閑話休題「見たことないから」
イリスとククルーが帰ってきたのは、エンジェレットとサーザイトが戦った二日後、ユユの魔術大会の次の日だった。
二人ともローレンシアから卒業証明をもらい、晴れてサーザイトの受け持った四人は全員が卒業出来ることになった。
そして次の日、サーザイトは四人を教室に集めた。
卒業する前に、一度全員で思い出作りをしようと、かねてから考えていたのである。
皆もそれには乗り気のようで、あとは行き先を決めるだけだった。
「行きたいところを言っていってくれ。その中から話し合って決めよう」
安易にそう言ってしまったのが良くなかった。
サーザイトも、全員が無事に卒業試験を合格したので、多少気が緩んでいたのである。
ぱっと一つの手が上がった。
イリスであった。
「はいはいっ、はーいっ! 私は山に行きたいですっ!」
と、それに異論を申し立てたのはエンジェレット。
「山なんて普段でも行けるじゃありませんの。私は嫌ですわ」
む、虫だらけですし、という言葉をエンジェレットは喉で押し留める。
「それよりも広々とした海に行きたいですわね。久しく行ってませんし」
「えーっ! 私、あんまり泳げないのにーっ!」
「泳ぎなんてすぐ覚えられますわよ」
「うー、泳ぐより、思いっきり山で走りたいもんっ」
珍しくイリスがエンジェレットに対して不満を露にする。
それをククルーはぼーっと眺めており、ユユは普段と変わらぬ調子でクスクスと笑っていた。
あーあーと気だるげに声を漏らし、サーザイトは傍観している二人に目を向ける。
「お前等はどこか行きたいところ無いのか?」
「……」
ククルーは、じっと何かを考え込んでいるようだった。
「クスクスクス……『私はどこでもいいですの』クスクスクス……」
「そうか」
サーザイトは溜息をついた。
どうもククルーはまだ考えがまとまっていないようだし、イリスとエンジェレットは口論を始めるし……
と、口論をしていた二人の視線がサーザイトに向いた。
「サーザイト先生っ!」
「な、なんだ?」
食ってかかるような勢いに、思わずサーザイトはたじろいでしまう。
「どこに行きたいか、あなたの意見を聞かせていただけませんこと?」
二人とも、目がマジだった。
その視線は、『私の意見に同意しなかったらわかってるよねっ(わかってますわね)?』と言っていた。
首筋にナイフでも押し当てられているかのような強烈な圧迫感である。
やばい、これは、言葉を間違ったら、やられる。
本能がそう告げていた。
「どうなのっ?」
「どうなんですの?」
「え、と、その、だな」
悩んだ結果、つい本音を漏らしてしまった。
「……近いところ」
鉄扇が脳天に、裏拳が腹にめり込み、サーザイトはその場に崩れ落ちる。
二人とも、こういう時は息が合うんだななんて感心してしまう。
サーザイトに見切りをつけた二人は、次にククルーに詰め寄った。
ククルーだけ、まだ自分の意見を言っていないことに気付いたためである。
「クーちゃんっ。クーちゃんはどこに行きたい?」
「もちろん海ですわよね?」
「山っ! 山だよねークーちゃんっ!」
二人に言い寄られ、ククルーは小さな身体を一層小さくさせた。
口を開こうとして、閉じる。
それを何回か続けた。
何を躊躇っているのだろうと二人が思い始めたとき、ククルーが言った。
「……うみ」
海、見たことないから。
その場は、ククルーのその一言で決した。
あうー、とイリスが心底残念そうな声を漏らす。
ククルーが躊躇っていたのは、イリスのことを気にかけてのことだったのだ。
「なかなかわかってるじゃありませんこと。あのですわね、海っていうのは青く澄んでて……」
自分の意見が通ってご機嫌のエンジェレットは、ククルーの髪を撫でながら海について語り始めた。
ククルーは嬉しがるでも嫌がるでもなく、エンジェレットに黙って撫でられ続けた。
その顔には、戸惑いが見え隠れしている。
「クス……『なんだか、妬ける光景ですの』」
それを見ていたユユが少しだけ淋しそう呟いた。
「あー、それじゃ行き先は海で決定な。出発は明後日。準備は各自で頼む」
いつの間に復帰していたサーザイトが言った。
皆その言葉に頷いて、その日はそれで解散となった。