第三話「孤高の姫君」
サーザイトがクエスターズに勤め始めて、早一週間が過ぎた。
多少の不安も初めはあったが、それなりに生徒とも上手くやっていけている。
ただ、エンジェレットとの不仲だけは続いていた。
不仲というより、まともに取り合ってもらえないというのが正確なところなのだ。
どうやら、彼女は自分がその実力を認めた人物の意見以外は軽視する傾向にあるらしい。
現に、ローレンシアに言付けをもらった時は、素直に聞くことが圧倒的多数である。
「困ったものだな……」
ブレイヴァニスタの東に位置する草原にて、サーザイトは頭を抱えていた。
草原まで出てきたのは、そろそろ実戦で生徒達の実力を見てみようと思ったからである。
近々東からキャラバンが来るらしく、ブレイヴァニスタでは多くの冒険者を起用して、大規模な魔物掃討が行っていた。
その一旦を担うべく彼は生徒四名を連れて東の大草原に来ていたのだが……
彼の認識が、甘かった。
目の前で繰り広げられているのは、戦いというよりは、狩りというに相応しい。
くるくると大剣を振り回すイリス、その隣に涼しい顔をしたエンジェレットが扇子を振りかざす。
大地は響き、大気すら震えている。
草原にいる魔物がさほど強くはないとはいえ、あまりに一方的だった。
簡単に言えば、彼女達は、サーザイトの把握していたよりは、ずっと強かった。
魔法使いであるククルーやユユは、助力の必要無しと見ているのか、サーザイトの両脇でひたすら待機している。
ククルーは魔法の本を読みふけっているし、ユユは気味悪く笑いながらブツブツと独り言を呟き、時たま吐血していた。
(彼女達は確かに優秀だ。全体から見れば、全員が既に一人でやっていける実力を持っている)
サーザイトはそう思った。
特にエンジェレットは、今の鈍った状態のサーザイトより、単純な戦闘能力は上であることは認めざるを得ない。
以前一度剣を交えた時よりは、サーザイトの身体も動くようにはなってきたが、
日々鍛錬を怠らないエンジェレットとの実力差はそう簡単に埋まりはしない。
他人との協調……もとい馴れ合いを嫌い、年頃の乙女だというのに、自己を高めることに日々を費やす彼女。
サーザイトは、それが悪いことだなどとは微塵も思っていない。
戦闘種族エヴァーにとって、強いということはそれだけで何者にも変え難いほど価値あるものなのである。
その姫であるエンジェレットが、常に強さを追い求めて鍛錬に明け暮れるのは、当然のことと言えた。
「この辺りの敵は一掃したようですわね。ルーヴェイン、そろそろ帰りませんこと?」
エンジェレットの言葉にサーザイトは頷く。
両脇にいたククルーとユユも腰を上げ、剣をかかげて勝利の声を上げているイリスの方へ歩いていく。
その後ろをエンジェレットは冷めた目で見つめていた。
「エンジェレット。お前も行かないのか?」
「気安く名前を呼ぶなと以前も言ったはずですわ」
「……これは失敬した、姫」
その呼び方も気持ちのいいものではありませんわ、とエンジェレットは不機嫌そうに言った。
以前戦ったときに、一応言葉を交わしてもらえる程度には力を認めてもらえたらしかったが、
名前を呼ぶのはまだ許してもらえないらしい。
「でも、確かに私はトーワ王国の姫ですわ。今は同じ立場のイリス達も、クエスターズを出れば立場が違う。
向こうは一般人、私は王族。立場の差は歴然としていますわ」
「だが、友人だろう」
「違いますわ。私とイリス達は、たまたま同じクラスになっただけの他人。クエスターズを出れば、もう会うことも無い」
「そんなことは……」
「――うるさいですわね」
エンジェレットは振り返ると、右腕を振って、袖口から扇子を取り出した。
飛び出した扇子の先が、サーザイトの喉元を的確に狙う。
が、その切っ先が喉笛に到達するより一瞬早く、サーザイトの剣がそれを受けた。
金属音が草原に冷たく響き渡る。
エンジェレットは静かに扇子を引き、
「以前よりは腕を上げたようですわね。でも、まだまだですわ。その程度の腕で私に意見しないでくださいませ」
それだけ言うと、エンジェレットはイリス達が歩いていった方へ行ってしまった。
剣を鞘に収めて、サーザイトは気だるそうに溜息をつく。
「やれやれ、友好関係にはまだ程遠いな……」
やはり、エンジェレットとちゃんと話すのなら、まず彼女に力を認めさせなければならないようだ。
それがわかっただけでも進歩があったと思うべきか。
方法がわかっても、実行するのはそう容易いことではないが。
それにしても、エンジェレットの強さに対する執着は、かなりのものだ。
それが単純に、彼女が戦闘種族エヴァーだからなのか、それとも何か目的があるのかは、サーザイトにはわからない。
とりあえず強くならないとだめだな、とサーザイトは呟いて、先に行ってしまった四人を追って、クエスターズへと戻る。
冒険に必要なのは、何も戦闘技術や知識だけではない。
人の踏み入らない洞窟や森で、数日を過ごすこともあるだろう。
そんな時問題になるのは、何より食料である。
冒険者たるもの、サバイバル能力に長けていなければ、長旅は辛い。
そういうわけで、クエスターズに戻ったサーザイトは四人を校庭に集めた。
「これから野外の調理活動を行う。ありあわせのもので料理が出来るということは思いの外重要だ。
この校庭の周りには豊富な野草が生えている。とりあえず、一時間で材料集めを終わらせてくれ。それじゃ、始め」
全員が一斉に思い思いの場所へ散っていく。
それを見送ってから、サーザイトはその場に座り、まだ冒険者だった頃の記憶を思い返していた。
食料関係で最も辛かったのは、巨大アリの巣穴にアリ退治をしにいった時だろうか。
迷路のような巣を何日も歩き回った。
巨大アリは、生き物なら何でも餌にしていたが、中でも大好物は人間だった。
巣穴の中には大量の人骨とアリ達の食べ残しが所構わず散らばっていた。
当時、既に何度か死線を潜っていたサーザイトも、この時ばかりは胃の中のものを戻しそうになった。
強烈な吐き気と嫌悪感を腐臭に耐えながら、巣穴の最奥に鎮座していた女王を仕留めたまでは良かったが、
既に持ち込んでいた食料は尽きており、危うく餓死しそうなところを、
サーザイトと同じ依頼を受けて巣穴に入ってきた他の冒険者に助けられたのである。
あの時ほど食事のありがたみを感じたことは、サーザイトには無かった。
「先生、終わりました!」
一時間が経ち、いち早くイリスが戻ってきた。
大量の木の実や薬草を抱えている。
サーザイトはすっかり感心したように、
「こいつは凄いな」
「えへへ、私、山育ちなの。小さい頃から親によく収穫とか手伝わされてたんだよ」
だからこういうことは得意なんだ、とぺたんこな胸を自慢げに反らすイリス。
多少背伸びをしたい年頃なのかな、とサーザイトは思った。
だが、頭をくしゃくしゃと撫でてやると嬉しそうに「にへへー」と笑っていたので、やっぱりまだ子供かな、とも思った。
「……」
その後ろで、いつの間にか戻ってきていたククルーがじっと二人を見つめていた。
手には、イリスほどではないが、様々な種類の野草が抱えられている。
無表情にイリスの抱えているものと、自分のそれとを見比べたかと思うと、ククルーはとたとたとサーザイトの前まで歩いてきて、
「……」
すっと頭を差し出した。
それがあまりに唐突だったので、きょとんとするサーザイト。
しばらく経ってもサーザイトが何もしてこないので、ククルーは不思議そうに顔を上げた。
首をかしげてから、また頭を差し出してくる。
もしかして頭を撫でてほしいのだろうかと思い当たり、サーザイトは半信半疑のままククルーの頭を優しくなでなでとした。
雪のように白い肌に、ほんの僅かだけ朱が差したように見えたのは、目の錯覚だったろうか。
すぐにククルーは身を引いてしまったため、よくわからなかった。
「クスクスクス……『沢山取れましたの』クスクスクス……」
ふわりふわりと宙を舞ってくる野草と火の玉の中を、ゆっくりユユが歩いてくる。
野草が燃えてしまうんじゃないかとサーザイトは思ったが、あえてつっこまないことにした。
程無くして、エンジェレットも、籠いっぱいに果実を詰めて帰ってくる。
通常の授業は既に修了しているだけあって、材料集めは滞りなかった。
だが、問題なのはある意味この後の調理である。
「よし、それじゃ各自集めた材料を調理にかかってくれ。調理法は自由。そのまま食べられるものはそのままでもいいぞ」
「はーい」
「……」
「クス……『了解ですの』」
それぞれ思い思いの調理を始める。
ここでも、イリスがその才能をいかんなく発揮していた。
時折握る力が強すぎて、木の実を殻ごと握り潰したりしていたが。
ククルーは、野草の図鑑に目を通しながら、それに従って下ごしらえを始めていた。
これといって面白味のない無難な方法だが、サーザイトとしては安心して見ていられる。
一方独創的なのは、ユユだった。
壷の中に紫色のスープ(のような何か)が沸騰しているのを見て、サーザイトは食欲がなくなるのを感じていたが、
少しだけそれを掬い取って味見をしているユユの口元には笑顔(と少量の吐血)があったので、食べられるのだろう……多分。
その横で、エンジェレットは扇子で果実の皮を器用にむいていた。
皮は捨てずに横に避けており、実の部分は軽くひき潰して、ペースト状に。
それが終わったら避けておいた皮に香辛料代わりの薬草をまぶして、軽く炙る。
炙った皮にペースト状にした実を塗って、出来上がりだ。
出来上がった料理を前にふうと息をつくエンジェレットに、サーザイトは声をかける。
「なんとなく料理は出来ないんじゃないかと思ってたが、手際がいいな」
「見くびらないでくださいませんこと? 料理くらい出来ますわ」
当然のように口にするが、料理出来る姫君などそうそういない。
そもそも料理をさせてもらえないし、する必要がない立場にいるからだ。
恐らくエンジェレットも初めはそうだったのだろうが、自分で自分の食事の世話も出来ないというのは、
エンジェレットのプライドが許さなかったのだろう。
何でも一人で、というのがエンジェレットの行動指針になっているようにサーザイトには思えた。
「何でも出来るんだな」
「何でも出来るようにしようと心がけているだけですわ」
「それじゃ、同じクラスの仲間と一緒に食事をするのも、簡単だな?」
無言のまま、エンジェレットはサーザイトを睨みつける。
思わず気圧されそうになりながら、サーザイトは平静を装った。
殺気で人が殺せるのなら、間違い無くこの瞬間サーザイトは絶命していただろう。
「……気分が優れません。自室で休むことにしますわ」
扇子が飛んでくるかと思い気を張っていたサーザイトは、エンジェレットが意外にも引き下がったので、おやと思った。
なぜエンジェレットは、友人だの仲間だの一緒だのという言葉に露骨に嫌悪感を示すのだろう。
確かに彼女は王族で、自分や他の生徒達は、一般人である。
クエスターズを卒業したら、直接的な接点はほぼ無くなると思っていいだろう。
だが、それを今の時点であそこまで意識するものだろうか。
彼女は、意識的に、イリス達と距離を取ろうとしている。
「俺には強がってるようにしか見えないんだがなあ、エンジェレット」
机の上に四つ……人数分置かれたままのエンジェレットの料理を見ていると、余計にそう思われるのだった。