第十四話「決着」
戦いを始めて一時間余が過ぎても、二人の決着は未だについていなかった。
幾度と無く交差する剣と扇。
エンジェレットは打撃の合間に魔法による攻撃も織り交ぜていた。
彼女とサーザイトの接近戦での能力はほぼ互角だ。
ならば魔法の使えないサーザイトに対して魔法で応戦するのは当然の選択。
だが、サーザイトの構える剣がそれを吸収し、無効化していた。
「その剣……普段使っていたものと違いますわね」
苦々しくエンジェレットが言う。
「聖なる守護の洗礼を受けた聖騎士の剣だ。俺のとっておきさ」
「どうしてあなたがそんなものを持っていますの?」
「俺に勝てたら教えてやらないこともないぞ」
振り下ろされる扇の一撃を払う。
ビリビリと衝撃で腕が痺れた。
技術だけではなく、力もなかなかのもの。
とは言っても、それは一般的なレベルでの話だ。
つい先日イリスと手合わせしたサーザイトには、むしろ軽く感じる。
間髪入れずに迫った二撃目に合わせ、剣を強く叩きつける。
「くあっ……」
やはり力勝負ではサーザイトに分がある。
エンジェレットは弾き飛ばされ、地面に片膝をついた。
その呼吸に苦しげなものが混じる。
少し前から呼吸が乱れ始め、肩で息をするようになっていた。
それに対して、サーザイトは未だに涼しげな顔でエンジェレットを見下ろしている。
(私が、押されている? この男相手に?)
ぎり、と並びの良い歯を軋ませた。
相手は、一ヶ月前には自分が圧倒していた男だ。
それなのに、ずっと鍛錬を怠っていなかった自分が、押されている。
「思ったより、やりますわね……一ヶ月前とは別人ですわ」
「一応クエスターズに来てから自主鍛錬をしていたからな。錆び付いてた体も大分動くようになった」
「そう、十年の錆び付きを一ヶ月で戻すなんて、ご苦労でしたわ」
それを聞き、サーザイトの眉が微かに動く。
「……どこでそれを?」
「コミュニティにあなたの情報がありましてよ、『俊剣』」
「もうその名で呼ぶな。俺は、サーザイト・ルーヴェイン。ただのクエスターズの臨時講師。それで十分だ」
エンジェレットは立ち上がり、裾についた砂を叩き落す。
その表情には、自嘲めいた笑みがあった。
「そのただの臨時講師にこうまで追い詰められるなんて、私もまだまだ未熟ですわね」
「いや、俺の全盛期の時ならともかく、今の時点では、多分実力はお前の方がまだ上だと思うぞ」
「……なんですって?」
驚いた様子でエンジェレットが言う。
明らかに戦いを優勢に進めている相手からの言葉だ、驚くのも無理は無い。
「お前、最近実力が自分と同等かそれ以上の奴と戦っていないだろう」
エンジェレットは黙り込んだ。
サーザイトの言う通りだった。
クエスターズに来てからは、自分ほどの強者に巡り会う機会に恵まれなかった。
たとえば、イリス。
腕力ではエンジェレットも敵わないが、攻撃パターンが単調だ。
攻撃に対する反応速度もエンジェレットには遠く及ばない。
たとえば、グラン。
高い能力を持ち、生徒達(特に、女の子)の羨望の的である彼も、エンジェレットにはまるで敵わなかった。
その二人はまだいい方で、大抵は記憶にも残らないほど他愛の無い相手ばかりだった。
「そのせいで、多分、お前はお前自身の限界がわからなくなっていたんじゃないか?
今、息が苦しいだろう? 一時間も戦ってるもんな。魔法は二十回くらい使ったか。
最近、ここまで戦ったことがあったか? 無かっただろうな。
一ヶ月お前のことを見ていたが、苦戦するような戦い方をお前はしていなかった。
お前はいつも圧倒的な力で相手を蹂躙していた。流石だ。俺にはなかなか出来るもんじゃない。
戦闘種族エヴァーの民、トーワ王国の姫君の肩書きは伊達じゃない。お前は、こと戦闘に関しては天才だよ」
だが、とサーザイトはあくまでも淡々とした口調のまま言った。
「皮肉だが、それがこの戦いの優劣を決めた。俺はこの一ヶ月、十年怠けていた分を取り戻すために鍛錬した。
何が出来るか、何が出来ないか、出来なくなったか。一つ一つ思い出していきながら、剣を振った。
最初の頃は『空裂』の出し方も忘れている有様でな。お前が俺のことを認めたがらなかったのも納得がいく。
一ヶ月前の俺は、確かに口だけは達者なうだつの上がらん中年親父……俺だってそんな奴の言うことなんか聞きたくない。
まあ、そんな奴も、昔取った杵柄って奴で、鍛錬し直せば、まだまだこの程度には戦えるってことだ。
それに、少し前にイリスと戦ってみて確信した。――今の状態なら、エヴァーグリーン、お前にも勝てる、と」
「……それで、言いたいことはそれだけですの?」
氷のように冷たい声音。
周囲の空気が急速に冷え切っていく。
エンジェレットの突き出した鉄扇が青白く瞬き始めた。
「あなたがサーザイト・ルーヴェインであろうと『俊剣』であろうと、私は負けるわけにいかない。
あなたが停滞していた十年は、私が血と悲鳴の飛び交う中を、懸命に生きてきた十年ですわ。
ここであなたに負けたら、私は、私がこれまで歩んできた道を否定することになってしまう。
意地でも負けるわけにはいかないんですのよ!」
直視できないほどの光が鉄扇に集まっている。
そして、この凍りついた空気。
殺意にも似た圧倒的な攻撃意思がサーザイトに向く。
エンジェレットは、改めてサーザイトを見つめた。
くたびれて煤けた色のロングコート、けだるそうに垂れた目、全く力の抜けた肩。
だが、確かに、強い。
(わかりましたわ、もう、否定はしない、彼は、ルーヴェインは強い)
ここにきて、エンジェレットはようやくサーザイトを心から敵として認めた。
だから、自分自身が最も信頼する技、それに全身全霊の力を注ぐ。
鉄扇が真横に薙がれる。
切っ先から放たれた光線が、幾重にも分かれ、四方からサーザイトを襲った。
(さて、どうするか)
回避し切るは至難である。
それ以前に、この技は、初めてエンジェレットが全力で放ってきた技だ。
受けるが礼儀。
サーザイトはそう思っていた。
真正面から受ける。
そして、その上で、勝つ。
それが彼女に出来る最初にして最後の、先生としての務めだと思った。
(エヴァーグリーン、お前の言う通り、俺はこの仕事には向いてないらしい。こんな戦いは――お前だけで十分だ)
正面から、光線を受け止める。
身体全体が吹き飛んだと錯覚するかのような衝撃がはしった。
剣の刀身が悲鳴をあげている。
余波が皮膚やコートに細かな傷をつけていく。
(もう十分だ。終わりにしよう、エヴァーグリーン)
力の限り、その光線を真上に斬り払う。
雪のような粒子を撒き散らして消えていく光。
消えた光の先で、エンジェレットは膝をつき、苦しそうに咳き込んでいた。
先ほどの技に力を注ぎすぎたのだろう。
魔法も多用していて、長時間戦い続けのところに、全身の力を注いで放った一撃。
万全の状態で放ったなら、サーザイトもそう容易く掻き消すことは出来なかった。
体力の消耗が、あの技の本来の威力を大きく削いでいたのだ。
今のエンジェレットには立ち上がることすら重労働だろう。
だが、油断はしていられない。
決着がつくまで、決して気を抜けない相手だ。
サーザイトは剣を構えて駆け出す。
戦いとは残酷なものだ。
必ずといっていいほど、勝者か敗者のどちらかになることを強制してくる。
「負けない……負けたくない……私は負けない……」
うわごとのようにエンジェレットがそう呟く。
その言葉を否定するかのように、剣が振り下ろされた。
その剣が振り終わったとき、この戦いの決着は着くはずだった。
しかし、
「なっ……!」
剣の切っ先がエンジェレットに届く間際、エンジェレットの鉄扇から突如として眩い光が放たれた。
目を開いていられないほど強烈な光が、一瞬にしてサーザイトを包み込む。
剣を振り始めた直後のことだ、回避をしようと思う間も無い。
轟音が響いたのを最後に、サーザイトの意識はぷっつりと途絶えた。