第一話「洗礼」



 ローレンシアと話し、本当に大丈夫なのだろうかとサーザイトが不安に思うほどの早さで採用が決まって、三日。

 再びクエスターズを訪れたサーザイトは、入り口で職員らしき女性に呼び止められた。

 そこで小さな何かを手渡され、見てみると、それはクエスターズの紋章である四つ葉のクローバーを象ったバッジだった。

 クエスターズの職員であることを示すためのものである。

 女性は、ローレンシアからサーザイトにそれを渡すように言付かっていたのだという。

 そのバッジを襟元に付けた。

 これで、サーザイトもれっきとしたクエスターズの講師となったわけである。

 長い廊下を歩いていき、同じような教室が並ぶ中、ようやくサーザイトは自分が受け持つ生徒の待つ教室へと辿り着いた。

 短い付き合いとはいえ、生徒達とはなるたけ仲良くやっていきたいもんだ。

 そんなことを思いながら、サーザイトは教室への扉を開いた。

 そのまま教卓まで歩いていき、大きな黒板にでかでかと自分の名前を書いて教室を見渡す。



「今日からしばらく、皆の担当を任されることになったサーザイト・ルーヴェインだ。短い間だがよろしく頼む。

それじゃ、順々に自己紹介してもらうとしようか……早く先生も、皆のことを知りたいしな」



 そう言うと、前の席の右側に座っていた少女が元気良く立ち上がった。



「イリス・アースグランドですっ! よろしくお願いします!」



 ツインテールが大きく揺れる。

 サーザイトが受け持つ生徒の中で、唯一外交的な性格の生徒だ。

 イリスが座ると、イリスに促されてその隣の生徒が立ち上がり、



「仮にも私達の講師になったとはいえ、まだその実力もわからない者に話すような舌は持ち合わせていない。

イリス……エンジェレット・エヴァーグリーンがそう申していると、この男に言ってくださいませ」



 ひどい物言いである。

 予想はついていたこととはいえ、サーザイトは思わず苦笑した。

 エンジェレット・エヴァーグリーン……戦闘種族エヴァーの民に統治されているトーワ王国の姫君だ。

 本人の力量も相当なもので、そのせいかプライドが非常に高く、自他に厳しい性格と聞いている。

 エンジェレットが着席すると、その後ろの眼鏡の生徒がゆっくりと立ち上がって、



「……、……、……」

「え、えっと、『私はククルー・シルファニーです。よろしくお願いします』って言ってます」



 イリスが声を聞き取り、代弁した。

 ククルー・シルファニー。

 他人との交流が苦手らしい。

 そして最後の一人は、



「クスクスクス……『ユユ・フレイリーですの。以後お見知りおきをですの』クスクスクス……」



 笑い声は本人が、自己紹介自体は、手に持っている杖の先端にある髑髏が喋っている。

 天気も良いのに、彼女の周囲だけ暗く感じるのは、彼女が黒いローブのフードを深く被っているからだろうか。

 確かにまだ経験も浅い若年の教師では、このメンバーに指導していくのは辛いのかもしれない。

 が、サーザイトは既に多くの冒険を経験してきている。

 滅多なことではたじろいだりはしない。

 まず彼は、全員の能力を確認するために校庭に連れ出した。

 戦闘訓練や基礎体力作り等に使うことが多いため、クエスターズの校庭は無闇に広い。

 クエスターズの本校舎を十も並べても、まだ余りあるほどの広大である。



「この辺りでいいか……さて、それじゃ君達の能力がどの程度なのか知りたいから、戦闘してみようか」



 校舎からさほど離れていないところで、サーザイトはそう言った。

 それを聞くと、イリスは首に下げていたペンダントを外し、空中へ放り投げる。

 一瞬光ったかと思うと、いつの間にかイリスの手には、彼女の三倍ほどもある巨大な剣が握られていた。

 か細い腕で、その大剣を軽々と振り回し、地面にドン! と叩きつけた。

 舞い上がる砂塵。

 大地が響き、衝撃が足から頭まで突き抜けてくる。

 ただ、ククルーの周囲だけは全く衝撃が伝わっていないようだった。

 彼女を取り巻いている風が、障壁の役割を果たしているらしい。

 ククルーは、その風でふわりと宙に浮いて、ぼうっと校庭を見下ろしている。

 ユユは、髑髏と会話をしながら、相変わらずクスクスと笑っていた。

 ぽわぽわと火の玉が彼女の周囲を漂っていて、それが微かに陽炎を立ち上らせている。

 完全に自分の世界に入ってしまっているようで、しばらくは声をかけない方が良さそうだ。

 そして、エンジェレットは鋭い目つきでサーザイトをじっと見つめていた。

 その視線には、敵意すら見て取れる。

 サーザイトはその視線に気付いていたが、あえて気付いていない風に装っていた。

 イリスが剣をペンダントに戻すとほぼ同時に、無言で突っ立っているエンジェレットにサーザイトが声をかける。



「エンジェレット」

「気安く呼ばないでくださいませ。殺しますわよ」

「……悪かった。お前にも少し戦闘して欲しいんだが」

「いいですわ。ただし……」



 エンジェレットは、袖口から扇子を取り出し、



「あなたが相手をしてくださるのなら。あなたの能力も私が見て差し上げますわ。

力量の足らない者に教えていただくほど、暇ではありませんの。殺すつもりでいきますから、真剣にお願いしますわ」

「ごもっともな意見だ。俺も二十若かったら、同じことを言ってただろう」



 気だるそうな表情を変えないまま、サーザイトも剣を鞘から引き抜いた。

 生徒達は知る由も無いが、彼にとっては十年振りの戦闘である。

 どこまで動けるかはわからないが、やるしかない。



「いきますわよ」



 体勢を低くして、エンジェレットが一気に踏み込んでくる。

 ステップを踏んで後ろへ飛ぶと、サーザイトのいた空間を扇子が薙いだ。

 間を空けずに距離を詰めるエンジェレットの扇子を、剣を盾にして受け止める。

 ギリギリギリ……剣の刀身と扇子とが不吉な音を奏でる。

 エンジェレットの扇子は、どうやら鉄扇であるらしかった。

 そんなものの一撃をまともに受けたら、ただではすまない。

 力任せに扇子を弾き、一旦距離を取る。

 小柄な体と、ゆったりとした振る舞いから体術は苦手ではないかと踏んでいたが、甘かった。

 エンジェレットの身のこなしは、既に熟練の冒険者並の素早さであり、その力もかなりのものだ。

 戦闘種族の名は伊達ではないということらしい。

 更に、十年という歳月は、サーザイトの体を順調に錆びつかせていた。

 十年前までは羽根のようだった剣から、ずしりと確かな重みを感じる。

 戦闘が始まってたった数十秒しか経ってないというのに、既に呼吸が乱れ始めている。

 サーザイトは、己の明らかな衰えを自覚した。

 長期戦は明らかに不利。

 前へ出るしかない。

 二度、三度、激しく切り結ぶ。

 意外に粘り腰のサーザイトを鬱陶しく思ったのか、エンジェレットはぼそりと口元で何かを呟く。

 突然エンジェレットの動きがより俊敏になり、サーザイトの剣を一気に弾いた。

 その間隙を縫うように鉄扇が襲う。

 ほとんど反射的に上体を反らすと、首筋に一瞬鋭い痛みが走った。

 再びエンジェレットと距離を取ったサーザイトが首に手をやってみると、そこにぬるりとした感触を確認する。

 上体をそらしていなかったら、今、この場で首が落ちていた。



(本気なんだな……)



 背筋を冷たいものが這い上がってくる。

 だが、それと同時に彼の中には、何か燃え滾るものも微かに目覚め始めていた。

 サーザイト本人はまだ気付いていなかったが、十年前まで彼が確かに持っていたもの……闘志。

 それが、余計に現在の彼に不甲斐無さを実感させることに、彼はまだ気付いていなかった。



「思ったよりやりますわね。でも、次で終わりですわ」



 エンジェレットがすっと扇子を縦に構えると、張りつめた空気が場を支配していく。

 息をするのもはばかられるほど、その場が凍りついていく。

 小さな体から放たれる殺意にも似た攻撃意志が、周囲を巻き込んでいるのだ。

 だが、エンジェレットがとどめの一撃を放つ間際、



「エンジェちゃん、やりすぎだよ!」



 横から、イリスが大剣を振り下ろした。

 エンジェレットはその場から飛び退き、それを回避する。

 鋭い目がイリスを見つめた。



「やめなさいイリス。あなたでは私には勝てませんわ」

「そうかもしれないけど、止める」



 イリスが剣を構え直し、軽く剣が鳴った。

 その目は真剣そのもの。

 それを察してか、エンジェレットも扇子を正眼に構える。

 しかし、ふと扇子をたたんだかと思うと、それを袖口にしまいこんで、



「……いいですわ。別にあなたと事を構える気はありませんし。その講師にも、ひとまず及第点くらいは差し上げましてよ。

ただし、次戦う時に手加減したりしたら、今度こそ本気で殺しますから、覚悟しておいてくださいませ」



 そう言うと、エンジェレットは機嫌を損ねたのか、校舎へ戻っていってしまった。

 緊張していたのか、イリスは安堵の溜息をついて剣をペンダントへと戻すと、サーザイトへ駆け寄る。



「先生、大丈夫?」

「ああ……エンジェレットか、強いな彼女は」

「エンジェちゃんは、私達の中ではぶっちぎりで一番強いんだよ。色んな大会で優勝してるしね。

でも、先生も凄いと思う。エンジェちゃんとあれだけ切り結んでられたんだもん。

エンジェちゃんより強い人なんて、多分この学校には、ローレンシア先生くらい」



 そう言うイリスは、どことなく楽しそうな表情だった。

 同年代で、同じクラスのエンジェレットのことが、彼女も誇らしいのだろう。

 確かに、エンジェレットは強い。

 戦闘中に彼女の動きが素早くなった、あれは補助魔法の『バイス』だろう。

 一時的に敏捷力を引き上げる補助魔法だが、それを格闘戦の真っ最中に使用したというのは驚嘆に値する。

 魔法とは、いわば集中力がものをいうのだ。

 切り結んでいる最中に魔法を使うのは、口で言うほど容易いことではない。

 それを、まだ十代半ばの少女がやってのけるのだ……エンジェレット・エヴァーグリーン、ただ者ではない。



(しかもエンジェレットは……俺が本気を出していないことに気付いていた。正確には『出せてない』が正しいんだが。本物だな、彼女は)



 サーザイトには、自分の生徒を傷つけるわけにいかないという心の枷があった。

 また、心のどこかで、エンジェレットのことを、年下の少女と認識している部分があったことは否定できない。

 その上、久し振りの戦いだったために、彼は本来の力を出せない状況にあった。

 それを知らないエンジェレットは、ただ自分が甘く見られているのだと解釈したのだろう。

 事実そうである部分もあるので、サーザイトは彼女に弁解する言葉など持たなかった。



「先生。これからどうするの?」



 イリスに声を掛けられて、サーザイトは思考の闇から現実へと戻ってくる。

 しばらく考えてから、



「それじゃ、体力、魔力、知力の簡単な確認をするか。先生も、皆の長所と短所を早く把握しておきたいしな」



 はーい、と明るい返事を返すイリス。

 が、まだふよふよと浮かんでいるククルーは無表情で、サーザイトの声を聞いているのかどうかもわからない。

 ユユに至っては、髑髏と楽しそうに談笑している。

 その口元から赤いものがこぼれているように見えた気がしたが、陽炎の見せる錯覚のように思われた。

 サーザイトは、二人を呼ぶイリスの後ろで、困ったように頭をかきながら思った。

 ……まずは、コミュニケーションを取れるようになるところから始めないとまずいらしい。

 前途は、多難だった。