第十一話「愛の貴族」



 グラン・ド・モルガンはアストリア公国の貴族の中でも名門中の名門、モルガン家の息子である。

 その祖父も、彼の父も、アストリア公国の政治を運営している評議会の貴族代表を務めたことのある実力派だ。

 他の多くの貴族が富によってその権力を振りかざす中、モルガン家はひたすらに実力主義を押し進めてきた。

 その結果、アルトリア公国の貴族の中でも、その頭角を表すことが出来たと言って過言ではない。

 英才教育の結果、グランは幼い頃から、魔法でも剣でも同年代の中でいつも最上位の実力を発揮していた。

 家庭教師もつけられ、政治学まで学ばされた。

 将来的には平民を統べることになるのだからと、彼もそれを当然と思い、そんな毎日を過ごしていた。

 元々の外見が良く、常に煌びやかな衣装で着飾っていた彼は、当然のごとく多くの女の子に慕われていた。

 その誰とも深い関係にならなかったのは、彼が表面的には軽薄そうに見えるからに他ならない。

 誰にでも分け隔てなく笑顔を振り撒き、甘い言葉を囁く彼をそう見るのも無理は無い。

 女の子に振られると、彼はいつも強がって作った笑顔の下で、なぜだろうと首をかしげていた。

 彼は、自分が無類の女好きであることを自覚している。

 女の子に好かれたい、好かれたいから優しくする。

 愚直なまでにそう努めているだけなのである。











 彼がクエスターズに来て間もない頃、彼にはエミルという恋人がいた。

 栗色の巻き毛で、背が小さく、小動物のような可愛らしさのある少女だった。

 彼はエミルが好きで好きでたまらなかった。

 今までそうしてきたように、毎日のように甘く詩的な言葉を投げかけた。

 初めは困惑していたらしいエミルも、少しずつ彼のことを慕うようになり、やがて二人は恋仲となった。

 そんな二人の間に亀裂が入るのは、それからすぐのことだった。

 いつものようにエミルの部屋を訪れたグランは、エミルが神妙そうな顔で待っていたのを見て、不思議に思った。

 普段の彼女ならば、グランが訪れたと知るや、花が開いたような笑顔を向けてくれるはずなのである。

 どうしたんだいと普段と変わらぬ調子で聞くと、彼女は今にも泣き出しそうな口調で、こう言った。



『この前のお昼休みに、グラン様が女の方と逢引きをしていると耳にしたのです。

グラン様の女性好きは存じております。ですがグラン様、エミルを本当に愛していらっしゃるのですか?

愛していらっしゃるのなら、お願いでございます、どうかエミル一人を愛してくださいませ』



 エミルが真剣であることは、その口調と表情からわかった。

 だからグランも、真剣に、それこそ真剣に考えた。

 そしてしばらく考えてから、心からこう言ったのだ。



『僕の可愛いエミル。君を愛していないはずがないじゃないか。僕は君のことを一番愛しているよ。

ただ僕は、君と同じくらいに、トーチカとマリーとローズベルとルシアとアンジェリカを愛しているだけなんだ』



 次の瞬間には、グランは右の頬をエミルに張られていた。

 しかし、痛みはほとんどない。

 エミルの方が、好いているグランを本気で叩くことが出来なかったのだ。



『皆にお優しいグラン様。エミルはそんなグラン様を慕っておりました。けれど、エミルは限界でございます。

グラン様のお心を一人占め出来ないのなら、これ以上ご一緒するのは酷でございます。

ですからグラン様、もうエミルとはこれきりにしてくださいませ。ありがとうございます、さようなら!』



 エミルはグランを思い切り突き飛ばし、部屋の外に追いやった。

 そして内側から鍵をかけてしまった。

 何度か戸を叩いてみたが、エミルはもう返事を返してはくれなかった。

 何がいけなかったのかグランにはわからなかったが、最後に見たエミルの泣き顔を思い出すと悲しい気分になった。

 自分が、エミルを泣かしてしまった!

 その一点だけは確かだったので、女の子が大好きなグランは、ひどく後悔した。

 明日、ちゃんと謝ろう。

 そう思ったグランは、その次の日、エミルの部屋を訪れた。

 両手には彼女の大好きな花を抱えている。

 これならきっとエミルも喜んでくれるだろうと思い、グランは部屋の戸をノックした。

 だが、返事は返って来ない。

 まだ怒っているのだろうかと思って何度も叩いてみる。

 声もかけてみたが、やはり返事が無い。

 戸に手を掛けてみると、部屋の鍵が空いていたので、グランは部屋の中に入った。

 生憎と、エミルは留守のようだった。

 しかし様子がおかしい。

 エミルがいないどころではない、エミルの私物が全て失くなっている。

 部屋に残っていたのは、元々備え付けてあった机とベッド、それに小さな本棚だけだった。

 驚いたグリンは、慌ててクエスターズの教師に問いただした。

 それによると、どうやらエミルは昨日の夜の内に故郷に帰ったということだった。

 エミルからグリンに渡して欲しいと言われていたものがあると教師から言われ、グリンの元に届いたのは、

 グリンがエミルに出会ってから、彼女に送り続けた贈り物の数々と、押し花だった。

 彼はふらふらと自分の部屋へと戻り、ベッドに身体を横たわらせた。

 もうエミルは戻って来ない、あの可憐な笑顔を自分に向けてくれることは、もう無いだろう。

 不意に視界が歪み、グランは驚いて目元を拭った。

 自分が泣いているのだと気付くのに、しばらくかかった。

 今まで幾度も女の子に振られても、それが原因で泣くことなど一度足りとて無かったのだ。

 その時になって初めて、グランは自分自身のエミルに対する愛情が、他の誰に対するものより深いことに気付いた。

 初めて、グランは声をあげて泣いた。

 一昼夜泣き続け、喉が潰れ声が枯れても、滲み出る涙は止まらなかった。

 生まれて初めて本気で女の子を好きになって、その子を自分の軽率な言葉で傷つけてしまったのだ。

 それが余計にグランの胸を内側から切り裂くようなショックを与えていた。











 それからというもの、相変わらずグランは女の子が好きだった。

 やはり誰にでも優しく、エミルが好きだと言ってくれた優しい自分のままでいた。

 だが、色々な子に接しても、エミルほど強く心に残る女の子はいなかった。

 もうあんな恋は出来ないかもしれない。

 そう考えるようになっていたグランは、ある日の講義で格闘大会へ出るように指示され、

 いつものように楽に優勝出来るのだろうなあとぼんやりと考えて出場した格闘大会の決勝で、



 エンジェレット・エヴァーグリーンに出会った。











「いつにも増して見目麗しいねエンジェ! 同席して構わないかな?」



 午後の麗かな陽気に、クエスターズの食堂にいたエンジェレットの元へ、グランが訪れた。

 また来たのかこいつはとでも言いたそうな目で睨むエンジェレットだが、そんなことを意に介するグランではない。



「生憎と友人と食事中ですの」

「クスクスクス……『私は一向に構わないですのよ、エンジェ……?』クスクスクス……」



 エンジェレットが同席を許す人間は数少ない。

 彼女が同席を許すのは、彼女がその能力を認めた者だけだ。

 その少ない中の一人、ユユが薄ら笑いで言った。

 エンジェレットはユユに目配せをするが、時既に遅く、グランは喜んでエンジェレットの隣に腰掛ける。



「そちらはエンジェと同じクラスの、確かフレイリーさんと言ったね! いや! なかなか健康的な青白さだ!

人魂の灯りなんて幻想的で、僕の愛しい『永久の緑』エンジェには敵わないまでも、独特な魅力があるじゃないか!」

「クスクスクス……『あら、お上手ですのね。ミスター・モルガン』クスクスクス……」











 そんな風に、彼は格闘大会の決勝でエンジェレットに負けて以来、果敢にアタックを続けていた。

 彼も、モルガン家の、貴族としてのプライドがある。

 その彼があっさりと、為す術も無く敗れ去った。

 本来ならば、自分と同年代の女の子に負けたとあっては、プライドはずたずた、しばらく立ち直ることは出来なかっただろう。

 だが、エンジェレットは、あのトーワ王国の姫だった。

 つまり王族である。

 生まれて初めて敗北を経験したグランは、エンジェレットの強さと気高さと美しさに、心底惚れ込んだのだ。

 ただ、エミルのことを忘れてしまったわけではない。

 エンジェレットにアタックし始めてからは、他の女の子には手を出さなくなった。

 一緒にランチも食べたりしないし、まして休日に部屋に遊びに行ったりしない。

 僕には君しか目に入らない! という状態なのだった。

 そんなグランの努力の甲斐あってか、初めは気にも留めてもらえなかったエンジェレットに、

 自分の名前と身の上くらいは覚えてもらうことが出来た。

 それだけで彼は飛び上がるほど喜んだものである。

 今の彼の頭の中は、エミルとの淡い思い出が一割と、エンジェレットへの熱く激しい想いが九割だ。

 彼は、これからもエンジェレットに愛を、恋を、想いを囁き続けるだろう。

 彼は貴族には珍しく、良くも悪くも根気強い性格だ。

 培っていたプライドも、エンジェレットには完全にぶち壊されていた。

 どんなに滑稽に想われようとも、何の問題も無い。

 いつか自分の想いがエンジェレットに届くのを祈って、恋の歌を歌い続けるのみである。



「こんなに君を好きにさせてくれた君に感謝を込めて、この歌を捧げるよ! ラララ〜ル〜君は麗しの……」

「……やめなさいグラン・ド・モルガン。一緒にいる私達まで変な目で見られるでしょう」

「愛しい君が僕の名前を呼んでくれたね! 安心するがいいよ、僕は魔法や剣だけでなく歌も大の得意なのだ!」



 病的なまでに前向きな彼は、今日も歌を歌う。

 そんな彼は、想い人であるエンジェレットには鬱陶しがられているが、元々人気のあった彼は、

 エンジェレットに傾倒することによって「一途」という印象を持たれて、

 他の女の子にはより人気を博していることを、本人だけが気付いていないのだった。



「もう、鬱陶しいですわね」

「はぉうっ」



 鉄扇の一撃を入れられ、椅子ごと後ろに倒れるグラン。

 彼の恋路が実る日は来るのだろうか。



「興が削がれましたわ。場所を変えますわよ、ユユ」

「クスクスクス……『そう怒らなくていいですの。こんなに想われてるなんて、女として羨ましく想いますの』クスクスクス……」

「……あまり趣味ではありませんわ」



 彼の恋路が実るのは、少なくとも、それほど近い日では無さそうだった。