第十二話「熱」



「……うん?」



 朝の自主鍛錬から戻ってきたサーザイトは、自分の部屋の前で挙動不審にしている人物を見つけた。

 小柄な身体に、ぴょんと垂れ下がったツインテール。

 遠目にも、それがイリスであることは一目でわかった。



「何か用か?」

「ひやああっ」



 声をかけると、イリスは驚いて飛び上がった。

 ビビビ! とツインテールが逆立つ。

 気配を消した覚えは無いのだが……戦闘ではともかく、普段はどこか抜けているというか、平和な子である。



「せ、先生? 出かけてたんですか?」

「ああ。体が鈍っていたからな……朝は鍛錬を怠らないようにしてるんだ。お前は?」

「あ、ええと、今日は先生に訓練付き合ってもらおうかなって思って。ダメですか?」

「ダメなんてことはないぞ。ああ、少し汗を流してくるから、悪いが部屋で待っててくれないか」



 はーい、と元気良く返事をしたイリスを、サーザイトは部屋に入れた。

 乾いた木綿を持って、自分は部屋を出て行く。

 アパートの部屋に、風呂などという高尚なものはついていない。

 その代わりに、すぐ近くに公共の浴場があるので、そこへ向かったのだ。

 一人残されたイリスは、床にぽすんと腰掛けて、部屋の中を興味津々に眺める。

 一人暮らしの男の部屋というのは、妙な緊張を感じるのだろう。

 視線は常に宙を漂い、身体をそわそわとさせて落ち着かない。

 サーザイトの部屋は、イリスが思っていたよりはずっと片付いていた。

 というより、ほとんど必要最低限の生活必需品しか置いていないのだった。

 それ以外は、机の上に広がったままのクエスターズの資料(あまり見ないようにした)と、

 壁に掛けられた一振りの剣があるばかりだ。

 窓から微かに差す光を反射させ、鈍い輝きを放っている。

 装飾は簡素で、曲がりなりにも名剣といった感じはしないが、よく手入れが行き届いていて、機能美を感じさせた。

 気付かない内に、イリスはその剣にじっと見入っていた。

 一人前の冒険者……剣士になるために日々努力しているイリス。

 そんな彼女が剣に興味を引かれるのは、不思議なことではない。

 特に、イリスは持ち前の怪力のおかげで、並の剣では扱うことが出来ないのだ。

 剣自体が軽すぎて、振った途端にすっぽ抜かしてしまったり、イリスの力に耐え切れず、

 衝撃の瞬間刀身が砕けてしまったりしてきたのである。

 そのためイリスの中には、一般的には何の変哲もないただの剣に対する憧れがあった。

 胸のペンダントに封じられている大剣が、自分に合っていることはわかっている。

 それでも、少しくらい、持って、握ってみるくらいなら……

 そう思ったら、もう止まらない。

 イリスは壁に掛かっていた剣をそっと持ち上げた。

 ふわっと羽のように軽い。

 初めて触った感想としては、不思議ととても手に馴染むといった感じ。

 思い切り振ってみたい衝動に駆られたが、微かに残る自制心が、それを堪えさせた。

 それにしても、見た目には何の細工も施されているようではない長剣だが、手に持っていると力が涌いてくる気がするのは何故だろう。

 手に持ったまま、色んな角度から眺めてみる。

 見れば見るほど……何の変哲もない、ただの長剣である。

 逆さにしてみると、イリスは柄の裏側に文字が彫ってあるのを見つけた。

 小さい上に、ややかすれていたので、汚れと思って見過ごしそうだったが、それは確かに文字である。

 大きな目をくりくりとさせて、イリスはその文字を読もうとした。



「リ……ーズ、ベル……ト……スケア……クロー……?」



 はて、とイリスは首をかしげた。

 ……リーズベルト・スケアクロー。

 どこかで聞いたことがある気がした。

 いつ、どこで聞いたのか思い出せないが、確かに耳にしたことのある名だ。

 だが思い出す前に、部屋の外からカンカンカンと階段を上がってくる足音が聞こえ、イリスは慌てて剣を元の場所に戻す。



「悪い。待たせたな」

「う、ううんっ、そんなことないです」



 妙に慌てているイリスをサーザイトは怪訝に思った。

 が、すぐに思い直す。

 この子は元々活動的だ、小さな身体に溜まった体力を持て余しているのだろう。



「さて、行くか」

「はいっ! クエスターズの校庭ですか?」



 サーザイトは少しだけ考えて、



「いや、街から少し出た草原にしよう」



 二人はサーザイトの部屋を出て、草原へと向かった。

 ブレイヴァニスタは、冒険者の街と言われているだけあって、街の外へ出ても人の出入りが激しい。

 それでも、街道を外れて草原を十分も進むと、周囲に人影は見えなくなる。

 街からは近いこともあり、魔物も少なく、遭遇したとしても大したことのない下級の魔物である。

 訓練をするには絶好の場所なのだった。

 適当に拓けた場所まで来てから、サーザイトはイリスに向き直る。



「この辺りにするか」

「了解です先生っ」



 イリスは首のペンダントを外すと、それを宙に放り投げた。

 瞬時にペンダントは、その形状を剣へと変え、ドン! と地面に突き刺さる。

 その柄をピョンとジャンプして掴み、軽々と振り上げた。

 何度かくるくると剣を回転させ、その感触を手に馴染ませている。

 いつ見てもイリスほどの少女が、自分の身の丈三倍ほどもある大剣を振り回す姿は非現実的だった。

 サーザイトは距離を取ってから、自分も剣を引き抜き、その切っ先をイリスに向けて言う。



「イリス、全力でかかってこい。俺も、お前相手じゃあんまり手加減出来ないからな」

「はいっ! それじゃ、行きますっ」



 宣言してから、剣を水平に構え、イリスは突進する。

 巨大な剣を持ちながらも、数歩で間合いに入った。

 イリスの腕が動いた瞬間、サーザイトは素早く頭を下げた。

 その上を、剣が鋭く薙がれていく。

 空気が切り裂かれ、轟音がサーザイトの耳をつんざいた。



(速い……っ)



 あの一撃は、とてもではないが真正面から防ぐのは不可能だ。

 剣を盾にして防いでも、その剣ごと身体を叩き折られる。

 最初の剣撃をかわしたサーザイトは、無防備になったイリスの腹部に膝を叩き込もうとした。

 それを予期していたのか、大剣を振った遠心力を利用し、イリスはそのまま回転。

 繰り出されるは、右後ろ回し蹴り。

 サーザイトの膝と、イリスの脚が激突した。

 だが、吹き飛ばされたのはサーザイトだ。

 ふわりと身体を宙に飛ばされ、背の高い草を薙ぎ倒しながら着地する。



(参った、完全に懐に入ったと思ったんだが)



 あの大剣をおもちゃのように扱う怪力だけあって、やはり単純な力勝負では勝負にならない。

 大剣は、その威力の強大さと引き換えに咄嗟の反応速度を失わせているものだが、

 イリスの怪力が、その大剣の弱点を克服させている。

 大剣使いにとって懐に入られることは致命傷だが、イリスにしてみれば、そこすら彼女の間合い。

 離れたまま、サーザイトは目にも留まらぬ速度で剣を振るった。

 それによって生み出された剣圧が空を裂き、イリスを襲うが、



「て、やぁっ!」



 大剣が一閃した。

 衝撃が大気を揺らし、強烈な突風を引き起こす。

 風が防壁となり、イリスを剣圧から守る。

 その振り下ろしを、サーザイトは狙っていた。

 瞬時に間合いを詰め、剣を上段に振り下ろす。

 と、イリスは大剣による防御は間に合わないと咄嗟に察したのか、一瞬大剣から手を離した。

 イリスのいた空間を切り裂くサーザイトの剣。

 まずい、と思った時には、拳が目の前に迫っていた。

 ほとんど反射的に首をひねり、それを辛うじていなす。

 地面を転がり、再び距離を取る。

 ぽたり、とサーザイトの左頬から一筋の血が流れ落ちた。



「……」



 指先でそれをすくい、ぺろりと舐める。

 口内にじわりと鉄の味が広がった。

 身体の奥底から、湧き上がる熱さをサーザイトは感じ始めていた。



 ああ、そうだ、とサーザイトは思う。



 十年前まで、日々自分自身を包んでいたのは、この熱だ。

 あらゆる敵を、手にした剣で切り裂き、叩き割り、薙ぎ倒していた頃の感覚だ。

 自らの血を流したことで、ようやくはっきりと思い出していた。

 あの頃の日々を、記憶を、そして――敵の屠り方を。

 大剣を回転させながら、イリスが駆けて来る。

 頭の中は、妙にクリアだった。

 神経がナイフのように研ぎ澄まされていく。

 目に映る全てが、スローにすら見えた。

 確かにイリスの怪力は軽視できない。

 それに加えて、あの反応速度、接近戦は無謀のように思われる。

 だが、



(足りない)



 サーザイトはそう感じた。

 あれだけの大きな獲物を扱っているのだ、どんなに速く動こうとも、サーザイトほどの者になれば、

 その切っ先の動きで、次にどんな軌跡を描いて迫ってくるか推測することは、そう難しいことではない。

 それならどうするか。

 ――決まっている。

 うなりをあげる大剣の旋風を前にして、サーザイトは退かず、逆に一歩踏み込んだ。

 回転の速度を更に上げた大剣の一撃が迫る。

 だが、回転している剣の軌道は読みやすい。

 身体を横にし、最低限の動きでかわす。

 ――イリスの弱点は、二つある。

 一つは、その怪力は通常の攻撃を必殺の域にまで高めるが、これという決め手になる攻撃法を持たないこと。

 再び懐に入ったサーザイトは、その隙を見逃さず、



「――」



 連続で剣を突き出した。

 今度は蹴りで防ぐわけにはいかない。

 回転を上げ、イリスは力の限り大剣を振り下ろそうと腕に力を込めた、が、



「えっ……」



 腕に力が入らない。

 どうして、と思う間も無く、イリスの脇腹に剣の柄が突き刺さる。

 今度吹き飛ばされたのは、イリスだった。

 着地は敵わず、土の上を一転二転する。

 しばらくしても、彼女が立ち上がる気配は無い。

 どうやら今の一撃で気を失ってしまったようだ。

 急所に渾身の一撃を叩き込まれたのだから無理も無い。

 かわいそうなことをしたかなと思いながら、サーザイトは剣を鞘に収める。

 熱くなった頭が急速に落ち着きを取り戻していった。



「強かったぞ、イリス」



 そう、イリスは十分に強かった。

 しかし、彼女の強さは、全てはその怪力の上に成り立っている。



「ただ、少し力任せに戦いすぎだな」



 その力を上回る相手と対峙したとき、彼女は無力だ。

 それが、彼女の二つ目の弱点。

 勝負を決した最後の激突、サーザイトは、初めに一歩踏み込んだ瞬間、既にイリスに剣圧を入れていた。

 そのためイリスは、意識ははっきりしていても身体が追いつかず、結果的にサーザイトの一撃を防げなかった。

 大剣の回転、その一瞬の間隙を縫い、目にも留まらぬ速さで剣を振るう。

 剣の速さと、イリスの剣に真っ向から立ち向かう度胸、それにそれを可能にする集中力、全てが揃っていなければ不可能な業だ。

 自らの血を流すことで十年前の感覚を取り戻した今だからこそ出来た芸当である。

 サーザイトは気を失ったイリスをゆっくりと抱え上げた。

 この小さな身体にあれだけの力を秘めているとは、実際目の当たりにし、手合わせたというのに、未だに信じ難いものがある。



(ありがとうな、イリス)



 サーザイトは、かつての力をほぼ取り戻したことを確信する。



(イリスのおかげで、昔のカンは取り戻せた)



 乱れた前髪を整え、顔についた土を拭ってやる。

 ぐったりと眠るイリスを見つめながら、サーザイトは決意を固めていた。



(これでようやく、心置きなく戦える)