第二話「諸々の問題」



 サーザイトは、記念すべき講師生活一日目が終わってから、校舎で待ち構えていたローレンシアが言った一言を一生忘れない。

 妙ににやついた顔で、そこに微かな驚きも混じった風に、



『エンジェレットの洗礼に合格するとは驚きじゃの。せいぜい死なん程度に頑張ってくれ。あっはっは』



 あれは明らかに人の不幸を楽しんでいる顔だった。

 あれは明らかに人の不幸を楽しんでいる顔だった!

 冗談じゃない、死んでたまるか。

 講師が受け持っている生徒に殺されるなんて、縁起でもない。

 しかし、このままではエンジェレットに首をはねられるのも遠い日の現実ではなかった。

 そのため、サーザイトはエンジェレットと刃を交わした次の日から、毎朝都の回りを走っていた。

 十年の間に錆びついた身体に、少しでもかつての力を取り戻す。

 元々は、音に聞こえる敏腕の冒険者だったのだ。

 十年前の自分に追いつくまでに時間はかかるだろうが、やらないよりは遥かにましである。

 ある程度汗をかいて、アパートに戻ってくると、既にリズが箒を持って出てきていた。

 サーザイトに気付くと、屈託の無い笑みで迎えてくれる。



「おはようございます。ルーヴェインさん、お早いですか?」

「仕事が見つかったんです。それで、なまった身体を起こさないといけなくなりましてね」



 ははあー、とリズは感心したように息を漏らし、



「ルーヴェインさん、少しだけ明るくなったですか。良かったですか」

「心配かけてたみたいで、すみません。家賃の心配もさせないようにしますよ」

「気にしなくていいですか。頑張ってくださいですか!」



 にっこりと笑うリズに、サーザイトも微かに笑顔を返す。

 分け隔ての無い優しさに触れていると、心が軽くなる気がする。

 彼女に軽く手を振り、自分の部屋に戻ったサーザイトは、簡素ではあるが朝食を食べることにする。

 今までとは違い、これからはしっかり栄養も取っておかないといけない。

 食事事情は強靭な肉体を作っていくには欠かせない部分であるし、ふらついた身体であの生徒達の相手は出来るはずも無いからだ。

 そうして、一人の臨時講師の一日は始まっていく。











 四人の生徒のうち、サーザイトがすぐに打ち解けることが出来たのは、やはりイリス・アースグランドだった。

 魔法の才能は無きに等しかったが、彼女は、その細腕に似つかわしくない怪力の持ち主だった。

 身のこなしも素早く、剣士としての力は素晴らしい。

 何より外交的な性格は、冒険者としては非常に望ましかった。

 そんな彼女が、卒業試験を受けられない理由は……すぐにわかった。

 ある日、サーザイトは校庭の片隅で、イリスに個人的に指導をしていた。

 校舎の壁に軽くもたれつつ、サーザイトは真剣な面持ちで言う。



「いいか、イリス。お前の獲物はそのペンダントだが、それが手元に無い場合も想定して、他の獲物も使えるようになっておく必要がある」

「はい!」

「とりあえず最初は、長剣を扱ってみよう。先生の剣を貸してやるから、言った通りにやってみるんだ」



 剣を引き抜いて、イリスにぽんと手渡す。

 それを両手に持ち、構えるイリス。



「1)まずは、決して手放さないように強く握る」

「はい」

「2)相手をきちんと見据えるように、視線は正面」

「はい」

「3)肩には出来るだけ力が入らないようにして、背筋は伸ばす」

「はい」

「4)そうしたら、出来るだけ早く振り切る!」

「ふっ!」



 自慢の怪力でもって、イリスは大きく目の前の空間を一刀両断……出来ていなかった。

 ぱらり……。

 サーザイトの耳元の髪が、微かに切れ、落ちる。

 彼の顔のすぐ横に、イリスが握っていたはずの剣が突き刺さっていた。

 青白い顔になったまま、サーザイトはなんとか唇を動かし、



「……だから、手放さないように強く握れと言ったろう、イリス……」

「あ、あれ? あわわわっ! ご、ごめんなさーいっ!」



 イリス・アースグランド。

 彼女は、一度に三つ以上のことを言われると、言われた順に頭から抜け落ちていってしまう程度の記憶力の持ち主だった。

 そのため、これまで卒業試験を受けさせてもらえる機会に恵まれなかったのだろう。

 単純な格闘戦だけなら、既にかなり高い能力を持っているだけに、非常に惜しい。

 だが確かに、現在の段階でこの少女を一人前の冒険者として認めるのは抵抗がある。

 どうしたものか、とサーザイトも頭を悩ませるのだった。











 不本意ながらイリスに殺されかけたサーザイトは、ひとまずイリスには自己鍛錬に励むようにと言っておいた。

 その間に、他の生徒の姿を求めて校舎中を歩き回る。

 既に必須である基礎の授業を全て修了している彼女達に、今更定期的な授業をする必要は無い。

 そのため卒業するまでは、講師であるサーザイトが招集でもかけない限りは、基本的に自己鍛錬をしているのである。

 そこでサーザイトは、まずクエスターズの校舎隣にある寮を訪れていた。

 クエスターズには生徒と教師共用の寮がある。

 多くの生徒や教師がその寮で寝食を共にしていた。

 サーザイトが受け持っている生徒四人も、全員この寮の住人である。

 彼女達の講師であるサーザイトには、彼女達の部屋の番号も知らされている。

 イリスは校庭で鍛錬中、エンジェレットはどうやら外出中のようだった。

 まあ、雑談などという用件でエンジェレットが取り合ってくれるとも思い難い。

 サーザイトは次にククルーの部屋を訪れていた。

 軽くノックをすると、しばらくして中からとたとたと足音が聞こえる。

 微かに扉が開き、そこから少しだけ覗き込んだククルーは、外に立っているのがサーザイトとわかると、

 僅かに逡巡する素振りを見せてから、ほんの少しだけ扉を大きく開いた。

 どうやら入ってもいいということらしい。



「お邪魔する」



 年頃の女の子の部屋に上がり込むのは不躾かとも思ったが、躊躇していても仕方が無い。

 何にしても、いずれは彼女ともちゃんと話さなければならない時が必ず来る。

 彼女が卒業試験を受けさせてもらえないのは、この交流能力の乏しさが問題とされているからなのだ。

 部屋の中はよく片付いていた。

 日当たりもよく、白いレースのカーテン越しに入ってくる光が部屋を明るく照らしている。

 ククルーは窓辺の椅子に腰掛けながら、読書を嗜んでいるところだったらしい。

 古めかしい装丁の本が、読みかけのまま丸テーブルに伏せられていた。



「……」



 何も言わず、ククルーはサーザイトの前にカップを差し出す。

 ふわりと落ち着いた香りが鼻腔をくすぐった。

 ハーブか何かの類だろうか。



「ありがとう」



 素直に受け取って、香りをしばらく楽しんでから、軽く口をつける。

 多少渋味があるが、それが逆に味わい深い。

 カップに口をつけながら、そっとククルーを見ると、彼女は読書を再開していた。

 分厚い眼鏡の奥で、大きな目がくりくりと動いている。



「何を読んでいるんだ?」

「……」



 一瞬視線を上げて、ククルーは読んでいる本の背を立たせてみせる。



「『風の章』か。最初の訓練でも、風の魔法を多用していたな。ククルーは風属性が得意なのか」



 ククルーは、無言で頷く。

 あらゆる生き物は、火や水、風、土といったエレメンタル……元素によって成り立っている。

 その割り振りは、生まれた土地や両親の属性などによって決まると言われているが、まだ解明され切っていない。

 自らを構成するエレメンタルと同じ属性の魔法は容易に習得することが出来るが、その逆は非常に難しいとされる。

 特に四大エレメンタルである火、水、風、土。

 この四つは、ある程度生まれつき偏りがあり、これらが平等に割り振られているのは非常に稀だと言われている。

 イリスのように、初めから魔力をほとんど持たない人間は、普段意識することは滅多に無いだろうが、

 ククルーのような格闘に向かない魔法使いタイプは、常に相手との属性を考えて戦略を練る必要があるのだ。

 風属性というと、火属性に次いで攻撃系魔法が多いことで有名である。

 だがククルーは、あえて補助系の魔法を多く習得しているらしかった。

 別に、一人で冒険しなければならないという法は無いので、それ自体に特に問題があるわけではない。

 問題なのは、パートナーとなる相手がいないということである。

 クエスターズを卒業した者となれば、パートナーを求めれば、吐いて捨てるほどの立候補者が集まることだろう。

 しかし、他人と交流することを不得手とするククルーに、見ず知らずの人間と冒険し、親交を深めていくことが出来るだろうか。

 とてもではないが、それは限り無く不可能であるかのように思われる。

 基本的にはよく気の付く優しい子なのだが……



「……」



 カップが、空になってしまった。

 サーザイトは、必然的に手持ち無沙汰になってしまう。

 それに気付いたククルーがカップを手に取って立ち上がろうとするが、サーザイトはそれを制して、



「お代わりはいい。それより、せっかくだからククルーとちゃんと話がしたいんだが、いいか?」

「……」



 ククルーは、ほんの僅かだけ目を伏せたように見えた。

 それがやけに哀しそうに見えたが、次の瞬間にはククルーはポーカーフェイスに戻り、

 よく見ていないと見逃してしまいそうなほど小さく首肯した。



「ククルー。あまり根掘り葉掘り聞くのは良くないとは思うんだが、どうして他人を避けるのか教えてくれないか」

「……」



 それは違う、とでも言いたげにククルーはふるふると首を横に振る。

 だがその唇は微かにわななくだけで、言葉を紡ぐことは無かった。

 何か言い出しにくいことなのか、それとも――言えないのか。

 まだ付き合いも浅いサーザイトに、その辺りの判断を下すのは不可能だった。

 くしゃりとククルーの青い髪に手をおくと、小さく動かす。

 突然触れられたことに虚を突かれたのか、ククルーはピクンと身体を震わせたが、そのまま黙ってじっとしていた。

 ククルーが自分から話してくれるまでは、出来るだけこの話題は避けた方がいいのかもしれないとサーザイトは思う。

 それに、何かきっかけがあれば、案外すぐ解決に向かうことかもしれないという淡い期待もあった。



「ん、悪かった。踏み入ったことを聞いたな」

「……」



 ふるふると首を振る。

 優しい子だ、とサーザイトは思った。

 だからこそ、ますます口を閉ざしている理由がわからない。

 単に引っ込み思案な喋り下手というだけなのか、それとも他に何か理由があるのか。



(まあ、焦ることも無いか。ククルーとは、時間をかけてゆっくり打ち解けていけばいい)



 それよりも、ある意味もっと問題なのは……











「クスクスクス……『まあ、いらっしゃいませルーヴェイン先生。歓迎しますわ』クスクスクス……」



 どこからともかく飛んでくるカップとティーポット。

 ポットから茶が注がれてから、サーザイトの目の前まで漂ってきたカップはその場で静止した。

 壁一面は漆黒で染まっており、カーテンも黒、窓は完全に閉め切られている。

 床には溶けかかったまま放置されているロウソク、それに魔法文字や魔方陣が刻まれていた。

 予想はしていたが、ユユ・フレイリーの部屋は、黒ずくめの一室だった。



「クスクスクス……『それで、本日はどのようなご用件ですの?』クスクスクス……」



 禍々しい空気に取り巻かれたユユは、日の下で見るよりも幾分快活なように見える。

 相変わらず、フードの下に見えるのは青白い半病人のような顔なのだが。



「少しでも親交を深めるために、話がしたいと思っただけだ」

「クスクスクス……『それはいいですの。私も先生とはおはなしがしたいと思ってましたの』クスクスクス……」

「そうか。この部屋の見立ては、ユユか」

「『もちろんですわ。この方が雰囲気が出ますし、私も落ち着きますもの』」

「お前は、随分闇属性に傾倒してるんだな」

「『ええ。幼い頃から悪魔や死神とは仲が良いんですのよ。おかげで体力は全然ありませんし、』……ゴブァッ」



 大量の血を吐き出すユユ。

 思わずぎょっとして目を見張らせるサーザイトだが、ユユは落ち着き払った様子で薄く笑い、



「クス……『病弱になってしまいましたの。でも代わりに、魔力はそれなりに強い方だと思っておりますのよ』」



 というより、サーザイトが今まで出会ってきた中では、ユユは魔法の才能はトップレベルだった。

 その理由は、ユユが闇属性に傾倒しているからである。

 元素には、四大エレメンタルである火、水、風、土とは別に、光属性と闇属性という大きな区分が存在する。

 一般に、光属性は人間、闇属性は魔物に多く含まれているという。

 だが、例外的に闇を多くはらんで生まれてくる人間もいるのだ。

 そういう人間は、魔の力を通常の人間より強く持っているが、その代わりに肉体的には脆いことが多い。

 生きているものが生まれ持っている光の属性と、孕んでいる闇の属性とが反発し合う弊害である。

 その顕著な例が、このユユだ。



「ユユ、あまり闇に傾倒し過ぎるな。その力は確かに強大だが、死期を早めるぞ」

「クスクスクス……『わかってますの。でも、先生? 私、この子達と今まで仲良くやってきましたの。

生まれてから、そしてきっと死ぬまで……。それに、忌み嫌われたこの力で、何が出来るか知りたいんですの』」

「何が出来るか?」

「『ですの。敵を打ち倒す剣が、誰かを守ることも出来るように』」



 カタカタと髑髏が笑う。

 薄ら笑いの裏側で、それなりにこの少女も考えているらしかった。

 ふむ、とサーザイトは組んでいた腕を組み直す。



「意外と考えてるんだな。少し見直した」

「クスクスクス……『あまり見くびられるのは好きじゃないですの』クスクスクス……」

「そうは言うがな、お前はあまり自分から喋ってくれないだろう。まぁククルーもそうなんだが……」

「『クーは……まだ、仕方ありませんの。あの子の心には、闇がまだ住み着いているんですもの』」

「闇?」

「クス……『いえ、何でもありませんの』」



 フードの下の顔に一瞬変化があったような気がしたが、それは陽炎のような揺らめきの中にすぐ消えてしまった。

 どうもこの少女は掴み所が無く、サーザイトも会話の主導権を握られっぱなしである。



「それで、お前は何で自分からは喋ってくれないんだ? 腹話術が趣味なのか?」

「『腹話術? この子は私の思っていることを代弁してくれているだけですの』」



 クスクスクス、とまたユユは可笑しそうに笑う。



「『先生、知りませんの? 言葉には力があるんですの。言葉というのはつまり呪文ですの。

私くらい魔が強い者になると、あまり軽率に言葉を発するのは危険なんですのよ。そう、例えば先生』」



 フードの下の目が、きらりと怪しい光を放ち、



「ルーヴェイン先生、ご退席願いますの」



 ユユがそう言ったと同時に、サーザイトは物凄い力で体が引っ張られるのを感じた。

 いや、体が引っ張られたというよりは、空間ごと強制移動させられたという感覚に近い。

 ユユの部屋の入り口から吹き飛ばされ、サーザイトは寮の廊下を一転二転した。

 驚きのあまり、目が点になる。

 ぽかんと間抜けに口を開けるサーザイトの耳に、ユユの可笑しそうな声が聞こえてきた。



「クスクスクス……『それでは次に話す機会を楽しみにしていますの、ルーヴェイン先生』クスクスクス……」



 バタン、とひとりでにユユの部屋の戸は硬く閉ざされる。

 立ち上がったサーザイトは、頭を掻きながら、



「色々と難しい年頃なのかな……」



 問題は、まだまだ色々と山積みのような気がした。