んでて、それでちょうどこれくらいの温かさになってるらしいわ」



 ククルーが不思議そうな顔をしていたのに気づいたのか、エリスが言った。

 納得した顔で、ククルーは水の流れを全身で感じる。

 ある程度身体が温まってきて、ほうと溜息をついた。

 なるほど、確かになかなか気持ちがいい。

 空を見上げると、幾千の星が瞬いていた。

 散りばめられた宝石のようである。

 こんなに心が和むのは久し振り――とククルーが思っていると、その平穏をぶち壊す激しい音が耳に飛び込んできた。

 音は、先ほどの小屋の方から。

 エリスがあらあらと呆れた顔をしている。



「ありゃあ、戸を壊しやがったな」



 カテリナはそんなことを言って、苦笑していた。

 ククルーも、その音の原因が何なのか薄々感づいていたので、少し反応に困る。

 ほどなくして、



「おっまたせクーちゃんっ! とぅっ!」



 小屋から飛び出してきたイリスが、助走をつけて大きくジャンプした。

 空中を三回転ほどしてから、ざばんと飛沫をあげて温泉へ突っ込む。



「こら! もうイリスったら、お風呂に飛び込むんじゃありません」

「えへへっ、ごめんなさーい」



 イリスはあまり反省していない口調で言った。

 その視線がふとある人物にぶつかると、イリスは顔を輝かせて、



「あれっ? もしかしてカテリナさん……カテリナさんですかっ?」

「いようイリス、久し振り」

「うわっ、うわわわわっ、お久し振りですっ!」

「おう、二年振りかねぇ。少しは成長したかぁ? わんぱく娘め」



 そう言われて、イリスはぷくっと頬を膨らせた。



「私だって、クエスターズでいっぱいお勉強したもんっ。あの頃とは違うんだよっ」

「ふぅーん。それにしちゃ……」



 と、カテリナはイリスに近づいたかと思うと、不意に羽交い締めにした。

 にまっと笑ったかと思うと、その手はイリスの白い肌へ伸びる。



「この辺とか。この辺とかっ。この辺とかっ! 成長があんまり見られねぇなー」



 イリスの胸をぐにぐにと揉みしだいた。

 手付きがなんだかいやらしい。

 イリスの顔がかっと赤くなる。



「や、やめてぇ、か、カテリナさ」

「こしょこしょこしょ」

「あひっ! わ、脇はダメでっ、あっ、あは、あはははっ! や、やめっ、てくださっ」

「黙れ」

「ひあっ」

「二年分のスキンシップをはかろうってんだ。やめてほしきゃ、力ずくで抜けてみな。すりすりすり」



 そんな勝手なことを言いながら、カテリナはイリスを抱きかかえたまま温泉の奥の方へ入っていった。

 彼女は本当にイリスのことが好きなのだなとククルーは思った。

 自分の胸に目を落として、掌でぺたぺたと触ってみる。

 そこは見事なくらいに平坦だった。

 隣で気持ち良さそうにしているエリスを覗き見ると、彼女の胸は豊かである。

 そういえば、カテリナもエリスほどではないが、女性らしい身体つきをしていた。



「……あの」

「ん? なぁにククルーちゃん」

「……その」



 ククルーは、なぜかこの事柄は聞きにくいことのように思えてしばし躊躇っていたが、やがて意を決して言った。



「胸が大きいと……いいの?」

「え?」

「さっき、カテリナさんもイリスに言ってた。胸が成長してないって」

「うーん、そうね、なんていうのかしら、女性らしさの象徴かしらね。

個人的には無くてもどうということは無いのだけど、大きいと喜んでくれる人もいるわ」

「……そうなんですか」

「ええ。主に男の人がね」



 そう言って、エリスは思い当たる節があるのか、呆れたような苦笑いを浮かべた。



「……私は、小さいから、喜ばれません」



 心なしか、ククルーは肩を落とした。

 何だか自分の胸が小さいことが、とても残念なことのような気がしたからだ。

 自分が女性らしいかどうかなんて今までに考えたこともなかった。

 それなのにどうしてそう感じるのか、ククルーは自分でもよくわからなかった。

 エリスは優しく微笑んで、ククルーの前髪を掻き分けた。

 前から後ろへと少しずつ髪をすいていきながら、エリスはささやくように言った。



「ククルーちゃんは、これからきっと素敵な女の子になるわ。お姉さんが保証してあげる。

だから胸の大きさなんて、気にしなくても大丈夫。それとも、胸が大きくなりたいの?」

「……そう、かもしれない」

「もしかして、喜ばせてあげたい人がいるとか?」

「それは……」



 一瞬、見知った顔が頭に浮かんだ。

 ほんの僅かに頬が熱くなった気がしたのは、温泉の温かさのせいだろうか。



「……わからない」

「その反応は、そうかもしれないって人がいるのね?」

「……」



 無言は肯定にしかならなかった。

 エリスが悪戯っぽく笑ったのを見て、なんだかその場にいづらくなって、

 ククルーは鼻の辺りまで湯に浸かると、しばらくぶくぶくと泡を立てた。



 大きな岩の向こう側で、イリスの悲鳴に似た叫び声が何度も聞こえていた。