ごった煮トップ インデックス 登場人物 本編 サンクス


第十九話「貫け、風よ」



 ククルーには友人と呼べる人間はいなかった。

 気が付くと本を読んでばかりいる。

 誰もククルーが誰かと話しているのを見たことがなかった。

 クエスターズに来た当初は、彼女と交流を深めようとした者も何人かはいたが、

 生来の大人しい性格に加えて、過去のトラウマのためほとんど離せない彼女は、特に誰と親しくなることはなかった。

 入学から一月も経つ頃には、もう誰も彼女に話し掛けようともしなくなった。

 その上、人を馬鹿にしているだの、素性の知れない奴だのと陰口をたたき出す者まで現れ出した。

 ククルーが否定しようとしないので、それはなかなか下火にならなかった。

 また、ククルーは体力は無かったが魔法の才能があり、同じ時期にクエスターズに入った中では最も優秀だった。

 根が真面目なので、先生方の覚えもいい。

 ククルーを疎ましく思っていた生徒は、当然面白くない。

 中傷は収まるどころか、余計ひどくなった。

 それから更に一月ほど経ってから、少しばかり状況が変わる。

 クエスターズに、イリスが入学してきたのだ。











 イリスとククルーは別のクラスだった。

 だが、ククルーは度々イリスのことを耳にしていた。

 当時のイリスは、力は強いが、ただそれだけの落ちこぼれとして、それなりに話題に事欠かない存在だったのである。

 そんな二人が初めて会ったのは、穏やかな午後の昼下がり、クエスターズの中庭にある大きな木の下だった。

 ククルーは中庭が好きで、よく木の下で日向ぼっこをしたり、読書にふけっていた。

 その日もいつものように本を読んでいると、フッと何かが日光を遮って、ククルーは顔を上げた。

 そこにいたのは、緊張した面持ちでククルーを見下ろしているツインテールの女の子だった。

 自分よりも、少しだけ歳は上だろうか。

 見上げていると、相手がおずおずと口を開いた。



『あ、あのっ、ククルー・シルファニーちゃんだよね? あ、私はイリス。イリス・アースグランドっていいます』



 この人があのイリスかと、ククルーは目の前の少女をまじまじと見つめる。

 力は強いと聞いていたが、とてもそうは見えなかった。

 せいぜい自分を一回り大きくしたくらいの体格ではないか。

 まったく人は見かけによらないものだと、ククルーは自分のことも棚に上げて思った。

 あのーそのー、とイリスはごもごもと口ごもっていたが、突然がばっとツインテールが地面につきそうなくらい深く頭を下げて、



『お願いですっ、力を貸してくださいっ』



 ククルーは、きょとんとして首をかしげた。











 話を聞いてみると、こうだ。

 イリスはつい先日、魔法薬の調合についての講義を受けていた。

 いざ調合開始という頃合になったが、やはりここでもイリスは失敗ばかり。

 山育ちのため野草の知識はある程度あるのだが、魔法関連となるとちんぷんかんぷんなのだ。

 イリスは剣士なので、上手く出来なくてもそれほど気にしなくていいと担当の教師は言ってくれたのだが、

 イリス本人はどうしても自分の力で魔法薬の調合を成功させたかった。

 かと言って、一人きりではまるで成功の目処が立たない。

 それで何人か友人に手助けしてくれるように頼んでみたのだが、いずれも断られてしまった。

 イリスの手際の悪さを皆知っていたので、イリスと一緒に魔法薬の調合など、面倒事以外の何者でもなかったのである。

 困り果てたイリスは、せめて専門書くらいは読みながらやろうかと図書館へ向かう途中の中庭で、ククルーを見つけた。

 イリスも少しだけ、ククルーの噂を聞いていたのである。

 まだ幼いながらも、高い魔法の才能を持っている寡黙な少女のことを。

 自分と同じか、それより下の年齢の者で、自分以上に実力のある者に対して人が持つ感情は二つ。

 羨望と嫉妬だ。

 イリスはその二つのうち、圧倒的に前者の割合が大きかった。

 そんな人と、交流をしてみたかったということもあり、話しかけたのだという。

 実を言うと、ククルーがいつも一人でいるのを、イリスは何度か目撃していた。

 なぜいつも一人なのか、それが気になって声をかけたということもあったのだが……イリスは、それだけは言わなかった。



『……』



 ククルーはしばらくイリスの顔を見つめてから、こくんと頷いた。

 二人はイリスの部屋へ向かった。

 机の上には大量の薬草と、調合に使う道具が置かれている。

 調合には、非常に時間がかかった。



『えっと、これを潰したら、さっきすり潰したこれを入れて、更に混ぜるっと』



 ごりごりごりごりごりっ



『……あ』



 ククルーが口を開いたのと、すり鉢の中身が爆発したのは同時だった。

 ごほんごほんとイリスが激しく咳き込む。



『えへへ……また失敗しちゃったっ』



 イリスは恥ずかしそうに微笑んだ。

 再び薬草をすり潰し始める。

 諦める様子は無い。



『……違う。そう、じゃない』



 しばらくは眺めていただけのククルーも、イリスの手順に少しずつ口を出し始める。

 イリスが間違ったことをする時だけ、小声でぼそっと言うだけだったが、イリスはその度に「うんっ」と元気良く返した。

 地道な努力を続け、日を跨ぐ頃になってからようやく調合は成功した。

 イリスは諸手を上げて喜び、次いでククルーの手をしっかと握って、



『ありがとう! ククルーちゃんのおかげだよ!』



 そう言って喜ぶイリスと、イリスの手に包まれた手を交互に見やって、ククルーは胸にあたたかなものを感じた。

 ありがとう、と誰かに言ってもらえるのが、こんなにも嬉しいなんて。

 無表情の裏で、ククルーはそんな風に思った。











 それから、二人はよく行動を共にするようになった。

 イリスは段々とククルーの微かな感情の変化を読み取れるようになり、

 いつの頃からかククルーのことを"クーちゃん"と呼ぶようになった。

 ククルーにとって、イリスは初めての友人だった。

 彼女は、イリスを介して徐々に周囲とも打ち解け始めた。

 自分の世界を開いてくれたイリスのことを、彼女はとても大切に思っていた。

 イリスが笑ってくれるなら、いつか素直に笑える日が来るかもしれない。

 一度もそれを伝えたことは無かったが、ククルーはいつもイリスに感謝していた。

 素直に言葉を伝えたかった。











「たぁっ!」



 イリスの大剣が水晶の尾を受ける。

 その場で踏ん張って弾き返すと、ドラゴンはイリス目掛けて氷のブレスを吐いた。

 前へ思い切り転がって懐へ飛び込み、そのまま太い首に一撃。

 僅かに相手は沈黙したが、すぐに光る目がイリスを見据えた。



(このままじゃまずいかなっ、と!)



 死角から再び尾が迫ってきたのを、上体をそらして避け、そのまま一旦距離を取る。

 スピードでは圧倒的に勝っているが、イリスの大剣も水晶の身体にはほとんどダメージを与えられない。

 だが、それでもイリスは退こうとはしない。

 自分が何とか食い止めていれば、きっとククルーが何とかしてくれる。

 イリスはそう信じていた。

 それを見たククルーは、ふとあの日、サーザイトが言っていた言葉を思い出す。



『……まあ、なんだ、気にするな。剣士が魔法使いを庇うのは当然だ』



 そう言われたとき、ククルーは疑問に思った。

 魔法使いが剣士を庇ったっていいじゃないか。仲間ならば、そうするべきだ。そう思った。

 違う。自分が勘違いをしていた。魔法使いにはそんなことは出来ない。

 魔法使いに出来るのは、剣士が敵を引きつけてくれている間に詠唱し、魔法で援護することではないか。

 ククルーは、懐から以前イリスに貰った風の魔法石を取り出した。

 初めての友達からもらった、初めてのプレゼントである。

 それをしっかりと握りしめ、ククルーは今までにないほど真剣な目になる。



「汝、此に沈黙と安息を得ん」



 身体の中の何かが大きく膨れ上がっていくイメージがある。

 一句紡ぐ度それは大きくうねり、弾み、更に広がっていく。



「遍在する者、総てを逆巻く大いなる流れよ、我が槍となり遍く災厄を薙ぎ払え」



 圧倒的な濃度の魔法の粒子が、周囲を包み込んだ。

 まるで雪のような光の粒がククルーを中心に渦巻く。

 淡いグリーンの光は、風の魔法石を握ったククルーの両手に集まっていく。

 溢れんばかりの魔力が身体の内に満ちた。



「イリス、離れて」



 その声に反応したイリスは、後ろへステップを踏んでドラゴンを距離を取った。

 ドラゴンはイリスを見送ってから、少し離れたところで何者かが詠唱をしていたことに気付く。

 大きく口を開き、氷のブレスを放った。

 が、ククルーは避けようとすらしない。

 魔法石を持つ手を強く突き出し、最後の一句を紡ぐ。



「――シルフィードブラスト」



 その言葉が契機だった。

 魔法石を媒介にして増幅された魔力の渦が、幾重にも重なり螺旋状の風となって吹きつける。

 氷のブレスを貫き、その先のドラゴンを直撃する。

 ミシ、と水晶の身体に僅かな歪みが生じる。

 次の瞬間、ドラゴンは幾千の破片となって吹き飛ばされた。

 確かに相手が動かなくなったことを確認してから、ククルーは緊張の糸を解き、溜め込んだものを出すかのように大きく息をついた。

 洞窟の中は冷え込みすぎるほどだが、額には大粒の汗が光っている。

 魔法を使う際には、一般に精神力と呼ばれているものを消費する。

 熟練の魔法使いでも、あまり大きな魔法は一日に何発も使えるものではない。

 ククルーの精神力は並外れているが、クリスタルドラゴンを一撃で粉砕するほどの大魔法を使えば、疲労するのは当然である。



「すっごいクーちゃんっ! なに、なに今の魔法っ! 凄い威力だねっ!」



 イリスが笑顔でククルーに駆け寄った。

 あれほど高威力の魔法を目の当たりにする機会は滅多に無い。

 興奮するのも仕方の無いことだ。

 だが、イリスとは対照的にククルーは苦しげに呼吸を荒げている。

 すぐにククルーの様子に気付いたイリスは、心配そうにククルーを覗き込む。



「だ、大丈夫クーちゃん?」

「……平気。ここの水晶、持ち帰って」



 と、ククルーが言えたのは、そこまでだった。

 プツリと糸が切れたように、ククルーの足から力が抜ける。

 あ、と言葉を漏らしたのを最後に、ククルーは意識を失っていた。











 ククルーが目を覚ましたのは、誰かの背の上だった。

 誰なのかは考えるまでもない。

 視界の端でツインテールが元気良く揺れている。



「……イリス」

「あ、クーちゃん、気付いた? 良かった、いきなり倒れるからびっくりしちゃったよっ」



 イリスが明るい声で言った。

 降ろしてと言ったが、イリスはいいからいいからと降ろしてくれない。

 彼女なりにククルーを気遣ってくれているのだろう。

 ククルーは微かに気後れを感じながらも、その好意に素直に甘えることにした。

 それが嬉しいのか、イリスは鼻歌交じりに歩みを進めていく。



「でも、凄いよね」

「……?」

「クーちゃん、あんな強い魔物も倒せちゃうんだもん。それに比べて、私はまだまだだなー」



 その言葉には自嘲めいた響きがあった。

 だが、ククルーはぼそっと呟く。



「そんなこと、ない。イリスがいなかったら、詠唱する時間なんてなかった」

「そ、そっかなっ?」

「うん……」



 ククルーに誉められて嬉しかったのだろう、イリスの足取りはより軽くなる。



「あ、あのさっ、クーちゃん」



 イリスが話さなくなったので会話が途切れていたが、再びイリスは口を開いた。

 イリスの背に顔を埋めていたククルーが顔を上げる。



「私ね、ずっと考えてたんだ。どうしてサーザイト先生が私とクーちゃんに同じ課題を出したのか。

魔法水晶を取りに行こうって思ったら、アストリア公国じゃアースマウンテンしかないのに。

多分先生は、わかってたんだよ。私も、クーちゃんも、一人じゃ不十分なところがあるって。

私も今回の試験で、それが身に染みてよーくわかったんだっ」



 それでねっ、とイリスは言葉を続ける。



「クーちゃんも言ったよね。二人ならって。一人一人じゃ半人前かもしれないけど、二人なら一人前だよね。

一人じゃ倒せない敵も、二人で力を合わせて倒せたもん。だからさっ、クーちゃん。クエスターズを出たら、一緒に冒険しない?」

「……」

「お願いします。私の、パートナーになってくださいっ」

「……」



 ククルーは返事の代わりに、イリスの肩をきゅっと掴む。

 自分にすら聞こえないくらい小さな声で、うん、とだけ。

 イリスが安堵の溜息をついた。

 次いで、照れ隠しの笑みがこぼれる。



「えへへ……なんか改めてこういうのって、恥ずかしいなっ。クーちゃん背負ってて良かった」



 嬉しすぎて顔ゆるゆるだもん、とイリスは微かに上ずった声で言った。

 だが……イリスは知る由もなかったが、それはククルーも同じだった。

 いや、それどころか、その喜びの度合いはイリスの比ではなかった。

 ククルーは、故郷を滅ぼされ言葉を失って以来、ずっと孤独と手を取り合って過ごしてきた。

 その孤独から解放してくれた友人が、改めて自分を必要としてくれている。

 嬉しくないわけがない。

 ククルーはイリスの首にそっと腕を回した。



「……イリス」

「んー?」

「……ありがとう」

「ほへ? んー、あ、こっちこそありがとっ」



 イリスは、ククルーが礼を言ったのは、クリスタルドラゴンとの戦闘で詠唱時間を稼いでくれたことについてだと思っていた。

 が、それは見当違いだった。

 ククルーは、イリスが自分に話し掛けてくれた日から、今日までの全てに、ありがとうと言ったのだった。

 そんなことに、単純なイリスが気が付くわけがない。

 それでもククルーは満足だった。

 ようやくのことで、自分の素直な気持ちを伝えることが出来たのだから。

 この友人が自分を信頼してくれるのなら、自分も心からこの友人を信頼しよう。

 改めてそう心に誓ってから、ククルーは友人の背に全てを委ねて、ゆっくりと目を閉じた。