第十八話「二人」
さて、早速だがイリスは困っていた。
洞窟の中にはどんな敵が潜んでいるものかと気を張っていたが、吸血コウモリが数匹いただけであった。
イリスが何を困っているのかというと、取ってくるようにと言われた魔法水晶のことである。
サーザイトが取ってくるようにと言ってきたのは、純度九十パーセント以上のものだ。
ここが問題なのである。
イリスに、そんな純度なんてものがわかるわけがない。
ただ周囲の岩肌を見る限り、もっと奥まで行かなければ純度の高いものは無いようだった。
光っている断面には明らかに土や砂が混じっていて、鈍い光を放っている。
純度九十パーセント以上ともなると、もっと澄んでいて透明なものだ。
……くらいの認識しか、イリスには無いのだった。
(うーん、困っちゃったなぁ)
パタパタと飛んでくるコウモリを剣で叩き落す。
洞窟の横の幅があまりないため、縦に振ることしか出来ない。
ひどく窮屈にイリスは思った。
奔放な性格なので、暗い場所も狭い場所もイリスは好きではないのである。
(もっと小さな武器も使えるようになった方がいいんだろうなあ)
大剣を振りながら、そんなことを思う。
頭に浮かんでくるのは、同じクラスの縦ロール姫……エンジェレットだ。
エンジェレットの武器は三十センチほどの鉄扇だが、それでもかなりの力がある。
イリスは確かに力は強く、大剣の一撃はエンジェレットのそれを凌駕する破壊力があるだろう。
だが、こうも扱い辛いのでは、様々な場面に対応しにくい。
単純に殴る蹴るでも、ある程度戦えないこともないのだが……イリスは溜息をついた。
奥に進んでいくにつれ、視界が少しずつひらけてくる。
周囲の岩肌を形成する鉱石の純度が高くなってきて、その光が強まっているためだ。
綺麗だなーと思いながらイリスが歩いていると、目の前をついと何かが通り過ぎる。
見間違いかと思い、目をぱちぱちさせた。
歩いていた道を抜けると、そこはある程度拓けた場所で、いくつか道が分かれている。
その中央辺りで、煌々と輝く六面体の鉱石が三つ、ふよふよと浮いていた。
赤、青、黄。
不思議に思って、イリスはそれに少しずつ近寄っていった。
と、ある程度の距離まで来たところで、様子が変わる。
鉱石の周囲に光の粒子が見え始めた。
イリスは、それをどこかで見たことがある気がしていた。
確か、あれは……
クーちゃんが魔法を使う時にも、出てた奴だ!
イリスが横に飛んだのと、鉱石から魔法が放たれたのはほぼ同時だった。
先ほどまでイリスがいた地面が、火、水、土の魔法によってえぐられる。
イリスは大きく回り込み、三つの鉱石がかたまっているところへ剣を横殴りに振った。
だが、まるで風に舞う木の葉のようにふわりとその刃を交わし、再び鉱石から魔法が放たれる。
飛んでくる火球を避け、続く水流を剣で防ぎ、岩のつぶて剣で弾く。
が、息をつく暇もなく、再び火球が飛んできたのを、地面を転がって避ける。
(うん、ちょっと、まずいかも)
イリスは焦り始めていた。
魔法による波状攻撃のせいで、懐に入る隙がほとんどない。
しかも懐に入ったとしても、剣の勢いをそのまま受け流すように相手は避けてしまう。
各個撃破といきたいところだが、相手は常に固まって動いており、離れようとしない。
イリスの頭に、逃げるという選択肢が頭をよぎった。
勝てない敵に無理に立ち向かう蛮勇は、死期を早めるだけである。
かといって……、イリスはタイミングを見計らって、分かれ道の一つを目指して駆ける。
その何歩目かで、目の前の空間に火球が飛んでくる。
イリスは足を止めた。
そこへ水流と岩が飛んできて、その二つを大剣で受け止める。
びりびりと剣を持つ手が痺れた。
うん、本格的に、まずいや。
そこで初めて、イリスは自分自身の欠点を自覚した。
自分は、この大剣の一撃、腕力しか拠り所が無い剣士だ。
それが通じない相手には、手も足も出ない。
未熟だということはわかっていたが、よりによってこんな場面ではっきりするなんて。
イリスの目に強い光が灯る。
(それを克服するためにも……これくらい、自分で切り抜けなきゃ。切り抜けられなくても、切り抜けなきゃ!)
そうは思うが、イリスには何も打つ手が無い。
休むことなく放たれる魔法を避けるだけで精一杯だ。
せめて何か一瞬でも相手の隙が出来てくれれば……と思っていた時だった。
分かれ道の一つから、突如として突風がふいた。
吹き飛ばされた六面体が、三つばらばらに岩肌や地面に叩きつけられる。
その光景に唖然としていたイリスだが、
「今」
その声にはっとなって、大剣を構えた。
再び浮き上がろうとしていた鉱石を、一つずつ粉々に粉砕する。
もう動かなくなったのを確認してから、イリスは風のふいてきた方を見て、――笑顔を見せる。
「ありがとっ、助かっちゃった。でも、どうしてここにいるの?」
「……」
そっちこそ、とでも言いたそうな目で、松明を持ったままククルーがイリスをじっと見つめた。
「それじゃ、クーちゃんも魔法水晶を取りにきたの?」
「……」
こくんとククルーが頷く。
そーなんだとイリスが嬉しそうに言った。
思わぬところで頼りになる友人に出会えたため、随分気が楽になる。
ククルーは接近戦は不得意だが、その代わり魔法の才能は高く、知識も豊富だ。
魔法が使えず、頭もよろしくないイリスの欠点を彼女は全て補ってくれる。
「ねぇクーちゃん。どこに魔法水晶があるか知ってるの?」
迷うことなく進んでいくククルーにイリスが尋ねた。
ククルーは首を横に振って、
「知らない。でもわかる。この先、強い魔力を感じる」
ククルーは一定の間隔で淡い光を放つ小石を地面に置きながら歩いていた。
帰るとき、道に迷わないようにこれを目印にするのだ。
それだけで、イリスはもう目を輝かせている。
うーん、クーちゃんってやっぱり頭いいなー、なーんて。
バカ丸出しである。
しかし、それがイリスなのだった。
ククルーも別段意に介した様子は無い。
「でも、クーちゃんがいてくれるなら安心だよ。さっきの相手も、私だけじゃどうにもならなかったし。
わかってるつもりだったけど、やっぱり私ってまだまだだよね、あはは……」
「……」
ククルーは少しだけ考える素振りを見せてから、
「それは、私も変わらない」
「……クーちゃん?」
「連続魔法に晒されたら、私も詠唱に集中出来ない。イリスが敵を引きつけてくれてなかったら、勝てなかったかもしれない」
イリスを見もせずに、淡々と言った。
「さっきの勝利は、二人だからこそ勝ち取れたもの」
それきり、ククルーは何も言おうとはしなかった。
イリスにはそれだけで十分だった。
「そ、そういえばさっ。クーちゃん、前に比べて、よく話すようになったよねっ」
「……、……そう……?」
「うん。いつくらいからかな? 二週間くらい前くらい?」
「……」
ククルーはいつもと同じ調子に押し黙る。
その様子が普段と微かに違うことに気付いたのは、一緒になって行動することの多かったイリスだからこそだろう。
「どうかしたの?」
「……なんでも」
ない、って感じじゃないなー、とイリスは思う。
しかし、あまり他言したくないことらしい。
ただ、むしろ何かククルーにとっては嬉しいことがあったような感じだと思った。
それならまあいっか、とイリスはその思考に一旦区切りをつける。
「ここ」
ククルーが向かった先は、全体が薄っすらと透けた水晶で出来た場所だった。
思わず口を開けて、イリスはその光景に見入ってしまう。
先ほどまで見てきた水晶とは、明らかに輝きからいって違う。
一歩を踏み出したとき、部屋の隅でゆらりと不自然な揺らぎがあったことにイリスは気が付く。
何だろうと思って目を凝らしたと同時に、そこから冷気が噴射された。
「!」
咄嗟に剣を縦に構えるが、襲い来る冷気を防御できるわけがない。
と、その冷気がイリスを包み込む瞬間、イリスの目の前に風の壁が出現し、冷気を押し返した。
ククルーの得意とする風の障壁『エア・ウォール』である。
「ありがとっ、クーちゃん」
一言言ってから、イリスはしっかりと剣を構え直す。
部屋の奥に、やはり何か動くものがあった。
目を凝らし、それをよく見てみると、
「ど、ドラゴン?」
そこにいたのは、二十メートルもあろうかという巨大なドラゴンだった。
全身が全てこの部屋と同じ水晶で出来ている。
そのため、すぐにはその存在を確認出来なかったのだ。
「強い魔力を持つ無機質が意思を持つことは珍しくない。このクリスタルドラゴンもその一つ」
冷静にククルーが敵の分析を始める。
「鉄のように硬く、魔法耐性の強い身体。戦士にも魔法使いにも戦いにくい相手」
「でも、ここで逃げるわけにはいかないよ!」
ドラゴンの正面を避け、イリスは横に回り込んだ。
腹部めがけて大剣を思い切り振り抜く。
甲高い金属音。
水晶の身体は僅かに欠けただけに留まっていた。
一瞬、イリスの目が点になる。
あれー、今の力いっぱいやったんだけど……。
そんなことを思っていたら、目の前にドラゴンの尾が迫ってきて、それを剣で受けた。
完全に防御はしたが、その勢いでイリスの身体は宙に投げ飛ばされる。
地面に叩きつけられる瞬間、イリスを柔らかな風が包み込み、衝撃を和らげた。
ククルーの魔法である。
イリスはドラゴンから目を離さないまま、苦笑した。
「もう参っちゃうなっ。思いっきりやったのに、ほとんどダメージ受けてくれてないやっ」
「……クリスタルドラゴンに、一対一で敵うわけない」
でも。
ククルーは言った。
「二人でなら、きっと勝てる」
その言葉に、イリスはにっこりと微笑んだ。