第七話「漆黒のヴェノム 1」



 サーザイトは、イリス達四人を連れて、ある場所を訪れていた。



「ルーヴェイン、ここがそうですのね?」

「ああ、ここが今回の実施訓練の場になるヴェノム洞穴だ」



 気だるそうにしながら、その暗闇を見つめる。

 イリスは興味津々に目をぱちぱちさせて周囲を見回している。

 その後ろをククルー、ユユが散歩でもするような足取りで歩いていた。

 今回、サーザイトは初めて全員を一度に実戦に連れ出してきた。

 本来ならば、まだクエスターズに所属していて、立場的には一人前とは言えない彼女達だが、

 それにしては実力がありすぎるため、それなりに強力な魔物の巣食うヴェノム洞穴に連れてきたのである。



「あまり気を抜くんじゃないぞ。これはいつもの講義とは違うんだからな。魔物に待ったは通用しない」

「そんなことはわかっていましてよ」



 五歩ほど先を歩くエンジェレットが、振り向きもせずに言う。

 なぜかわからないが、以前より余計に距離が離れたような気がするが、今は気にしないことにする。

 実を言うと、サーザイトは僅かながら不安なのである。

 本当なら彼は、彼女達の実戦訓練は、ブレイヴァニスタ東の草原で済ませたかったのである。

 そこならばあまり強い魔物も出ないし、いざとなったら自分一人でどうにかなる。

 ブレイヴァニスタに近いこともあって、何か起きてもすぐに対応することも出来るだろう。

 しかし、ここヴェノム洞穴は、そうではない。

 入り口付近はともかく、奥に進めばかなり凶暴且つ凶悪な魔物も出る。

 ブレイヴァニスタからは、馬車で三日かかる距離にある。

 彼女達四人の力を疑うわけではないが、何か大事が起きたとき、果たして自分一人で対応し切れるのか。

 サーザイトの不安は、大まかに言えばその一点に尽きた。

 訓練と実戦は違うのだということを、元々冒険者だったサーザイトは、よく知っているのだ。



「何事も無ければいいんだがな……」



 腰にくくりつけた剣の柄の感触を確かめながら、サーザイトは洞穴の中に入っていった。











「てっ! やっ! とぅっ!」



 入り口から入ってすぐのところでは、既にイリスがその身の丈に似合わない大剣をぶんぶんと振り回していた。

 相手にしているのは、黒光りする体に六本の足を持つ虫である。

 その大きさは、イリスの二倍近い。

 見ているだけで生理的嫌悪感をもよおす相手である。



「うっ……」



 と、エンジェレットが突然口元を押さえた。

 心なしか顔も青ざめて見える。



「……大丈夫か?」



 サーザイトが顔を覗こうとすると、エンジェレットは距離を取りながらキッと睨んで、



「不快なものを見て気を悪くしただけですわ。大したことはないですわよ」



 明らかに強がっているのはわかったが、サーザイトはそれで納得することにしておく。

 突っ込めば突っ込むだけ、エンジェレットの気を悪くするだけだ。

 イリスの方を見ると、気色の悪い虫をあらかた斬り捨てたところで、ふうと一息ついているところだった。

 山奥の出ということだったから、虫だとかそういうものには免疫があるのかもしれない。

 くるくると剣を振り回すイリスの顔には笑顔が見える。

 入り口付近の敵は大して強くもないからだろう、イリス一人でもまだまだ余裕があるらしい。



「それじゃ、ここからはちゃんと隊列を組んで進む。

前衛はイリスとエンジェレット。その後ろにユユ、ククルーと続け。俺はしんがりを受け持つ」



 普段ならサーザイトの言うことなど右から左であろうエンジェレットは、言われるまでもなく先頭に立って歩き始めていた。

 そのやや後ろにイリスがぴょんと駆けて行き、その後ろをユユ、ククルーと続く。

 魔法も扱え、格闘戦もお手のものなエンジェレットと、大剣を駆りながらも軽剣士並の敏捷さを併せ持つイリス。

 この二人が協力すれば、敵わない相手などそうそうない。

 それを、ユユ、ククルーの二人が魔法で援護する。

 パーティのバランスとしては、なかなか理想的と言えた。

 卒業後にこの四人が組むわけではないので、だからどうということは無いのだが……



「雑魚ですわね」



 歩みを進める五人の前に、様々な魔物が現れたが、ことごとくエンジェレットが薙ぎ払っていた。

 イリスが剣を振る間すら、ほとんど挟まない。

 まさに電光石火の速さで、目の前の敵を切り裂いていく姿は、とても十五の少女とは思えなかった。

 それを冷静な――気だるそうな目で見つめる、サーザイト。



(個々の能力は、いずれも水準以上だが、やはり現時点ではエンジェレットが群を抜いているか)



 イリスも決して弱いわけではないが、その隣にエンジェレットがいると、どうしても見劣りしてしまう。

 腕力だけなら、文句無くイリスに軍配が上がるが、その他ほとんどの部分でエンジェレットに劣るのだ。



(まぁ……仕方が無い。イリスも潜在的な能力はエンジェレットに負けていないんだ。

言うなれば、エンジェレットは早熟型で、イリスは大器晩成型ということなんだろう)



 二人とも、将来的には大陸にその名を轟かせる冒険者になることだろう。

 それこそ『俊剣』と呼ばれていた頃の自分よりも……そんなことを思いながら、サーザイトは前衛の二人を見つめていた。



「……」



 そんなサーザイトを、無表情に見上げる目が二つ。

 ククルーである。

 涼しげな色をたたえたその目は、彼女の気持ちを押し隠しているように見え、サーザイトは一瞬それに見入って、



「どうかしたか、ククルー?」

「……」



 ふるふると首を振ったかと思うと、ククルーはほんの少しだけ口を開いて――閉じた。

 視線をそらし、そのままユユの背中を追っていってしまう。

 何だったのだろう、と首をかしげるサーザイト。

 もしかしたら、ぼうっとしていた彼を怪訝にでも思ったのかもしれない。

 一応先生なのだから、もっとしっかりしないといけないなと思い、サーザイトは両頬を軽く叩いた。



「案外楽なものですわね」



 先頭を行くエンジェレットが、呆れたように呟く。

 狂った獣のような敵を、既に十体ほど倒しただろうか。

 それら全てを鉄扇で一閃して斬り捨てている彼女にしてみれば、物足りなさすら感じるのは仕方の無いことだ。



「エンジェちゃんが強すぎるんだよ。でも、そのおかげで私達も安心だよ」



 まるで誇るように言うイリスを、エンジェレットは攻撃的な目で見て、



「ここには訓練で来ているんですのよ? こんなぬるい内容が訓練になるわけがないですわ」



 そう言って、たたっと隊列を外れ、前方の暗闇へと駆け出していくエンジェレット。



「待てエン……エヴァーグリーン、どこに行くつもりだ?」

「前衛はイリスがいれば十分ですわ。私は私一人で、私なりの実戦訓練をさせてもらいますの」



 サーザイトの静止も聞かず、エンジェレットは洞穴の奥へと姿を消す。

 困ったように頭をがしゃがしゃと掻くサーザイト。

 能力が高いのは認めるが、あの協調性の無さはどうにかならないものか。

 エンジェレットは慢心しないタイプなので、それが救いと言えば救いではある。

 だが、それでも実戦では何が起こるかわからない。

 そんなとき、頼れる誰かがいるのといないのとでは、雲泥の差なのだが……なぜ彼女は、一人に拘るのだろう。



「クスクスクス……『あれが彼女のいいところでもあり、悪いところでもありますの。私はそう嫌ったものじゃないですの』クスクスクス……」



 そんな勝手なことを、ユユは言っている。

 彼女はエンジェレットの孤高を好意的に受け止めているらしい。



「まあ、エンジェちゃんは強いから、大丈夫だよ。それに私達とエンジェちゃんじゃ、力が違いすぎるんだもん……」



 複雑に思いながらも、それを半ば肯定するイリス。

 エンジェレットが戦列を外れるのは、自分達の力量不足が大きなところを占めていると感じるのだろう。

 特に、自らを未熟と感じているイリスにしてみれば、そう考えるのが自然なのだった。

 ただ一人、ククルーだけは、そのエンジェレットの行動に、何も言わず口を閉ざし続けていた。



「仕方が無いな……前衛はイリスだけになるが、頼めるか?」

「任せて先生! エンジェちゃんほどじゃなくても、頑張って戦うもん!」



 エンジェレットの才能が華やかなので普段はそこまで目立たないが、イリスの格闘センスにも光るものはある。

 ククルーとユユの魔法もあるので、油断さえしなければ、この洞穴では敵わない相手はいないだろう。

 先に行ったエンジェレットが多少気にかかりながら、サーザイトは気を取り直して三人を連れて先に進むことにする。

 日の光もほとんど届かない洞穴の中は、じとじとと湿っていて気持ちが悪い。

 そのため本来なら灯りが必要だが、ユユの周囲を漂う人魂が松明の代わりになっていて、かなり視界は明るかった。

 四人が歩いていると、身体を切り裂かれて絶命している魔物の死骸が点々と転がっていた。

 体液がまだ乾いていないことから、倒されてまだ時間が経っていないことがわかる。

 恐らくエンジェレットに倒されたのだろう。

 そのほとんどが、頭から一直線に両断されている。



「ふあー、エンジェちゃん流石だよねぇ」



 エンジェレットを尊敬しているらしいイリスが感嘆の声を上げる。

 訓練のみならず、実戦でもその実力をいかんなく発揮するエンジェレットの力は、確かに目を見張るものがある。

 さすがは戦闘種族エヴァーの民、その姫君だ。

 だが、その魔物の死骸の中に、明らかに死んでからある程度の時間の経った、干乾びたものがあった。

 身体にはこぶし大ほどの穴が二つ空いている。



(二つの穴、それに干乾びた死骸、か……)



 この洞穴に潜む魔物の仕業であろうことを、サーザイトはわかっていた。

 この洞穴がヴェノム洞穴と呼ばれる由縁となった凶悪な魔物。

 旅に慣れた一人前の冒険者さえ恐れる危険な相手である。

 皆に注意を喚起しておこうかと、サーザイトは口を開いたが、



「あ……見て見て先生、宝箱があるよ!」



 イリスの声に遮られてしまった。

 歩いている道の横穴のようになっている奥に、それを見つけたらしい。

 この世界でその存在が未だ謎に包まれているそれ――宝箱である。

 あらゆる街やダンジョン、遺跡に存在し、誰がどんな目的でそれを置いたのかわかっていない、それが宝箱だ。

 その中身は、貴重な道具が入っていたり、魔物が潜んでいたりと、物によって様々である。



「先生、開けていいですか?」

「ああ、だが罠である可能性もある。だから慎重にな」

「はい、わかってま」



 す、とサーザイトに返事をしながら、イリスは宝箱の蓋をぱかりと開けた。

 ほぼそれと同時だった。

 サーザイトの耳に、カチッ、という不吉な音が聞こえてきたのは。

 何事かと思ったときには、サーザイトはガクンとバランスを崩していた。

 慌てて踏ん張ろうとするが、それは敵わず、力を込めた足に手応えは無い。

 それも当然のことである。

 踏みしめるべき地面が、無くなっていたのだから。



「なっ……!」



 地面がなくなるとは、流石に予想の範疇を越えていた。

 為す術も無く、サーザイトは闇へと落ちていく。

 驚きの混じったイリスの声を耳にしながら、サーザイトは束の間の浮遊感に身を委ねざるを得なかった。