第四話「友情」



「963……964……965……」



 朝日と同時に目を覚ましたサーザイトは、アパートの外で素振りをしていた。

 剣を自分の手足のように振るうには、出来るだけ長い時間剣に触れていることだ。

 その重さや感触に慣れてしまえば、あとは体が自然と扱いを思い出してくれる。



「980……981……982……」



 額には汗が滲んでおり、剣を振るう腕は疲労で微かに震え出していた。

 だが、サーザイトは決して休むことなく素振りを続ける。

 冒険者を続けていたら、これまでに数万回と剣を振るっていたはずである。

 十年も怠惰を貪っていた身だ、鞭を振るわなければ衰えるばかりで、かつての力を取り戻すなど不可能。

 ならば、歯を食い縛って、今更でも努力を重ねていくしかない。

 数えて千に達した頃、ようやくサーザイトは剣を地面に突き刺し、ふうと額の汗を拭った。

 と、横から布が差し出される。

 見ると、管理人のリズが、にっこりと微笑みながら立っていた。

 鍛錬に夢中で全く気が付かなかった。



「どうぞですか。汗をお拭きになるといいですか」

「ありがとうございます。アルベールさん、相変わらず早いですね」

「ルーヴェインさんこそ、最近とってもお早いですか。前みたいに部屋に篭もりきりより、ずっといいと思うですか」



 ちりんちりんとリズの鈴が小さな音を奏でる。

 やはり彼女の笑顔を見ていると、知らずのうちに心穏やかになる。

 その表情に女性を感じるというよりは、まるで陽だまりのような暖かさを感じるのである。

 サーザイトは苦笑して、



「仕事のことがありますからね。塞ぎこんでばかりいられませんよ」

「そういえば、ルーヴェインさんは何の仕事をしていられるんですか?」

「あ、言ってませんでしたね。クエスターズの臨時講師をやってるんです」

「あの有名な冒険者育成の学校ですか。凄いですか! 国家機関じゃないですか!」

「所詮臨時講師ですから、大したことはないですよ」

「そんなことないですか。きっとルーヴェインさんの力を認めてもらえたんですか」



 それは流石に言いすぎだろうとサーザイトは思ったが、それでもリズの言葉は素直に嬉しかった。











 本日は休講である。

 つまりそれはサーザイトの仕事が休みであることを意味する。

 念入りに剣の手入れをしていたサーザイトだったが、それが終わると、あるものが到来してきた。

 退屈である。

 まだ給与を貰う前ということもあって、備蓄に余裕も無い。

 かと言って自宅に篭もって一日を潰すのは論外だ。

 となれば、ひとまずは外に出てみるしかない。

 アパートを出たサーザイトは、暇潰しに商店街を回ってみることにした。

 そういえば、無職時代は食料品以外に見向きもしていなかったことを思い出したのである。

 ここブレイヴァニスタは、冒険者との交流に次ぐ交流によって発展している。

 また大陸のほぼ中央に存在しており、交通の便も良い。

 その商店街に多くの品が集まり、人が集まるのは必然といえた。

 やはりその日も、商店街は多くの商人と冒険者で賑わっており、幅十メートル以上もある商店街の大通りは、

 歩くのが難儀に思える程度には混雑していて、かつては自分もこの活気の一旦を担っていたのだ、とサーザイトは感慨深くなる。

 武器屋を覗いてみると、十年前とは多少取り揃えに変化があることに気付いた。

 硬くて軽いことが至上であった十年前と違い、今は刀身に魔法の力を込めた石が埋め込まれているものや、

 一見しただけでは装飾品にしか見えないものなど、様々な種類の武具が揃っている。

 自分が足踏みを続けているうちに、時代はたゆむことなく進んでいたのだ。

 しばらく店頭に並べてある品を手に取って見ていたサーザイトは、再び人の波へと戻る。

 と、雑貨屋の近くまできたとき、サーザイトは人波の中に見知った顔を見つけた。

 青いショートカットに、黒いフレームの大きな眼鏡のその人は、ククルーだ。

 店の先に突っ立ったまま、ぼうっと視線を漂わせている。

 こんな人込みの中にいるなんて、少々意外である。



「ククルー」

「……」



 声をかけると、ククルーは顔だけをサーザイトの方に向け、ぺこりと会釈した。

 その表情からは、相変わらずほとんど意志が読み取れない。



「一人で買い物か?」

「……」



 ふるふると首を降る。

 何も言わずククルーが店の中を指で示すと、ちょうどそっちの方から、ツインテールが出てきた。

 イリスである。



「お待たせクーちゃん。ごめんね、欲しいものが沢山あって……」



 視界が隠れてしまうくらい大量の荷物を持っているため、サーザイトには気付いていないらしい。

 どうやらイリスは、かなりの散財家のようであった。

 持っている品物は、ほとんどが薬草や保存食の類だったが、その中に砂糖を溶かして固め直した菓子などもある

 イリスは確かに並大抵の力自慢よりも腕力は強い。

 だが積み上げられた荷物はバランスが悪く、イリスはふらふらと危なっかしい足取りである。

 サーザイトは何も言わず、その荷物の上半分を引き継いでやった。

 辛うじて首一個分が出たイリスは、サーザイトの姿を見て目を丸くする。



「いくら何でも買いすぎだ。取り捨てるのも大切だぞ」

「あうう、先生、ごめんなさい」

「まあ、別にいいけどな……ククルーと買い物に来てるのか」

「うん。よくクーちゃんとは一緒に外に出てるんだよ」



 ね? と話を振るイリスに、ククルーも目だけで頷いたようだった。

 イリスには、他人の警戒心を緩ませる力というか、誰とでも仲良くなってしまう才能のようなものがあるらしい。

 どうも他人との間に壁を作ってしまいがちなククルーも、イリスにはいくらか心を開いているように見えた。

 仲睦まじくしている二人の様子を、サーザイトはじっと眺める。

 多少抜けているところもあるが、明るく外交的なイリス。

 とても無口でとっつきにくいが、優しく内向的なククルー。

 二人は対照的な性格のため、お互いに惹かれ合うものがあるのかもしれない。

 買い物をし終わってご機嫌らしいイリスが、ククルーを促して通りを歩いていく。

 その後ろをサーザイトも追った。

 イリスの荷物が意外にも重く、訓練をしたばかりの身には少々響く。

 この倍の量を、イリスは平気な顔で抱えていたのである。

 改めてサーザイトは、イリスの力の非人間的なものを感じ、苦笑した。



「あ! 見てみて先生、腕相撲やってるよ腕相撲!」



 ぴょんぴょんとイリスが楽しそうに飛び跳ねる。

 それに合わせて、ツインテールが元気に揺れた。

 視線の先には、二つの椅子に座った男二人が、机を挟んで向かい合っている。

 どうやらちょうど一勝負済んだところらしく、片方の男が顔を歪め、腕を抑えながら席を立った。

 勝負の仲介を務めているらしい男が、周囲を見回しながら声を上げる。



「さあ、次の挑戦者はどなたですか? 参加料金は百イール!

腕相撲に勝った方には商品として、貴重な魔法アイテムである風の魔法石を差し上げます!」



 そう言った男の手に、青緑色に光る宝石のペンダントが揺れていた。

 鉱石に属性が宿るのは、一般にも広く知られている。

 だが、鉱石は人の手の入らない洞窟の奥深くにあることが多く、採掘量は非常に少ない。

 武具に埋め込んだり、魔法の媒介にしたりと、その使用用途は多岐に渡る。



「……先生、ごめん。ちょっと荷物お願いするね」



 と、イリスはサーザイトに持っていた荷物を全て任せてしまった。



「お、おいイリス……」

「すみませーん、挑戦させてくださいっ」



 サーザイトの声も聞かず、イリスは中央へ歩いていって名乗り出る。

 周囲からどよめきと歓声が半分ずつ聞こえた。

 相手の男は、身の丈はイリスの倍近くもある。

 傍目には、勝負すること自体が間違っているとしか思えないだろう。



「おいおい、こんな小さなお嬢ちゃんが挑戦者かい?」

「加減してやれよ!」

「へっ、わかってらあ」



 イリスと男が手を組む。

 サーザイトは、もし両手が空いていたら、頭を抱えていただろう。

 イリスのことだ、勝負となれば、相手の力量も考えず、全力を尽くすに違いない。

 興味本意で勝負を見物する野次馬は、どんどん増えてきていた。

 喧騒の中、勝負はついに始まり、



「んっ!」



 そして一瞬で終わった。

 勝負開始と共に、メキィ! と鈍い破壊音。

 あまりの速さに、誰もがすぐには状況を理解できていなかった。

 イリスと勝負した男ですら、自分の腕が関節とは逆方向に曲がっていることにしばらく気付かなかったほどだ。

 男がぎゃあと悲鳴を上げると同時に、野次馬達が驚きの声を上げる。

 凄ぇぞ嬢ちゃん、大したもんだ、強えええ、と賞賛の声をシャワーのように浴びせられ、イリスは顔を赤らめる。

 ペンダントを持っていた方の男がやれやれと肩をすくめて、



「君みたいな強いのは反則だよ。おめでとう、約束の商品だ。ただし、君とはもう二度と勝負はしないからな」



 イリスにペンダントを手渡すと、男二人は大通りに姿を消した。

 手に取ったペンダントを覗き込み、イリスは嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 そのままどこかへ飛んでいってしまいそうな勢いである。

 サーザイト達の元へ戻ってきたイリスは、持っているペンダントを、当たり前のようにククルーに差し出した。

 ぱちぱちと瞬きするククルーに、イリスはにっこりと笑顔になって、



「クーちゃんにあげる。私は魔法使えないし、風属性だからクーちゃんにぴったりだもん」

「……」



 申し訳なさそうに目を伏せて、イリスの手を押し戻そうとするククルーだが、イリスは引かない。



「私がクーちゃんにプレゼントしたいの。友達からの気軽な贈り物だと思って、受け取ってくれないかな?」

「……」



 しばらくイリスとペンダントを交互に見つめていたククルー。

 だがイリスの飾らない熱意が功を制したのか、ククルーはおずおずと頷き、躊躇いながらもペンダントを受け取った。

 サーザイトの耳にも、微かにだがククルーの礼の言葉が聞こえた。

 大きな目をより大きく開いて、奥深い光を放つ宝石をじっと見つめる。

 ぎゅっと握りしめてから、ククルーはペンダントを大事に懐にしまいこんだ。

 イリスの顔にもより一層の笑顔が浮かぶ。

 それを見ていたサーザイトの心もいくらか和んだが、



「イリス……そろそろ荷物を持ってほしいんだが」

「え? あっ、ごめんなさいっ!」



 ひょいとサーザイトから軽々と荷物を引き継ぎ、イリスは元気良く言った。



「それじゃ、張り切って運んじゃおうっ。先生、悪いんだけど部屋までお願いしていいですか?」

「ああ……もちろんだ」



 本当はちょっとだけ重かったが、少し強がってみた。

 何となく、ずっと年下で、しかも生徒であるイリスやククルーの前で無闇に弱いところを見せたくないと思ったのだ。

 まだまだ俺も子供だな、とサーザイトは思いながら、荷物をしっかりと抱え直した。



(まあ、たまにはこんなのもいいか……)