ごった煮トップ インデックス 登場人物 本編 サンクス


第十七話「体当たり剣士」



 ユユがエンジェと別れ、グランと言葉を交わしていた頃――



 イリスは、広い街道を駆けていた。

 長いツインテールがほぼ水平にたなびいている。

 そのままの勢いで、目の前を走っていた馬車を追い抜く。

 手綱を握っていた男と、中に乗っていた身なりのいい人々が揃って目と口を大きく開いた。

 まだ年端もいかぬと見える少女が、馬車をすんなり追い抜いていったのだから、無理も無い。

 だが、イリスにとっては何でもないことだった。

 物心つく前から山に連れ出され、険しい道無き道を駆け回っていた彼女である。

 朝一番にクエスターズを出てから、もう何時間も走り続けているが、息も大して上がっていなかった。

 目的地は、ブレイヴァニスタから北へ200kmほど離れた鉱山の町アースマウンテンである。

 アースマウンテンといえば、アストリア公国一の魔法水晶の名産地だ。

 魔法水晶は非常に高い魔力を含有し、採掘量も少ないため、他国にもその名は知れている。

 イリスに課せられた試験は、そこで純度九十パーセント以上の高純度の魔法水晶の入手だった。

 まだ着いてもいないうちから、胸がどきどきしてくる。

 気持ちは浮ついていて、足取りも軽い。

 アースマウンテンは、彼女の故郷とさほど離れていない都市だ。

 更に、そこは彼女の故郷と同じように、険しい山の中にある。

 うきうきする。

 彼女は、まだ戦闘ではエンジェレットには敵わない。

 知識の量では、ククルーの足元にも及ばない。

 ユユのように強力な魔法も使えない。

 彼女が誇れるのは、持ち前の腕力と底無しの体力、それに、



「うーんっ……楽しみだなっ」



 溢れんばかりの、好奇心くらいである。











 イリスがアースマウンテンに到着する頃には、既に日は沈んでいた。

 だが、大した路銀も持たないイリスに宿に泊まる金は無い。

 以前ククルーと買い物に出かけた時に散財してしまったせいで、ちょうど貯えがなくなっていたのだ。

 ブレイヴァニスタから徒歩で駆けてきたのは、そのためである。

 本当は、馬車でも借りてきたかったのだ。

 仕方なくイリスはアースマウンテンへ分け入っていた。

 元々山育ちなイリスにとっては、山の中はとても過ごし易い場所なのだった。

 草木が生い茂っていて、多少歩き辛いはずだが、イリスは気にした風ではない。



(んー、まあ馬車だと身体が動かせなかったから、うん、ちょうど良かったよねっ)



 なんでもかんでも前向きに考えるのは彼女のいいところである(多分)。

 そもそもイリスの頭は、色々と考え込めるほど複雑なつくりをしていない(としか言いようがない)。

 先のことを前もって考えておいてから行動、なんてことは彼女はしない(というか出来ない)。

 問題が発生したら、その問題のみに全力で体当たりしていくのが、イリス・アースグランドという女の子なのだった。

 お金が無くなったら、稼げばいい。

 宿が取れないんだったら、野宿すればいい。

 イリスは、ずっとそうやって、足りない頭で精一杯生きてきたのだ。



「……ん」



 イリスは足を止めた。

 虫の声に混じって、荒い息遣いが微かに聞こえてくる。

 夜の闇の中に、幾つもの鋭い光が明滅しているのをイリスは見逃さない。



(一……二……五匹、かな?)



 首のペンダントを宙に放り投げる。

 ペンダントは瞬きほどの間に大剣へと姿を変えた。

 ひょいとそれを軽く担いで、にっこりとイリスは笑う。

 生い茂った森、険しい山道での戦闘。

 どちらもイリスにとっては得意中の得意な環境である。



「さあさっ、どこからでもかかってきていいよっ」



 ぐるんぐるんと剣を振り回す。

 夜、一人きりだからといって、イリスの顔には不安も怯えも見当たらない。

 常にがむしゃらで一直線で単純な彼女の頭には、そんなものが入るスペースは余っていない。

 暗闇に潜んでいた影が一斉にイリスに襲い掛かる。

 横っ飛びにそれを避けながら剣を下から振り上げて、その内の一匹を高々と吹き飛ばす。

 イリスは、微かに笑った。











「……んー」



 目に眩しさを感じて、イリスは目を覚ました。

 彼女はぐぐっと伸びをすると、眠っていた木の枝からぴょんと飛び降りる。



「よっ……し、行こうっ」



 ところどころ泥で汚れたままの姿で、イリスは山を駆け下りていった。











 アースマウンテンの鉱山への入場は、アースマウンテンの商工業団体によって規制されている。

 町の名産である魔法水晶を濫獲されては困るからだ。

 万が一水晶を根こそぎ取っていかれ、ところ構わず売られでもしたら、たちまち水晶の価値は暴落してしまう。

 それ以前に、水晶を取っていかれたら、アースマウンテンには死活問題だ。

 そのため入場するには、まず多額を支払って入場許可を取らねばならない。

 そうすれば入場者は規制できるし、入場許可料で利益を上げることもできる、一石二鳥というわけだ。

 その代わり、そうして入ることの出来る坑道は非常に整備が行き届いている。



「ええー! それじゃ、許可を取らないと入れないんですか?」



 もちろん、そんなことをイリスが知っているはずもない。

 鉱山入り口に辿り着いたイリスは、何の疑問も持たず鉱山に入ろうとして、入り口を見張っていた衛兵に止められていた。

 衛兵に入場許可について教えられ、イリスはううーんと考え込んだ。



「そのー、入場許可はどこで貰えばいいんですか?」

「町へ降りて、ギルドに行きな。鉱山への入場許可証をくれって言えば用意してくれるぜ。ま、金があればだけどな」



 衛兵の一人が愛想良く答えてくれる。

 一応相手がまだ小さい女の子なので、気を遣っているのだろう。



「お金って、どれくらいですか?」

「そうさなあ、十万イールってとこだったか」



 イリスは目をまんまるくした。

 十万イール。

 頭の中で計算が始まる。

 自分の一回の食費が大体五十イール、それが一日三回で、一ヶ月は約三十日、つまり……つまり……



 とってもたくさん!



 イリスは、途中で計算を全て放棄した。

 暗算なんてものは、イリスにとって苦手の最たるものだ。

 ちなみに計算を最後まですると、十万イールはイリスの約二年分の食費である。

 宿に泊まる分すらなかったイリスがそんな大金を持っているわけがない。



「あのー、許可証無しでこの鉱山に入るのは無理ですか?」

「整備されてる坑道は全滅だな。ただ、アースマウンテンには整備されてない洞窟も沢山あるから、そこからなら……」

「そうですかっ! ありがとうございますっ!」

「でもま、そういう洞窟は道も険しいし、やめとくのが無難……って、おい、お嬢ちゃん?」



 だが、イリスは衛兵の言葉も待たずに走っていってしまっていた。

 衛兵はそれを見送り、はあと溜息をつく。

 それを見ていたもう一人の衛兵が言った。



「今の子、なんだって?」

「んー、なんでも許可証無しで鉱山に入りたかったらしい」



 ふーんと言ってから、衛兵はまた口を開いて、



「そんなことを言う子が一日に二人も来るなんて珍しいな」

「ああ、まったくだ」











 洞窟、洞窟、と呟きながらイリスは生い茂った山の中を走っていく。

 木々があらゆる角度から節操無く突き出ていて、道と呼ぶのもおこがましい。

 幹の下を潜り、踏み越えながら、衛兵に言われた洞窟を探す。

 イリスが山に入ってしばらく、洞窟はすぐに見つかった。

 洞窟というより、それは一見くぼみとしか見えないほど小さなものだった。

 衛兵達のいた洞窟と比べると随分と大きさが違う。

 その小さな穴に、イリスは身体を滑り込ませた。



(むぐー、思ったより狭いー)



 イリスの小さな身体ですら、少しずつ身体をずらしていかないと進めなかった。

 穴は奥へ奥へと続いていて、始めは横穴だったのが、進んでいくうちに下へと続いていることに気付く。

 段々と日の光が届かなくなり、視界が暗くなってきた。

 ある程度の深さまで潜ったところで、ふとイリスはあることを思った。

 自分は、何か灯りになるものを持っていただろうか。

 動きを止めて、自分の持ち物を確認する。

 ペンダント、簡易食料(魔法で作られた粉。滋養強壮に利く。まずい)二日分、元気と好奇心は余分にある。



「……」



 うん、灯り、持ってない。

 というより、イリスがそんなことにまで頭が回るはずがない。

 常識的に考えれば灯りを取りに町へ降りるのが無難だが、今更地上に出るのは相当骨である。

 幸いなことにイリスは暗闇でもある程度は見える。

 しばらく考えてから、イリスは先に進むことにした。

 イリスは、自分の頭が、その、どう控え目に言っても『足りてない』としか言いようの無いことを知っていた。

 だから、悩んで無駄に時間を浪費するよりは、彼女はとにかく何かしらの行動に移る。

 更に奥まで進んでいくと、急に足場が無くなり、イリスはずるっと滑り落ちた。

 僅かに浮遊感を感じた瞬間、どすんと地面に叩きつけられる。



「あいたたたぁ……」



 強く打ち付けた尻をさすりながら、イリスは涙目になって上を見上げた。

 微かにぽっかりと穴が開いているのが見える。

 どうやらあそこから落ちてきたらしい。



「……あ、結構見える」



 視界が思いの他明るいことにイリスは気が付いた。

 周囲の岩肌が、薄っすらと発光していて、それが灯りになっていたのだった。

 普通ならこれでも暗すぎるくらいだが、イリスの目にはちょうどいいくらいであった。

 ぱんぱんとスカートの裾の土を軽く払って、イリスは意気揚々と洞窟を進んでいった。