第二十三話「卒業旅行三日目」
卒業旅行もついに最終日を迎えた。
朝食を終えたサーザイト達は、手荷物をまとめて馬車に積んでから、土産物屋を巡っていた。
遅くとも昼前にはシュメットを出なければ、ブレイヴァニスタに着く頃には日をまたいでしまう。
その短い時間を、土産選びに使おうということだった。
「思い出に残るものがいいよねっ。よっし、買うぞ買うぞーっ」
店に着くなり、早速イリスは駆け出していく。
昨日思い切り遊んだ後で、エンジェレットと一緒に酒を飲んでいたというのに、元気一杯だ。
その後ろを、無言でククルーが追った。
一方、その二人とは対照的に、エンジェレットは元気が無い。
朝食の時からずっと調子が出ないようで、店の入り口に背をもたらせている。
「うう……気分が悪いですわ……」
イリスと違い、彼女は思い切り二日酔いだった。
その背中をユユが優しく一定のリズムでさすっている。
「クスクスクス……『エンジェは私が看ていますから、先生も行ってくればいいですの』クスクスクス……」
そうユユが言うので、サーザイトはその言葉に甘えることにする。
元々エンジェレットはユユには心を許している部分があるので、ユユに任せていれば大丈夫だろう。
それよりも、サーザイトはククルーのことが気がかりだった。
昨日の朝から、彼女とは一言も話していない。
鈍感なサーザイトにすら、彼女がサーザイトを避けているらしいことはわかった。
もう別れは近い。
このままだと、この距離を一生後悔する。
そんな気がサーザイトにはしていた。
過ぎた時間がもう二度と帰ってはこないということを、
年齢を重ねた分、わかっていたから、そんなことを思ったのかもしれない。
(だけど、どうしてククルーは俺を避けるんだ……?)
サーザイトは考える。
ククルーは寡黙で無表情で人付き合いがあまり得意ではない子だが、
真面目で心優しい性格であることを、サーザイトは知っていた。
彼女が何の意味もなく、自分を無視するなんてことは決してない、と彼は信じていた。
しかし、そうなるとどんな理由があるというのだろう。
何か、彼女が嫌うことを、自分がしているとでもいうのだろうか。
そうなると、やはり思い出すのは、卒業旅行の一日目の夜、彼女と二人で酒を飲み交わした時のことだ。
あれを最後に、彼女は自分のことを避けるようになった気がした。
とは言っても、特に彼女が嫌がる何かをした覚えはない。
もしかすると、自分は大したことじゃないと思っていても、彼女にとってはとても大切な何か、
それを自分は見落としているんじゃないか……そんな風にサーザイトは思った。
(だが、だとすると俺は何を見落としている? 一体、何を……)
彼女にとって、大切なもの。
友人。
約束。
……約束?
ふと、サーザイトは一つの可能性に思い当たる。
もしかしたらあのとき、自分は知らずのうちに彼女に何か約束をしていたのか。
その約束を自分が守っていないから、彼女は機嫌を損ねて自分を避けている……とすれば。
彼女が自分を避けていることにも納得がいく。
彼女にとって、"約束"というのは何よりも重い、特別な意味を持つ。
過去を打ち明けてもらったサーザイトには、それはよくわかっていた。
それなのに、まだ彼にはそれが何なのか、わからなかった。
自分は、何度ククルーとの約束を破れば気が済むのだろう。
彼女に謝りたい、謝って、仲直りをして、笑顔で別れをしたい。
そんな風に、自分に都合良いことを考えている自分に気がつき、サーザイトは激しい自己嫌悪に陥った。
謝るのは、単なる自己満足でしかない。
そんなことをするよりも、彼女に避けられている理由を考えて、
それに気付いた上で何かをする方が、ずっと誠実なことだ。
そう思いながら、ずらりと並んだ棚を眺めていると、ふと彼の目に留まったものがあった。
青と緑に輝く小さな石が台座にはめ込まれた、小振りなブレスレットだった。
この地方の岩を削り取って、それを装飾品にしたものだろう。
観光地にはよくあるありふれたものだ。
よくある……ありふれた……
「……」
気付くとサーザイトは、それを手に取っていた。
きらきらと光る鉱石の向こう側に、それを身に着けて困った顔で頬を赤らめるその子を思い浮かべていた。
そう思うこと自体、どうかしているのかもしれなかった。
けれど、そうしていると、なぜか不思議と胸の辺りが暖まるような感じがして、心地好かった。
それだけが、その時の彼には大切なことのように思われたので、その物自体が特別である必要はなかった。
よくあるありふれたものでも、そんなことは何の問題にもならない。
そのブレスレットを買い、大事にコートのポケットに忍ばせた。
今の自分に、これを彼女に渡す資格なんてない。
誰に言われたわけではない。
サーザイトは、自分でそう決めていた。
(まったく俺は……どこまでも不器用な男らしいな……)
かつて、今彼の腰に差してある剣の持ち主だったパートナーにも、同じことを言われた気がする。
あれから十年も経つのに、『不器用である』ということを自覚するのに、自分はどれだけ時間をかけているんだろう。
年齢を無為に積み重ねたくは無いものだ、と彼は思う。
若い頃の十年と、老いてからの十年は、その濃度があまりにも違いすぎた。
駆け抜けるようだった若き頃、その後の無為に過ごした十年、そして今……
急に感傷的な気持ちになって、サーザイトは思わず目元を覆った。
十年。
十年である。
それだけの時間をかけて、ようやく彼は、過ぎ去った時間がもう戻ってはこないことを理解した。
その実感が今になって溢れてきて、それが波となって彼に押し寄せていた。
彼は声を押し殺し、肩を震わせて、しばらくさめざめと泣いた。
帰りの馬車の中は、サーザイトが思っていたよりも賑わっていた。
行きはともかくも、帰りというのはどこかもの淋しいものだと彼は思っていたからだ。
しかし、それは自分がそう感じているだけで、彼女達も本当は気付いているのではないだろうか。
それを少しでも感じないようにするために、明るく振る舞っているだけではないのだろうか。
四人の輪を外から眺めていた彼は、そんな風に思っていた。
「ねぇ先生っ、先生も一緒に話そうっ?」
「……悪い、少し疲れているみたいなんだ。そっとしておいてくれないか」
せっかくイリスが誘いに来てくれても、そんな風に素っ気無いことしか言えずにいた。
これで、もう三回目だ。
傍目には自分はとても元気がないように見えるんだろう。
イリス以外が自分に話し掛ける素振りがないから、
イリスが誘いに来てくれているというだけで、多分、全員が気付いている。
それを鬱陶しいと感じながら、それでも誘いに来てくれること自体は嬉しかった。
(くそ……だめだ、思考が安定しない……)
それは、彼女達との別れが近いせいもあるのかもしれない。
だが、それ以上に自分自身が宙ぶらりんの状態になることが、不安なのかもしれない。
ローレンシアは、クエスターズで働かないかと誘ってはくれたが、
そこが自分のいるべき場所と感じられない以上、彼はその申し出を受け入れる気にはなれなかった。
となれば、やはり探すしかないのかもしれない。
自分自身の安息の場所を。
彼も、薄々は気が付いていた。
心安らげる場所を、自分が自分でいられる場所を、自分を認めてくれる場所を、彼はずっと求めていた。
(場所……か)
クエスターズの講師になって、四人と過ごしたこの一ヶ月ほどは、短い間だったが、充実した時間だった。
彼女達と共に歩いてきた道程は、彼の胸に熱いものを思い出させてくれた。
自分は彼女達のために、何かしてやれたのだろうか。
何も、実感が涌かない。
もしかしたら、自分がいた意味なんてなかったのかもしれない。
そう考えると、妙に不安になって、わけもなく悲しい気持ちになり、サーザイトは目を閉じた。
今日の自分はどうかしている。
普段の自分なら、こんなことは考えないはずだ。
一旦寝てしまえ、寝て、起きたらきっと普段の自分に戻っている……
そう信じて、彼は思考を中断して、車輪の音を耳にしながら次第に意識を手放していった。