第五話「エンジェレットの憂鬱」



 外があまりに穏やかだったので、いつものようにイリス達四人の講義を終えたザーザイトは、

 クエスターズ校舎の中庭のベンチに腰掛けていた。

 中庭はそこそこに広く設けられており、昼時なので生徒の姿もちらほら見受けられる。

 サーザイトが膝の上に広げているのは、受け持っている四人の生徒の能力その他が詳細に記された資料だ。

 改めて各々の長所と短所を見極め、今後の参考にしようと思って持ってきたのだった。

 資料に一通り目を走らせてから、頭を掻いて溜息をつく。



「……うーむ」



 今の段階で四人が四人とも、既に冒険者としてのレベルはかなり高いとサーザイトには思われるのだ。

 イリスは魔法は使えないが、ある程度の剣術と、節々に見られる未熟さを補えるだけの怪力がある。

 ククルーは交流能力は薄いが博識であり、風属性を中心とした多様な魔法を扱う器用さを持つ。

 更に、体力は皆無に近いが、ユユは魔法の実力でククルーの上をいっている。

 エンジェレットに至っては、弱点らしい弱点はほとんど見られないというのが正直なところだ。



「極端な話、もう卒業させてしまっていいくらいなんだよな、四人とも」



 はああ、ともう一つ溜息がもれる。

 そうは言っても、卒業試験を課すのは、この自分なのだ。

 それぞれに課す試験の内容など、まだ全く考えていない。

 四人とも、それぞれに良いところはある。

 完璧な人間など、この世のどこを探したって、そうそういるはずもない。

 いるはずがないのだ。

 そんな風にサーザイトが自説を練っていると、校舎の方から何やら騒がしい一団が中庭に近づいてくるのが見えた。

 何となくそちらに目をやる。

 意外なことに、その中心にいたのはエンジェレットだった。

 周囲を取り囲むのは、エンジェレットと同じくクエスターズに通う生徒達である。

 ただし、その生徒達はいずれも男であった。

 皆が皆熱のこもった目でエンジェレットを見つめ、何とかエンジェレットの気を引こうと盛んに話し掛け、

 花をかざし、歌を歌い、その姿は滑稽を通り越して微笑ましくすらある。

 そんな中、エンジェレットはひたすら無言で歩みを進めていた。

 明らかに不機嫌であることが傍から見ていてもわかる。

 中庭に入った辺りで、エンジェレットは周囲の生徒達を見もせずに口を開き、



「あなた方、鬱陶しいですわ。二秒以内に私の視界から消えないと、殺しますわよ」



 その言葉に反応して、だっと一斉にその場から離れていく取り巻き達。

 だが、少し遅れてから、そのエンジェレットにあえて近づいていく一人の男がいた。

 髪は金髪、自己主張の激しい紫のマントに真っ白なブレザーを着込んだ、派手な男である。

 ブレザーの襟や袖の縁がきらきらと光を放っているのは、恐らく宝石でも付けているのだろう。

 はっきり言って趣味が良いとは言い難いが、それでもその男には似合っているように思われた。



「ごきげんよう、我が麗しの『永久の緑』! いつにも増して君は美しく華やかで、僕の心を捕えて離さないね!」

「死になさい」



 取り付くしまもなく、エンジェレットは即座に言い捨てる。

 しかし、それを聞いても男は気圧されない。

 十年の間隔があったとはいえ、多くの冒険を潜り抜けてきたサーザイトですら恐怖を感じるエンジェレットの眼光をさらりと流す。

 なんだかわからないが大物だなあの生徒は、とサーザイトは眺めながら思った。

 男は、紫色のマントをたなびかせながら、金色の髪に手をやって、



「君のためになら、僕はいつでも死んでみせるよ」

「……口を開かないでくれませんこと?」

「ああ、君は僕の愛が言葉で語るまでも無く伝わるということを知っているんだね。なんて聡明なんだ」

「……」



 エンジェレットの言葉は、まともに聞き入れてもらえていないらしい。

 男の歌うような声は中庭全体に響き渡り、同じく中庭にいる生徒達が遠巻きに笑っているのがわかる。

 具合が悪そうに頭を軽く抱えたエンジェレットは、ふと中庭の椅子にサーザイトがいることに気づいた。



「先生とこれから大事なお話がありますの。席を外していただけませんこと?」

「そうかい! そういうことなら仕方が無いね。でも忘れないで、僕はいつも君の傍にいるということを」



 エンジェレットの絹のような髪にキスをしようとして――エンジェレットに避けられ、

 クスっとおかしそうに笑った男は、去り際に投げキッスを送ってから校舎に戻っていった。

 最後の最後までキザな男である。

 はっきり言って、嫌いでもないが、あまり得意なタイプではないな。

 そんなことを思いながら、サーザイトは歩いてきたエンジェレットに声をかける。



「随分慕われてるじゃないか」

「……勘弁して欲しいですわ」



 珍しくエンジェレットが、サーザイトの言ったことを素直に認めるようなことを言った。

 たった数分のことだが、余程あの男とのやり取りが精神的に参ったらしい。

 隣に腰掛けてきたエンジェレットに、サーザイトは気になっていたことを聞いてみる。



「さっきのは誰なんだ?」

「グラン・ド・モルガン。アストリア公国の貴族らしいですわ」



 アストリア公国とは、大陸のほぼ中央を領地とする大国である。

 冒険者を優遇しているため、特に商業が盛んな国で、ブレイヴァニスタも、その中に含まれている。

 王族・貴族・平民の各代表からなる評議会が政治を運営しており、

 モルガンというと、任期が三年である評議会の代表を何度も務めたことのある名門中の名門だ。



「よく知ってるんだな」

「あれが私の耳元で何度も何度も言ってきたんですわ。嫌でも頭に入りますわよ」



 それから、エンジェレットは不機嫌に任せてグランに対する怒りをつらつらと語り出した。

 二人の馴れ初めは、半年前に行われたという武術大会らしい。

 その決勝で、二人は互いに刃を交え――あっさりとエンジェレットが勝利した。

 そこまでは良かったのだが、どうやらその時にグランがエンジェレットに心底惚れ込んでしまったらしい。

 エンジェレットが自分と同じくクエスターズに通っているとわかると、連日のようにエンジェレットの前に現れ、

 愛だの何だのと語りにくるのだとか。

 講義以外ではクエスターズにいないサーザイトは知らなかったが、ここではかなり有名な話らしい。

 初めは凄んでみたり、実際に扇子で殺しかけたりもしたらしいが、あまりにグランが懲りもせずに姿を見せるので、

 エンジェレットもどうしていいかわからず、放置しているということだ。



「人に慕われるというのはいいことだぞ。王族なら尚更だ。カリスマというかな、天性の資質だ。誇れるぞ」

「あんなのに慕われても良い気はしませんわ」

「そう言ってやるな。確かに行き過ぎな気はするが、悪い奴じゃなさそうだ。少しは懐を広く持ってみたらどうだ?」

「ルーヴェイン、この私にあなたが説教するなんて身の程知らずじゃなくて?」

「……それはどうかな。俺も、最近は足踏みするのに飽きてきたところなんだ」



 少し強気な言葉に、エンジェレットは言葉を詰まらせた。

 サーザイトの切り替えしが予想に反していたのだろう。

 立ち上がってその場から離れる瞬間見えた横顔は、ひどく冷たかった。



(また機嫌を損ねてしまったかな……)



 どうもエンジェレットとは上手い具合に距離を詰めることが出来ない。

 彼女も年齢相応に子供っぽいというか、頑固なところがあるようだ。

 意志が強いと言えば聞こえはいいが、裏を返せば融通の利かない頭でっかちである。

 信念を持つということは大切なことだ。

 それはいざという場面で、自らの行動を支えてくれるだろう。

 だが、あまりそれに固執し過ぎると、思考の自由は奪われ、臨機応変に状況に順応出来ない危険性も付きまとう。

 実際、自分自身の思考に縛られたため判断を誤り、その結果破滅していった者を、幾人もサーザイトは見てきたのだ。

 サーザイト自身も、若い時分には色々と手前勝手な判断で無茶をしてきた。

 今こうして生きていられるのは、簡単に言えば、運に恵まれたからとしか言い様が無い。

 だが、自らの力量の域を越えたことをやってしまう愚行を、サーザイトは今でも犯している。

 もう三十路もとうに過ぎたというのに、十年も世間から離れていたせいか、今もバカはバカのままだ。

 エンジェレットの言葉に言い返した言葉を、今更無かったことにしたくなってきたサーザイトは、資料を抱えて立ち上がった。











 中庭を出たエンジェレットは、不機嫌を隠そうともせずに歩いていた。

 気高きトーワ王国の姫が明らかにご立腹の様子なので、すれ違う生徒達は皆すくみ上がり、身体を震わせ、道を明けた。

 まるで草原を歩く猛獣のような扱いである。

 そんなことは意にも介していないエンジェレットは、廊下の真ん中を歩きながら、先ほどのサーザイトの言葉を反芻していた。



『……それはどうかな。俺も、最近は足踏みするのに飽きてきたところなんだ』



 思い返すと、胃の辺りがむかむかとしてくる。

 最初の訓練で実力の差を見せ付けてやったのに、どうしてあんな偉そうなことを言えるのか。

 私よりも弱いくせに。

 弱いくせに、弱いくせに、弱いくせに!

 それとも、以前はあえて勝ちを譲ったとでも言うのだろうか。

 仮にそうだとしたら、エンジェレットにとっては許し難い侮辱だ。

 戦闘種族エヴァーの姫である自分が、うだつの上がらないあんな男に、よもや手加減をされるなどと!

 断じて許せるものではない。

 あの男には、いつか必ず己の愚を思い知らさなくてはならない。

 そうと決まれば、あの男について調べておく必要がある。

 万が一にも自分があの男に負けるとは思わないが、より確実な勝利に近づく手間を惜しんではならない。

 それでは、一旦部屋に戻ってから、コミュニティへ行ってデータ請求を――と思って、最後の曲がり角を曲がると、



「マイスウィート! 遅かったじゃないか!」



 部屋の前に、グランが立っていた。

 エンジェレットの姿を見つけるなり、大きく手を広げて歓喜を表現してみせている。

 その状態で走り寄ってきたので――とりあえず力の限りぶん殴っておいた。



「ごめんあそばせ」



 木の葉のように宙を舞ったグランの横をすり抜けて、エンジェレットは部屋へと入り、固く扉を閉ざす。

 廊下には、幸せそうな顔のまま気絶しているグランだけが取り残された。

 彼が助け起こされたのは、寮の消灯時間になり、見回りの職員が来てからだった。

 その職員によると、グランは気絶したままうわごとのように、



「僕の可愛いエンジェ……情熱的な一撃、素敵だよ……」



 なんてことをのたまっていたとかいうことである。