第十三話「激突」
「ルーヴェイン、これはどういうことですの!」
エンジェレットの口調には棘を感じさせるものがあった。
それ自体は普段と変わらないが、明らかな怒気を孕んでいる。
「……どういうこととは、どういうことだ?」
彼女が何を言いたいのかはわかっていたが、あえてサーザイトはしれっとそんなことを言った。
サーザイトは、教室に集めた四人それぞれに卒業試験の内容を書いた紙を渡した。
イリス、ククルー、ユユの三人は、その準備をするために自室に戻っている。
ただ一人、エンジェレットだけが教室に残ったまま、同じく残っていたサーザイトに食いかかっていた。
彼女がサーザイトに突きつけたのは、たった今配られたばかりの紙である。
「卒業試験の内容を書いた紙ですわね?」
「そうだと言ったはずだが」
「何も書いていないじゃありませんの!」
バン! と教卓に紙を叩きつけた。
彼女が困惑するのも当然である。
その紙には、何も記されてはいなかった
サーザイトは、憤慨するエンジェレットを前に、気だるそうな溜息をつく。
が、彼女が今にも掴みかかってきそうな雰囲気だったので、あーとぼやきながら、
「エヴァーグリーン、お前は既に多くの依頼をこなしているだろう。しかも様々な格闘大会で、優秀な成績を修めている。
卒業試験なんて受けなくても、教師連中に、卒業を認められる程度にはその能力を認められてるんだ。よって、免除」
「初めて耳にする処置ですわね……」
「これはクエスターズの代表兼教師長であるローレンシア・アルテラスの決定だ」
「ローレンシア先生が……?」
それを聞き、エンジェレットは思わず黙り込む。
彼女が唯一、クエスターズでその力を認めている教師がローレンシアなのだ。
サーザイトが就任する前に、エンジェレットとローレンシアの間で何かがあったのだろうか。
何か言いたそうにしながら俯くエンジェレットに、サーザイトが声をかける。
「不満そうだな」
「今まで散々卒業試験を渋っておきながら、今更ですわ」
それはお前が教師を脅してきたのも一つの要因だ、という言葉を喉で押し留めた。
気を悪くしている今のエンジェレットに言えば、二秒後に首と胴が繋がっている保証は無い。
エンジェレットは顔を上げた。
納得いっていないらしいことが一目でわかる。
だが、この場で何を言っても無駄だと自分に言い聞かせたのか、話を進める。
「そういうことでしたら、もう卒業証明はいただけるんでしょう?」
「ああ、ミス・ローレンシアのところに、お前の分は用意されてるはずだ」
「それなら早くいただけますこと? いい加減にここでの生活も飽きてましたの」
「……もちろんだ。着いてきてくれ」
二人は教室を出る。
卒業証明を受け取れるということで、エンジェレットも素直にサーザイトに着いていく。
教室を出て、中庭を右に見ながら、廊下を真っ直ぐ抜ける。
大抵の生徒達は、まだ講義が終わっていないようで、他の教室からは教師の声が聞こえてくる。
中庭では魔法を得意とする教師が、まだクエスターズに来て日の浅い生徒達に実際に魔法を披露している。
初々しい様子の生徒達が、目を輝かせて見入っていた。
それをエンジェレットは感慨も無く眺める。
クエスターズに来た時、既に高い能力を有していた彼女は、あんな風に魔法を見て、感動を覚えるなどという経験は無い。
魔法など使えて当たり前だった。
それをどのように使い、自らの力としていくか。
彼女にとってはそれが何よりも重要なことだった。
トーワ王国に生まれ、物心ついた時には、戦場に連れ出された。
父に戦いの知識を学び、兄に戦いの術を学び、肌で戦場の空気を覚えてきた。
そんな彼女が、クエスターズのぬるま湯のような生活を嫌ったのも仕方の無いことである。
その中で、たとえばユユのようにその能力を認められる学友に出会えたことを考えれば決して無駄な時間ではなかったが、
それでもエンジェレットは、長い間退屈や物足りなさを常に感じ続けてきた。
それも、今日で終わる。
中庭を通り過ぎ、その先を左に曲がる。
エンジェレットは首をかしげ、怪訝そうに眉間にしわを寄せた。
中庭を過ぎ、その先を右に曲がった突き当たりにある職員棟で、普段教師達は事務作業をしている。
ローレンシアとて例外ではない。
それに、この先にはもう教室はないはずだ。
「どこに行くんですの。職員棟は逆ですわよ」
「わかってるさ」
サーザイトは振り向きもせず答える。
その歩みは止まらない。
聞く耳持たずといった感じだ。
仕方なくエンジェレットはその背を追う。
そして、当然ながら二人は校庭に出ていた。
校庭では何人かの生徒達が戦闘訓練をしていた。
邪魔にならないように横を通り抜け、周囲に人がいないことを確認してから、サーザイトはエンジェレットに目を向ける。
「卒業証書をいただけるんじゃありませんの? こんなところへ連れてきて、何をするおつもり?」
涼やかな目だった。
質問をしながらも、何となく、ここに来た理由を感づいてはいたのだろう。
校庭に出てきてまでやることなど、そう数は無い。
サーザイトは、無言のまま剣を引き抜いた。
緩慢だった気配が、急激に鋭く尖ったものへと推移していく。
明らかに彼の纏う空気が変わったことを、エンジェレットは敏感に察知した。
「エヴァーグリーンとは何度か手合わせをしたが、決着はついていなかったな」
「そうですわね」
表面上は変わらない調子で、彼は言った。
「卒業する前に、敗北を知ってみたくはないか?」
エンジェレットは袖口から鉄扇を取り出す。
「お断りですわ」
二人の視線がぶつかり合う。
「そう言うな。敗北もそう嫌ったものじゃないぞ。人がより成長するのは勝利より敗北から立ち上がった時だ。
俺みたいな中年親父で悪いが、誠心誠意込めて、お前にとっておきの敗北をプレゼントしてやる」
「あなたにそんなことを言える資格がありますかしら?」
「さてな」
「……まあ、答える必要はありませんわ」
一拍置いて、
「一度切り結べば、すぐにわかることですもの……!」
言い終わると同時に、大地を強く蹴った。
エンジェレットの身体が宙を舞い、鉄扇が空を裂く。
鈍い金属音が響いた。
幾度も打ち合い、激しく火花が散った。
真っ直ぐと見せかけて横から、かと思えば反転し、その切っ先で喉笛を狙う。
変化のある攻撃を見せるエンジェレットだが、サーザイトは紙一重で見切っていた。
コートの表面を、鼻先を、鉄扇の鋭い刃がかすめていく。
扇が翻った瞬間を狙って突き出した剣が、エンジェレットの髪を数本斬り飛ばした。
「……」
地面に落ちた自らの髪を見つめる。
「いつの間に腕を上げましたのね」
「『士、別れて三日、刮目して相待すべし』という言葉がある。エヴァーグリーン、あまり俺を舐めるな。
勝った時に、お前の口から『油断していたから』だなんて言い訳を聞きたくはないからな」
「言ってくれるじゃありませんの」
口元でエンジェレットが呪文を唱えた。
初めてサーザイトと手合わせした時にも使った補助魔法『バイス』だ。
先ほどより数段上の加速で、距離を詰める。
サーザイトの死角に回り込み、必殺の一撃を叩き込もうと扇を翻すが、
「遅い」
一瞬早くサーザイトの剣が振られる。
鉄扇を持った腕が弾かれた。
「っ」
「もらった……!」
僅かな隙。
それを見逃さず、横殴りに剣を振った。
が、エンジェレットは後ろへ飛び退いて回避する。
それに合わせて、サーザイトが空を切り裂き、追い打ちの剣圧を放つ。
すると、エンジェレットはそれを避けようとはせず、同じように扇を振り、目の前の空間を両断した。
切り裂く速度が空を走り、それがそのまま刃となる。
両者の間で見えない刃が激突し、破裂音が幾重にも鳴り響いた。
サーザイトは、ほうと感心したように溜息をもらす。
「流石にやるな、エヴァーグリーン。今のタイミングで『空裂』に合わせてくるとは思わなかった」
「『空裂』……繰り出す剣が生み出す風の刃。それがあなたの得意技ですのね。でも、その程度の技なら私にも出来ましてよ」
それを証明するために、エンジェレットは回避ではなく、わざわざ同じ技で相殺したのだろう。
「『空裂』は俺の使える技の中でも最も簡単な初歩の技だ。ありていにいえば、すごい速さで剣を振って、
その時発生する風で攻撃する、ってだけだからな。その程度で勝ち誇った顔をしてくれるな。俺が困るだろ」
「なら、その実力を示しなさい」
「無論、そのつもりだ」
その口調は変わらず気だるそうである。
だが、その張り詰めた空気は緩んでいない。
もうサーザイトの力を軽視はしていないのか、エンジェレットは一気に懐に飛び込む戦法をやめたようだった。
二人は、相手の出方をうかがいながら、じりじりと距離を詰めていく。
一歩、二歩。
表面的には熱さを保ちながら、心の底では冷静に次の行動を思考する。
それにかける時間が、刹那か、一秒か、その僅かな違いが、戦士としての質を決める。
二人の距離が、手を伸ばすところまで縮まり、
再び火花が散った。