第二十話「卒業旅行一日目」
「あがりっ! また私の勝ちだよっ」
イリスがツインテールを大きく揺らして叫んだ。
「おかしいですわね……もう一回、もう一回勝負ですわ」
神妙な面持ちでエンジェレットがカードを配り始める。
輪の中にいるのは、その二人とククルーにユユだ。
四人は目的地である海沿いの町シュメットへ向かう馬車の中でカードゲームをしていた。
馬車といっても薄汚れたものではなく、張られた布は真っ白で、随所に美しい装飾の施された旅行用のそれである。
卒業旅行なのだから、そのくらいの贅沢はしてもいいはずだというエンジェレットの意見が採用されたのだった。
ちなみに、今回の旅費は全てサーザイトの財布から出ている。
サーザイトは旅行の前日、旅費で給料がほとんど吹き飛ぶ現実を知り、少しだけ落ち込んだ。
しかし、これで皆が楽しく過ごせるのならと思い、何も言わず金を出すことにした。
全員に喜んでもらいたいとも思っていたし、それに彼自身も今回の旅行はそれなりに楽しみなのだった。
「クスクスクス……『エンジェはゲームだと弱いですの』クスクスクス……」
「う、うるさいですわね! 次こそは勝ちますわ」
「……五連敗中」
ジトっとした目でエンジェレットはククルーを睨んだが、ククルーは無表情を崩さない。
カードゲームは、先ほどからククルーとユユがトップ争い、イリスとエンジェレットが最下位争いをしているのだが、
なぜか毎回イリスがぎりぎりのところでエンジェレットに勝ってしまっていて、エンジェレットは相当機嫌を損ねていた。
ゲームとはいえ、勝負であるからには敗北したままでいるのはプライドが許さない、とか何とか。
「ククルーは気配が読めませんし、ユユは無闇やたらに強いですし、イリスは運が強すぎですわ」
「クス……『エンジェはゲームだと顔色がちょっとわかり易いですの。しかも勝負運が無いですの』」
「……ここぞとばかりにいじるのはやめていただけませんこと?」
エンジェレットが拗ねたように言うと、ユユとイリスはおかしそうに笑った。
ククルーもそれにつられて、微かに口元に穏やかな笑みを作っている。
一人輪の中に入らず、サーザイトは四人を微笑ましく眺めていた。
孤高を常としていたエンジェレットも、自分と戦ってからどこか丸くなった印象を受ける。
ユユとは元々交友関係にあったらしいが、イリスやククルーとも打ち解けてきたようだった。
「……」
「ん?」
ふとククルーがこちらを見ているような気がして目を向けたが、ククルーはカードに目を落としている。
気のせいかと思い、サーザイトは視線を外へやろうとした。
「……」
やはり視線を感じ、そちらへ視線を向ける。
ククルーがついと目をそらしたのが見えた。
サーザイトは頭に疑問符を浮かべた。
と、負けが込んでいたエンジェレットが棘のある声で、
「サーザイト! 隅で縮こまってないで、あなたも参加したらどうですの!?」
「あ? あ、ああ、それもそうだな」
サーザイトは、ククルーとユユの間に入れてもらった。
カードが配られ、どれとサーザイトは配られたカードを手の中で扇状に広げる。
こう見えても、若い時分には酒場の賭場で荒し回っていたこともある。
旅行ということもあり、久し振りの勝負にサーザイトは胸が弾むのを感じていた。
「……名前」
そんなサーザイトは、ククルーの視線がサーザイトとエンジェレットの間を行き来していることに気付かなかった。
そして――更に五連敗した頃、エンジェレットは五回中二回トップになったサーザイトの頭を鉄扇でぶん殴った。
シュメットはブレイヴァニスタの南、アストリア公国とトーワ王国の国境線に近い場所にある。
美しい海と豊富な海鮮物で観光地としても有名だ。
他国から訪れる観光客も多く、そのために多くの宿泊施設が存在する。
サーザイト達がシュメットに到着した頃には日は既に落ちていた。
馬車を降りた一行はサーザイトを先頭に少し歩き、一軒の宿に入る。
マリンという名の、シュメットにある宿の中でもそれなりに設備の整った豪華な宿である。
「ふぅん……なかなか洒落てるじゃありませんの。悪くないですわね」
エンジェレットがロビーを眺め回してから、満足げに言った。
それを聞いたサーザイトが胸を撫で下ろす。
少し無理をしてまで人気のある宿を選んだので、そう言ってもらえると無理をした甲斐があったというものだ。
フロントで部屋の鍵を受け取ったサーザイトは、メンバーの顔をさっと見渡してから、おもむろにその一つをククルーに差し出して、
「風の館の三番だ。鍵を頼む」
「……」
鍵を両手で受け取り、ククルーはこくんと頷いた。
それを見たエンジェレットが、少しだけ咎めるような視線を送る。
ここは年長者の私に鍵の管理は任せるべきじゃありませんの? と目が訴えていたが、サーザイトは気付かぬ振りをした。
何かを預けるなら、四人の中ではククルーが一番責任感がありそうで、信頼出来たのだった。
「夕食までは少し時間があるな。それまでは各々適当にくつろいでてくれ」
「先生の部屋はどこですかっ?」
と、イリス。
「火の館の六番だ。まあ、何も無いとは思うが、何かあったら呼びに来てくれ」
ロビーでサーザイトは四人と別れた。
ここマリンは火、水、風、土の四つの館に分かれている。
敷地はちょうど正方形のようになっており、ロビーはその頂点の一つにあった。
それぞれの館の位置は、ロビーから時計回りに、火、水、風、土となっている。
サーザイトは自分に割り当てられた部屋に向かった。
火の館に入り、プレートに「6」と書かれた部屋の鍵を開ける。
「ほう……」
一人部屋にしてはなかなか大きい部屋で、思わず溜息がもれた。
天井には小振りだがシャンデリアが吊られていて、テーブルの上にはワインもある。
高い金を払っただけあって、なかなか贅沢だった。
荷物を置き、壁にコートを掛けると、サーザイトはベッドに横になってぐっと伸びをする。
馬車ではずっと座りっぱなしだったため、身体の節々が鳴った。
夕食まではまだ時間があるため、そのまま目を閉じて脱力する。
ベッドもふかふかとしていて気持ちが良く、サーザイトは大して時間もかからず眠りに落ちていた。
ゆさゆさ……ゆさゆさ……
「……」
ゆさゆさ……ゆさゆさ……
「ん……うん……?」
誰かに身体を揺さぶられていることに気付き、サーザイトは目を覚ました。
照明の灯りが、その誰かによって遮られている。
逆光でしばらく見えなかったが、目をこすってよく見ると、ククルーだった。
青い髪が白く照らし出され、その輪郭が水色に透き通っている。
「ククルー……どうかしたのか?」
ククルーは淡々と言った。
「夕食」
ああ、そうかと思う。
寝ている間に夕食の時間になっていたのだ。
ククルーは、わざわざサーザイトを呼びに来てくれたのだった。
「呼びに来てくれたのか……ありがとな。それじゃ早く行くか」
「……」
と、何の反応も返さず、ククルーはとっとと先に部屋を出て行ってしまう。
あれ? とサーザイトは思った。
最近、以前に比べてククルーは自分に心を開いてくれていると思っていた。
それなのに、明らかに無視されてしまった。
わけがわからず、首をひねるしかない。
(まだククルーの表情からはほとんど感情読めないしな……)
イリスにでも聞いてみようかと思いながら、サーザイトはククルーに続いて部屋を出た。
四つの館で出来た正方形の中は、北に宿泊者が食事をするホール、南は大浴場となっている。
ククルーとホールへ向かうと、既にイリス、エンジェレット、ユユの三人がテーブルに着いていた。
テーブルの上には海鮮物が豊富に使われた豪勢な料理がずらりと並べられている。
「遅いですわよ」
エンジェレットはテーブルに肘を突いている状態でサーザイトを睨んだ。
相当苛立っているらしいことが一目で見て取れる。
「おなかすいたよ〜……そろそろ限界だよ〜……にゃぷ〜……」
くてっとイリスはテーブルに突っ伏している。
余程空腹なのだろう。
サーザイトは何だか申し訳なくなった。
「待たせて本当に悪かった。早速夕食にしよう」
サーザイトは、三人の向かいにククルーと隣り合わせで座る。
皆が一斉に食事に取り掛かったが、空腹で極限状態にあったらしいイリスの食べっぷりは豪快だった。
ギラギラと目を光らせ、一心不乱に食べ続ける様は、かなり圧巻である。
彼女の目の前に出された料理は、始めの十皿ほどは二分ともたず空になった。
「ちょっとイリス、もう少し落ち着いて食べたらどうですの?」
咎めながらエンジェレットは優雅な手付きで食事を進めている。
流石は王族、礼儀作法はほぼ完璧に仕込まれているらしい。
と、自分の前にあった料理を食べ尽くしたイリスは、少しだけ視線を横にして、
キュピーン
目を爛々と光らせた。
その手が驚くべき速さで皿に伸びる。
え? とエンジェレットは呆然とそれを見送ってしまった。
その間にイリスはエンジェレットが食べていたサラダを食べ尽くした。
エンジェレットの前に空になった皿だけが戻される。
そこで、ようやくエンジェレットは我に返って、
「い、イリスーー! あなた、なんてこと……なんてことしてくれますの!」
「おいしかったにゃぷ〜」
「戻しなさい! 吐き出しなさい! 今食べたのは私のサラダですわ!」
「にゃぷ〜」
「クスクスクス……『エンジェ、あまり無茶を言ってはいけませんの』クスクスクス……」
う、う、う、と悔しそうにエンジェレットは唇を噛む。
普段のイメージとのギャップがあり過ぎて、サーザイトは笑いを堪えることが出来なかった。
「エンジェレット、俺の分を分けてやるから落ち着け」
「……仕方がありませんわね」
エンジェレットの皿に、サーザイトはどばどばとサラダを盛ってやる。
エンジェレットはしばらくそれを複雑そうな顔で見ていたが、皿を手元に引き寄せてから俯き、ぼそっと「あ、ありがと」と呟いた。
それを微笑ましく眺めていたら、エンジェレットにじろりと睨まれた。
「なんですの?」
「いや、何でもないさ」
そんなことを言いながら笑いを噛み殺した。
ぷくっと頬を膨らせて機嫌が悪そうにされても、全く怖くは無い。
どうやらエンジェレットもそれなりに浮ついた気分になっていることは、その様子でわかった。
戦闘種族エヴァーであるとか、トーワ王国の姫君であるとか、そういうことを一時ではあるが忘れて、
彼女は十五歳の少女であるエンジェレット・エヴァーグリーンとしてそこにいるようにサーザイトには思われた。
そう思うと何となく嬉しくなって、サーザイトの食は普段よりもよく進んだ。
それを横目でククルーはちらちらと見つめていた。
「……名前」
夕食を終えてから四人と別れたサーザイトは、部屋に戻ってから大浴場へと向かった。
マリンの海底温泉といえば、それ目当てで宿泊に来る旅行者がいるくらい有名である。
ゆっくりと汗を流し、部屋に戻ると、もう夜も遅かった。
明日もあるので早めに寝ようかとも思ったが、ふとテーブルの上のワインが目に入る。
(少しくらいならいいか)
コルクを引き抜きグラスに注ぐ。
微かな香りが鼻腔をくすぐった。
少しだけ空気に触れさせるようにグラスを回してから、静かに口の中に流し込む。
舌先に感じる僅かな酸味と甘さが心地好かった。
部屋の外からは、波の音が響いてくる。
火の館は海と反対に位置しているため直接海を見ることは出来ないが、酒の肴には十分だった。
(久し振りに気分のいい酔い方が出来そうだ)
あっという間に一杯目を飲み干してしまったサーザイトは、次いで二杯目も難なく空にする。
部屋のドアがノックされたのは、三杯目に口をつけた時だった。
うん? とサーザイトはドアの方に視線を向ける。
確か鍵は掛けていないはずだった。
「どうぞ」
ドアがゆっくりと開く。
入ってきたのは、ククルーだった。
青い髪がしっとりと濡れており、雪のように白い肌が微かに上気している。
どうやら風呂から上がってきたばかりらしい。
サーザイトは一目でそれに気付いて、
「ククルー、風呂上りか? あまり薄着でいるのは良くないぞ」
ククルーは普段羽織っているマントを着ておらず、ワイシャツにスカート姿だった。
こくんと頷いたククルーだが、それを気にした風ではない。
サーザイトは溜息をつきながら億劫そうに立ち上がった。
壁に掛けておいた自分のコートを手に取ったかと思うと、それをククルーに羽織らせる。
ククルーは驚いたように目をぱちぱちさせた。
サーザイトは上機嫌そうにしながら元の場所に座って、
「これで寒くないな。女の子が身体を冷やしちゃだめだろう。ふふ、ははは」
満足そうに頷いた。
グラスに残っていたワインを空にして、早々と四杯目を注ぎ始める。
顔色はまるで変わっていない、が、ククルーも気付いていた。
この男、かなり酔っている。
そう、実はサーザイトは、かなり酒には強くなかった。
『強くない』という言い方は、謙遜に過ぎると言ってもいいくらいである。
ククルーは酔っているサーザイトを見て困惑しているのか、無言のまま突っ立っていた。
その視線をどう勘違いしたのか、サーザイトはああ! と手を打って、
「これは、これは。いや、すまない。失礼だった」
「……?」
首をかしげるククルー。
サーザイトはテーブルの上の空のグラスを手に取ると、それにワインをなみなみと注いだ。
手でククルーを座るように促し、ククルーが自分の向かいに座ると、グラスを笑顔で差し出す。
「せっかく来てくれたのに酒も振る舞わないなんて気が利かなかったな。さあ、遠慮無く一杯やってくれ」
半ば押し付けられるようにククルーはグラスを渡された。
グラスの中をじっと覗きこむ。
半透明の琥珀色の中に、自分の碧眼が二つ、まるで水面に移った月のようにゆらゆらと揺れていた。
グラスに顔を近づけ、興味深そうに匂いをかぐ。
甘い香りに混じってアルコールの刺激臭がして、ククルーはほんの少しだけ顔をしかめた。
サーザイトをちらっと見ると、彼はにこにこと能天気そうな顔でククルーを見ていた。
時折前触れも無く、その口からくくくと奇妙な笑みが漏れている。
普段の彼を知る者ならば、誰もが我が目を疑う姿である。
実際、ククルーもそうだった。
しかし、サーザイトの楽しそうな様子を目の当たりにし、ククルーはグラスに目を落としたかと思うと、
ごくごくごくごくごくっ……んく、んく、んく……
ぷはっ、とククルーがグラスから口を離したとき、グラスの中はすっかり空だった。
サーザイトは、一層機嫌を良くして手を叩く。
「こいつは驚いた。大した飲みっぷりだ。うん、よし、今日は二人で飲むぞ!」
そう言うと、サーザイトはルームサービスでワインと料理を注文した。
明日もあるので今日は少しだけにしておこうと思ったのはもう忘れている。
ほどなくして、部屋に注文したものが運び込まれる。
その間もひたすら飲み続けていたサーザイトは、もうすっかりいい気分だった。
「ククルー、まだそんなペースで飲めるなんて凄いぞ! あっはっは!」
ククルーもかなり早いペースで飲み続けていたが、顔も赤くなっておらず、平静を保っている。
グラスに口をつけたままサーザイトの方を見て、こくんと頷いた。
サーザイトは、もう止まらなくなっていた。
「ククルー、お前の髪は青いなあ! あっはっは!」
「ククルー、お前の目は綺麗だな! あっはっは!」
「ククルー、ってワインこぼしたあ! あっはっは!」
こうなると、サーザイトもただの中年男である。
酔うと完全に正体を無くなるということをサーザイトは自覚していたのだが、
久し振りの旅行は、歴戦の戦士である彼の気を目いっぱい緩ませていたのだった。
「……」
そんなサーザイトを眺めながら、ククルーはワインと料理をちまちまとつついていた。
それから二時間が過ぎた。
料理はすっかり冷め切り、追加したワインも切れてしまい、ククルーはじっとサーザイトを見つめた。
彼は相変わらずご機嫌のようで、空になったグラスをくるくる回しながら笑っている。
ククルーの視線に気付くと、にっこりと普段は滅多に見せない屈託の無い笑顔を浮かべた。
「どうかしたか?」
「……名前」
ククルーは言った。
「……クー」
「くぅー?」
「クー。そう呼んでください」
「よくわからないが、お前のことをそう呼べばいいのか?」
こくん、とククルーは強く頷いた。
「あっはっは! そんなことならお安い御用だ! クー、クー! 可愛い奴だ! ふふ、ははは!」
サーザイトはそう言いながら、ククルーの頭をがしがしと乱暴に撫で回した。
滑らかな髪がぐしゃぐしゃになったが、ククルーはされるがままに頭を揺らす。
サーザイトは飽きもせずにククルーを撫でていたが、一分ほどしてからおもむろにククルーは立ち上がった。
「戻る」
それだけ言って、ククルーは部屋のドアに足を向けた。
「ここに泊まってってもいいぞーククルー?」
小さな背中にサーザイトは調子に乗ったままそう声をかけた。
ククルーはドアの前で立ち止まった。
しかし、振り返りもせず「いい」とだけ呟き、部屋を出ていった。
「クーちゃーんっ! どこに行ったのかと思ったよっ!」
「あら? 戻ってきたんですのねククルー……って、さ、酒くさ……あなた、飲んでますの?」
「……」
「……(きゅう)」 ぱたり
「わ、わーっ、わーっ! クーちゃんが死んじゃったーっ!」
「そんな簡単に殺さないでくださいませ! ちょっと、しっかりなさいククルー!」
「クス……『クーったら、一人で一体どこに行ってらしたの……?』」
「とにかくベッドに寝かせますわよ! イリス、手伝いなさい!」
「りょーかいだよっ。わわ、クーちゃん顔真っ赤だよっ」
「こんな小さい子に酒を飲ませるようなバカは一体どこのどいつですの?」
「クスクスクス……『クーが心を開く相手なんて、滅多にいないですの。珍しいこともあるものですの』クスクスクス……」
「どうせろくでもない奴に決まってますわ。見つけたらただじゃおきませんわよ」
「は……っくしっ! ……少し冷えたかな。今日はもう寝るか……明日もあるしな、明日も……」